第十一章 ミラの選択
彼女は、給仕の制服を着ていた。
それが、何を意味するかは、彼女自身が一番よく分かっていた。
処刑の前夜。
ミラが、独房の鍵を開けたのは、深夜二時を回った頃だった。
彼女の傍らに、若い騎士が一人立っていた。
顔の半分が銀の兜で覆われていたが、声でわかった。城の見回り隊で一番若い騎士、アルベルト。
まだ十八歳の、見習い上がりの少年だった。
「タドコロさん、出ましょう」
「アルベルト君も、共犯ですか」
「ええ。俺は、あなたの数字に、生きてもらった口です」
「俺は、誰にも何も、してませんよ」
「冬の備蓄が四割しか無いと知って、二月分の保存食を北方から先回りで取り寄せたのは、シュトローム卿でしょう。あの命令は、あんたの集計に基づいてた」
「……」
「俺の家は、北方の小村で、それで助かるんです」
俺はアルベルトの肩を一度、軽く叩いた。
彼の肩は、若くて、骨ばっていた。
「行きましょう」
俺たち三人は、地下牢から、王宮の裏手の井戸まで、ひそやかに移動した。
井戸の中には、古い坑道が広がっている。
ミラは事前に、ヨハンと共に、その坑道の地図を写し取っていた。
俺は坑道の中で、エプロンと長靴を取り戻した。
ヨハンが、入口の岩陰に置いておいてくれたのだ。
長靴の中に、八冊目のノートも返ってきていた。
ヨハンの字で、表紙の裏に、ひと言、「お返しします」と書いてあった。
坑道を抜けると、王都の北、森の入口に出た。
月は出ていた。
しかし、月明かりの中に、すでに追っ手の魔法の光が、淡く揺れていた。
「タドコロさん、走って」
「ミラさん、足が」
「いいから、走って」
ミラの靴は、給仕用の薄いものだった。
石を踏むたびに、彼女の顔が歪んでいた。
でも、彼女は走った。
追っ手の魔法は、青白い炎の槍だった。
森の幹に当たると、樹皮が一瞬で炭化する。
俺たちは、その光を背に走った。
アルベルトが、鞘から剣を抜いた。
「タドコロさん、ミラさん、先に」
「アルベルト君」
「俺は剣を持ってる側です。あんたは数えてください」
「……」
「俺は数えるのは苦手で。あんたが、数えてくれて、嬉しかった」
アルベルトは、笑った。
彼の笑顔は、まだ十八歳のものだった。
俺たちが森の奥へ走った直後、背後で青白い炎が、ひと際大きく燃えた。
彼の笑顔が、その炎の中で、最後に見えた。
俺は走りながら、初めて声を上げて泣いた。
涙は、長靴の上にぽたぽた落ちて、革を濡らした。
ミラは、走りながら、俺の手を強く握ってくれた。
彼女の指は、冷たくて、それでいて、力があった。
森の奥、深く入った辺りで、俺たちは小さな小屋に辿り着いた。
半ば朽ちた、狩人の休憩小屋だった。
ミラが、扉を開けた。
中には、誰もいなかった。
藁布団が一枚と、暖炉の灰が一握り。
俺たちはそこに崩れ落ちるように座った。
「タドコロさん」
「はい」
「アルベルトを、忘れないでください」
「忘れません」
「……忘れないでくれて、ありがとう」
ミラの目に、ようやく涙が浮かんだ。
彼女は、それを左の手の甲で、ぐいと拭った。
俺は、ノートの新しい頁を開いた。
ペンが震えた。
でも、書いた。
〈アルベルト・北方の村出身、十八歳。本日、二月十五日、夜、戦死。北方備蓄、彼の家族、所在確認のこと〉
書きながら、俺は、自分が初めて、人の死を「項目」として記したことに気づいた。
項目にしないと、書けなかった。
項目にすることで、ようやく、彼を忘れない契約を、自分と結ぶことができた。
ミラが、俺の肩に頭を寄せた。
俺は、何と言っていいか、分からなかった。
代わりに、彼女の頭の上に、自分の手のひらを、そっとのせた。
彼女の髪は、夜の冷気を吸って、湿っていた。
「ミラさん」
「はい」
「俺、もう、戻れないですね」
「……ええ」
「あなたも、ですよね」
「私は、最初から、戻る場所を持ってない人間です」
ミラは、笑った。
その笑いは、明るくはなかった。
でも、俺の知っている誰よりも、強かった。
「タドコロさん」
「はい」
「これからも、私の隣で、数えてくれますか」
「数えます」
「……ありがとう」
俺はそれだけを、ノートに書いた。
〈ミラ、隣にいる。数える先、決定〉
暖炉の灰の中に、まだ、わずかに、火種が残っていた。
俺はそれをそっと吹いて、藁を一握り、くべた。
火が、ようやく、ぱちりと音を立てた。
その音が、なぜか、店の寸胴鍋の蓋の音と、よく似ていた。




