改めまして
泣きたかった心を必死に堪え水無瀬は立ち上がった。
そして自分を抱きとめてくれた幸輝の背中に腕を回し、改めて抱擁し返した。既に顔は歪み、自分でも酷い表情になっている自覚はあったが、それでも尚彼女は「私は泣いていない」と信じたかった。男としての矜持の、最後の意地だった。
「お、お帰り……幸輝っ。幸輝、凄い、待たされたよ……っ」
「……ああ」
「おばさまも、おじさまも……皆心配して、寝れなかったんだよ?」
「……やっぱりな。何か謝りに行かないと。それに、妻たちも会わせないといけないしな」
「バカ、奥さん……。奥さん何人作ってんだよ、はしたない。バカ、あほ、相変わらずの女たらし……」
強がる言葉とは裏腹にはしたない鼻水をすする音を水無瀬は奏でている。
ボロボロと溢れる涙で視界は歪んでいて何も見えていないが、それでも伝わってくる肉体の確かな温度と穏やかで懐かしい彼の匂いは、水無瀬の全身から一切の緊張と偽りの力を抜かせるには十分だった。
「……大丈夫、ではなかったようだな」
「あ、当たり前じゃん!わ、私、は……皆から、ネットで神隠しの原因とか、悪魔とか、言われて……それとか、えーと!えーと!!」
「もう良い、水無瀬。……辛かった時に傍に居てやれなくて、ごめんな」
「バカっ、バカぁ……」
完全に幼児のように縋り付き、涙と鼻水で幸輝の服を汚しているが彼は全く気にせずにそのまま受け止めている。
だが、その光景が酷く気に食わなかったのかシャルロットは聖剣から人間態として顕現し不服そうな顔で腕を組んで出てきた。
「あの。幼馴染で仲睦まじいのは結構ですが、私達の大切な夫ですのでその辺のご配慮は願ってもよろしいですか?」
「……ッ、申し訳ございませんでしたね、シャルロットさん。あまりにも懐かしくて、つい旧交を温めてしまいました」
ハッとして我に返った水無瀬は慌てて幸輝から離れた。
ハンカチで乱暴に涙と鼻水を拭うと、魔力拘束から解放された清が泥だらけであるにも関わらず心配のあまりそのまま水無瀬の許へと駆け寄ってきた。
「水無瀬!」
「清様、ご無事でしたか」
「水無瀬、もう!一時はどうなるかと!どうしてあんな馬鹿な事をするのですか!?」
「ご安心くださいませ。……もうあんな無茶はしませんから」
泣きながら抱き着いて来る清の神様らしからぬ重さも優しく受け止める。
彼女にまで涙を流させてしまった事への深い悔恨。清が過去にどれほどの絶望を味わったか、その事情は水無瀬自身が最もよく知っている。
だからこそ、彼らへの当てつけと自己保身で自死を選ぼうとした己の弱さが、今更ながら許せなかった。
「水無瀬……!」
「姫様。もう貴女を悩ませる事はありません。ここに私が居ります。貴女さえ居てくれたら、私はまだこの世界で戦えるのですから」
そうして強く抱き締める水無瀬の瞳には先程までの狂気や曇りはなく、澄みきった視線が清を優しく見つめていた。
肌を突き刺すような冷気が駆け抜け二人の間で再び契約が紡がれる。水無瀬の黒髪が根元から再び神聖な『白』へと染め上げられ、彼女が再び神の力を取り戻した事を意味していた。
「では、改めまして自己紹介を。……私は国交省異界対策課の特1級エージェント、白神水無瀬と申します。先ほどは大変失礼な真似をしました」
深々と頭を下げ、完璧な所作で謝罪した後に。
水無瀬は泥だらけのスーツの懐から防水仕様の名刺入れを取り出し、濡れていない名刺を一枚取り出して勇者一行の代表である幸輝へと差し出した。
シャルロットも横からその名刺を眺め、そして水無瀬の顔を見上げてもう一度その名刺へと視線を戻す。
「ええと……その『特1級』ってのはどれだけ凄いんだ?こっちで言う冒険者の等級みたいなものだろうけど……ただ、多分『S級』って意味なんだろうな?」
幸輝が尋ねるが嫁パーティーたちの反応は芳しくない。
「みーなの等級……って、客観的に見て多分良くて『A級成り立て』だよね。最悪『B級』程度じゃないの?戦闘経験値が低過ぎるというか、もしかしてみーなは対人・対幻獣の近接戦闘があんまり得意じゃない?」
「ゴブリンの巣に突っ込ませたら、その神威の暴走で洞窟ごと自爆するか無警戒に近付いて半々の確率で死ぬかもしれないな。……それに魔王の派遣した魔将が相手なら、そのすぐ自暴自棄に成る性格では生還は絶望的だろ」
「……ハッキリと言えば、あの程度の魔法で力を奪われるならSとは程遠い物かと思いますよ幸輝様。それに、神聖属性の扱いも清という神格と二人揃って未熟でしたし」
「それに、序盤の手抜き癖や謎の縛りプレイもギルドではマイナス評価に映るかと。死にたがりを前衛で抱える程、向こうの連中は馬鹿ではございませんし」
愛花、エヴリン、アイリス、シャルロットからの容赦のない辛辣なダメ出しの嵐。
水無瀬は困惑したように目を瞬かせた。どうしてここまでボロクソに酷評されているのか、彼女には到底理解し難いものがあった。
「ええと……一応、その階級は『私専用』に作られた最高階級でして……。えっ、向こうの世界だとそんなに私って弱い方、なんですかね?多分そちらで言う最強のS級相当とは思うんですけど……異世界ファンタジー小説は割と読んでますし、想定、してたよりもぉ……」
『……やはり、あの時容赦なく切り捨ててやるべきでしたか? やはり最初から、私が水球で圧殺するべきだったのかも知れませんよ、水無瀬』
「姫様?それをしたら私多分今頃首と胴が離れてると思われますが」
思っていたよりも怒りの感情に支配され過激な事を口走る過保護な主神に困惑する水無瀬。
一方でパーティー一行は別の問題に直面していた。
異界から帰還する際、肉体年齢を失踪当時の『16歳』に固定・偽装していたはずの彼らが自身の年齢を示そうと試みていたのだ。
「あれ?何か魔法が解けない……?」
「愛花、どうしたんだ?」
「いや、みんなにかけた『容姿を若く見せる魔法』が何か解けなくって……てか、まるで魔法なんて最初からかかってなかったみたいに成るし」
「な、何だ!? 本当に身体が元に戻らねぇぞ!!」
「あら、少し待ってください……え?解除出来ないみたいなんですが、どうしてなんですか愛花?」
「いや、アタシがそれ聞きたいんだけど!?」
動揺している幸輝達を見て水無瀬はさらに困惑した。
何かトラブルが起きているのは分かるが彼らの言っている「若い身体に固定された」という意味がさっぱり理解できない。ましてや、異世界での30年という時間感覚など知るわけが無いのだ。
「……どうしたんですか、皆さん。何かお困りの様子ですが」
「いや、その、えーと」
「何か、愛花がかけてくれた魔法が解けなくて、若い身体のまま固定されてるって話なんだが……」
「あー、成る程……?」
言っている意味はさっぱりわからないが、取り敢えず彼らが戸籍や年齢の証明で困っているらしいことだけは理解した。
「……でしたら、そうですね、うーん……」
「何か心当たりとか、解決策あるの、みーな?」
「無いわけじゃないんですが、そうですね……でしたら、今回の件が解決するまで私の『管理下』で皆さんが日本で暮らされるのはどうでしょうか?」
「……あ。そういえば日本だと俺達って8年前に死んだ扱いに成ってるのか」
「それで、私達は戸籍のない不法入国者達って事になるんですよね?」
「そうなりますね。外務省が突っ込んで来かねないし、後は……面倒臭い公安とか非合法の極みな防衛省の別班にねじ込まれる訳にも行きませんし。特異点から現れた未知の集団となればあなた達は解剖すらされかねません」
「……大変そうだね、みーな。何か、公務員っていうか裏社会の人みたい」
「皆さんは人権が保証されないのは仕方ないです。私はしがない、底辺の公務員なんで」
そう、自分の『公務員生活』を思い出した途端。
水無瀬の心に狂気とは全く別の現実的で真っ黒な絶望と虚しさが襲いかかってきた。休日返上は当たり前、上層部の無茶振りと汚れ仕事の尻拭いばかりの地獄のような悲しき人生が鮮明によみがえる。
「そうなんですよ、幸輝!聞いてくださいよ!昨日だって、大臣からいきなり呼び出されたと思えば『不審船全部沈めてこい』と言われて。言われた通りに全部沈めたらそれ全部中国の漁船で!結果中国から名指しで批判されて裏社会で私に懸賞首がかかったんですよ!?」
「み、水無瀬?」
「後は先月なんて、印旛沼が氾濫したから何とかしろと総理に言われて出動したら現地の神様と地元企業の利権とかが被って殺し合いに成って!そこにヤクザとか別班が突っ込んで来て公安と大乱闘しましたし!!」
「み、みーな? 大丈夫?」
「大丈夫に見えるんですか!!私の有給、三年分丸々消えてるんですよ!!」
悲しき公僕の苦しみとブラック労働への怨嗟が、堰を切った様に溢れ出し、嘆きが濁流の如く流れ出していくのを誰も止められない。
「わた、私だって!お休み欲しいのに!!メンタルきつくてお薬飲んでるのに、それでも耐えられなくって!!!一昨日のシャワーは近くの公園の蛇口で済ませましたからね!!!!」
「どうどう、水無瀬、ステイ、ステイ」
「みーな、少し深呼吸しよっか……。それでお薬飲んでるって言うけど、今日はちゃんと飲んでるの?」
ハッ、と気付いた水無瀬。
「そ、そう言えば……あ」
泥だらけのポケットをごそごそと探ると、本日分の精神安定剤のシートが中に錠剤が残されたまま出てきた。
「……みーな。まずはそれを飲んで、落ち着いてから話そうね。悪い事は言わないからさ」
「ご、ごめんなさい。私、私は……」
「水無瀬、取り敢えず飲んでから話そう。な?」
幸輝と愛花が水無瀬の肩に優しく手を置き、興奮しきっている彼女を宥める。
水無瀬は指先で少量の水を生み出すとそのまま薬を飲み干した。
少し時間を置いて薬が効き始め、荒れていた呼吸が落ち着いたところで漸く二人は『正気のエージェント』である水無瀬とまともな会話が出来るようになった。
「……何度もお見苦しい姿を晒し、申し訳ございませんでした」
「うん。俺達もお前がこんなにも苦しむ迄放置して、本当にすまなかった」
「みーな……もう、これ以上一人で頑張らなくて大丈夫だからね」
取り敢えず落ち着きを取り戻した水無瀬と彼女を諭し優しく囲む勇者パーティー。
そしてその頃。
異界対策課の本部では旧堂山高校跡地での『異常なエネルギー数値』を観測し、鎮圧の為の重武装の機動部隊が緊急出動しようとしていたが、水無瀬が引き起こした異常な嵐により完全に足止めを食らっていた。
この奇妙で強力な集団が日本の管理社会に組み込まれるまで、あと少しだけ調整の時間が必要になる。




