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赤字ラーメン店長、異世界で『棚卸の儀』を極めて魔王と元上司を屠り、元の店に凱旋する  作者: もしものべりすと


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第十章 地下牢の独白

黒田の手口は、十年前と何ひとつ変わっていなかった。


 俺は、王宮の地下、最下層の独房に放り込まれた。


 高さは身長分、横は両腕を広げた長さ。


 石壁に蝋燭の影が一つ揺れている。


 長靴も、エプロンも、取り上げられずに残っていた。たぶん、誰も俺の格好を恐ろしいと思わなかったからだ。


 ノートも、八冊目だけは、取り上げられた。


 でも、上着の内側に縫いつけてあった一冊目から七冊目までの写しは、見つからなかった。


 俺は寝床に座り、その七冊を、薄明かりの下で並べた。


 数字を見ていると、不思議と心が落ち着いた。


 俺は、自分が、黒田に陥れられたことに、それほど怒っていなかった。


 怒りより先に、納得が来ていた。


「ああ、また同じやり方なのか」と。


 十年前、本部で起きたことを、思い出していた。


 あの頃、俺の同期に、一人、優秀な男がいた。


 名前を、加藤。年下だが、入社年次は俺と同じだった。


 彼は新人の頃から、客の名前を全員覚えるような男で、店舗の売上も、彼が入った店だけ、軒並み伸びた。


 黒田は、彼を、二年で潰した。


 部下に偽の経費精算を書かせ、その紙を加藤の机の引き出しから「発見した」体で、人事に回した。


 加藤は、抗弁を認められず、辞めた。


 俺は、抗弁できる立場になかった。


 黙っていた。


 次の年、俺の人事考課が、最低になった。


 黒田が、机の上で、俺の評価表に赤字を入れていた。


 俺は何も言えなかった。


 代わりに、誰にも頼まれていない店の棚卸しを、毎晩、自分の閉店後にやり始めた。


 数えていれば、誰にも責められない。


 数えていれば、自分が何かをやり遂げたと思える。


 数えていれば、加藤の顔を、忘れられた。


 そう。


 俺の八年は、加藤への、遅れて届く言い訳だったのかもしれない。


 俺は独房の冷たい床に座り、自分の指先を見た。


 爪の中に、まだ厨房で剥いた芋の皮の繊維が、わずかに残っていた。


 それを、隣の指の爪で、丁寧に取り除いた。


 爪を整える。それは、店をやる者の最低の作法だった。


 「タドコロさん、また、同じやり方に、やられるんですか」


 頭の中で、ヨハンの声がした。


 俺は答えなかった。


 代わりに、ノートに書きたい言葉を、頭の中で書いた。


 〈現状、平常ならず〉


 平常ならず。


 俺が、これを書くのは、初めてだった。


 書くたびに、自分が「平常」のフリをしてきたことが、わかった。


 八年、ずっと「平常」と書いてきた。


 書き続けることで、自分の方を、平常に「させて」きた。


 今、俺は、それをやめてもいい場所にいた。


 地下牢の鉄格子の向こうで、足音がした。


 それは衛士のものではなかった。


 軽い、慎重な、女性の足音。


 覗き窓の向こうから、声がした。


「タドコロさん」


 ミラの声だった。


 俺はゆっくりと立ち上がり、覗き窓の前に立った。


 ミラの瞳が、薄明かりの中で、揺れていた。


「来ては、いけなかったんじゃないですか」


「来ました」


「給仕の制服、ですか」


「ええ。ギルドの仕事は、辞めました」


「……なぜ」


「あなたを、助けるためです」


 ミラの目には、覚悟があった。


 俺は、覚悟されることに、慣れていなかった。


 慣れていなかったので、何も言えなかった。


「タドコロさん、三日後に、処刑です」


「はい」


「殿下は、悩んでいます。でも、貴族会議が押し切りました」


「黒田、ですね」


「ええ」


「ミラさん」


「はい」


「俺の代わりに、ノートを、外で写してくれている人は、いますか」


「商人会会長と、辺境伯と、ヨハン君が、写してくれています」


「ありがとうございます」


「あなたの字を、誰かが守るんです」


「はい」


「あなた自身は、私が守ります」


 ミラは、覗き窓に手を当てた。


 俺は、その手の影に、自分の手のひらを重ねた。


 冷たい鉄の格子が、俺たちの間にあった。


 でも、彼女の指の体温が、なぜかその鉄越しに、伝わって感じられた。


「三日後の夜、衛士の交代が間に合わない時間があります」


「……」


「私はその時間に来ます」


「危険です」


「危険でない手は、もうないんです」


 ミラは、覗き窓から手を離した。


 彼女の足音が遠ざかると、独房は、また静かになった。


 俺は、寝床に戻り、ノートの一冊目を開いた。


 書き始めの頁に、十年前の自分の字で、こう書いてあった。


 〈ラーメン店、開店初日。客、十二名。差異、なし〉


 その下に、新しい一行を、頭の中で書き加えた。


 〈ミラさん、命を懸ける。差異、計測不能〉


 計測不能。


 数えるのが好きだった俺が、初めて、数えられない量に出会った夜だった。

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