終わりだよ
──さようなら。
白神水無瀬は人質として一瞬だが拘束した愛すべき友人幸輝の首元に氷の直剣を食い込ませ切り裂こうとした。
その時。
幸輝たちの足元、泥だらけの校庭の地面に幾何学模様の巨大な魔法陣が青白く浮かび上がった。
水無瀬は金剛力士像のように目を見開き、その術式の意味を咄嗟に理解して清へ警告の声を上げようとした。
「準備完了!幸輝、エヴリン、下がって!!」
同時に、背後の校舎の瓦礫の中から愛花の凛とした声が響き渡った。勇者パーティーの反撃の合図であった。
「ごめんねみーな……、待たせちゃって」
「なっ!そんな、清様っ!!!」
「しまった!水無瀬ぇっ!!」
清が叫ぶが遅い。
魔法陣が爆発的に輝くと光で編まれた白い布のような魔力の帯が幾重にも湧き上がり、後方にいた清の身体を雁字搦めに絡め取って締め上げた。
「ぐっ……!」
清が封じられた瞬間、水無瀬の身体から急速に神の力が抜け落ちていく。
水無瀬が握っていた氷の剣は形を保てず水へと溶け落ち、彼女の威厳の象徴であった白髪も根元から急速に本来の『黒髪』へと染め戻されていく。
歩く自然災害たる神威が完全に封じられたのだ。
「水無瀬っ、この、切れ……ない」
「くっ……身体から力が、奪われて……そんなっ」
瓦礫の中から愛花、アイリス、シャルロットの3人が無傷で姿を現した。あの至近距離での水蒸気爆発を愛花の複合結界とアイリスの神聖防壁で完全に無効化していたのだ。
一方で水無瀬は為す術なく拘束された清を見て激しく動揺した。本来なら異界対策課の最高戦力として絶対に見せてはならない、致命的な動揺。
「不覚っ……!でも、あれだけの爆発を無傷で……」
「清様を、清様っ……!」
「……おやりなさい、水無瀬。貴女なら一人でも出来ますっ!!」
清の悲痛な声に後押しされ、水無瀬は泥の中から咄嗟にかつて任務で使っていた『Five-seveN USG拳銃』を抜いた。
神の力を失った今、彼女に残されているのは国交省のエージェントとして血の滲むような訓練で叩き込まれた『人間としての殺傷技術』だけだ。
腰を落とし、両腕で正確な正三角形を作り、片膝を突いて照準を合わせる。教本通りの完璧なフォームで、射撃を愛花たちへと浴びせた。
超音速の5.7mm弾が閃光と轟音を立てながら1弾倉分、即座に撃ち尽くされる。
だが彼女たちに傷一つ、埃一つ浴びせることはできなかった。
幸輝とエヴリンがただの剣と大剣を振るい、全ての銃弾を事もなげに空中で叩き斬り弾き落としてしまっていたのだ。
「こんちくしょうがぁぁぁぁ!!!」
水無瀬は激しくリロードしながら乱射を続け、その射撃で相手の意識を逸らさせつつ校庭の隅にある『池』の方へと一目散に駆け出した。
「まだまだっ、まだ終われねぇよ!!」
「水無瀬……!」
池の中に飛び込むと底の防水ケースに隠してあった『20式5.56mm小銃』と予備弾薬のマガジンを複数個抱え上げ、すぐさま装填の動作を淀み無くこなして反撃の掃射を行う。
超音速で飛来する5.56mmNATO弾の雨がパーティー一行に降りかかる。しかし彼らはそれを他愛無く受け流し、弾き、時にはただの剣術で切り捨てていく。
それはまるで水無瀬と一行の『本来の実力差』を残酷に指し示しているようだった。
弾き飛ばされる金属音を聞くたび水無瀬は発狂したくなる己の理性と感情を必死に抑え込み、自分たちを容易く無力化する存在へと矛先を向けて、くぐもった叫び声を上げながら耐え凌ぐ。
「幸輝……みーなのこと、任せて良い?」
「ああ、任せてくれ」
愛花は水無瀬の鎮静を幸輝一人に託した。
今の彼女は怒り狂う手負いの猪だ。話など聞く耳を持たないし聞こうとさえしない。だからこそ力で圧倒して現実を分からせるしかない。
アサルトライフルの弾幕を幸輝はまるで羽虫を払うように鉄の剣の腹で受け、巧みに切り裂いて処理していく。愛花も防護魔法のバリアを張るだけで水無瀬の乱射から仲間を完全に守り切っていた。彼らにはまだ圧倒的な余力があり、対する水無瀬の表情からは既に余裕という文字が完全に消し飛んでいた。
「……ッ!!どうして超音速の攻撃が当たらないんだ!?」
「……それよりももっと速くて重い攻撃ばっかり見てきたからな!この程度なら止まって見えるよ!!」
「……ふ、ざけんなぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
銃を乱射して何とか水無瀬は壊れそうな自我と意識を保ち続け、照準を幸輝とエヴリンに向けて放ち続ける。
だが言葉とは裏腹に水無瀬の意識の底は奇妙なほど平静を保っていた。射撃を加えながらも目論むことは論理的かつ理性的であった。腐っても彼女は対策課のエージェントなのだ。
賭けとしては極めて薄い打算だがまだ為す術なく降伏するよりも「最後まで意地を張って怪異と戦っていた」と組織に言い訳できる状況を作らなければならない。エージェントとして恥じぬ戦い振りをここに刻むため彼女は最後の一手を打つ。
「近づくんじゃねぇぇぇぇ!この化け物がぁぁぁぁっっ!!」
その為にはまず水無瀬は『感情的で理性を失い、狂気に屈した哀れな女』を完璧に演じなくてはならない。油断と慢心を誘う為なら手段も選ばず、見栄と体裁を泥溝に投げ捨ててしまえば良い。
釣りエサにかかる魚を引き揚げる為ならありとあらゆる手段は肯定される。
「水無瀬!くっ、意外と近付きにくいぞ、この弾幕!!」
「たりめぇだろが、人類舐めんじゃねぇぞファンタジーが!どれだけ人間と科学が積み重ねて来た『屍の道』を嘲ってんだっ!!」
「嘲笑った訳じゃねぇよ水無瀬!!」
「そういう態度や、今剣で弾きまくってるそれが舐めてんだよ!普通は銃弾を剣で受けたら折れるのが当たり前なんだよ!なんで折れねぇんだこの怪異の幻がっ!!」
「魔法さ!複雑だけど魔力を練り上げて混ぜ合わせたら、ただの鉄の剣でも鋼鉄を断ち切れる剣へと昇華させられるんだ!後で水無瀬にもちゃんと教えるからっ!!」
「要らねぇよ、そんな外法っ!!」
水無瀬は小銃の弾を撃ち尽くすと銃剣を着剣し、そのまま幸輝へと決死の突撃を敢行した。
勝てないのは明白だ。だからこそ神の力ではなく、ただの人間として人間賛歌を歌って華々しく散ろう。
──さらば、戦友よ。靖国にて我ら相見えん。
「水無瀬!おやめなさい!!」
「清様!最早これしかございません故、どうかご容赦を!!」
水無瀬が何を意図しているか察した清だが魔力による拘束のせいで止められない。
己の無力さ、幼稚さ。何もかもが足りなかった。己の身を滅ぼされたあの日、生臭坊主達に挑み敗れ、殺生石に閉じ込められたあの日を想起して少女神の目から大粒の涙が流れ落ちる。
『やめなさい、行かないで』
そう言う複雑な言葉はもう声に出せなかった。
「やめて、水無瀬!私をもう、置いて行かないで!一人は嫌なの、水無瀬ぇぇぇぇ!!」
清の悲痛な叫び。
だが今の水無瀬には聞こえない。
聞きたくない。
現実を見たくない。
自分の弱さを見せたくない。
どうしても、どうだってでも、護りたかったプライドがあった。果たさなければならなかった、エージェントとしての義務があった。
(ごめんなさい、姫様。あとは……課の皆さんと何とか仲良くしててくださいね)
「神谷幸輝ぃぃぃぃぃぃぃっ!こっちを見ろぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!!」
大音声で鬨の声を上げながら水無瀬は幸輝へ向けて捨て身の刺突を繰り出した。
当然幸輝に難なく躱され、すれ違いざまに彼女の首筋へ強烈な手刀が振り下ろされる。
「がっ……!」
意識が飛びかけるのを強靭な精神力で耐え、水無瀬はすがりつくように幸輝の身体に抱き着いた。
「捕まえた。……私の、俺の大切な思い出を穢す化け物め」
「だからっ俺は……っ!?」
幸輝の背中へと回していた水無瀬の手の中から、甲高い『金属音』が、至近距離で二つ分響いた。
それはピンを引き抜かれた『破片手榴弾』のストライカーが跳ね上がる音。
「さぁ勇者気取りの怪物め。少し地獄までお散歩願おうか。駄賃は、貴様の心臓と私の命で十分だ」
「やめろ水無瀬!死ぬ気か!?」
「死して立つ瀬も有ろうや。手折られた花にも誉れは有り、鳥も立ち去る際に瀬を汚さぬのが是ならば……」
──あぁ。やっぱり、こいつは。まさか。
爆発までの数秒間。
必死に藻掻き、自分を引き剥がそうとする幸輝の体温、必死な顔、匂い。
それらを至近距離で感じた瞬間漸く水無瀬の狂った脳内に『本人なのではないか』という致命的な疑念がよぎった。
清が宿って以来、いや、それよりずっと昔から。ずっと隣で友達をしてくれていた。いじめられていた自分を庇って、いつも隣でとても大切で、とても居心地の良かったぬるま湯の様な空間を作ってくれていた大切な家族のような存在。
匂いも違いない。肌や筋肉の感触も。そして何より、首筋のホクロでさえ、彼女が暗記するほどに見つめ続けていた『彼』のものに相違なかった。
「ま、待って……。幸輝……?まさか……」
だが手榴弾の信管が作動してから爆発するまでのわずかな時間では、行動を思い直すことさえままならない。
そして水無瀬は涙を流しながら目を瞑り、彼を巻き込む死を覚悟した。
……だが。
数秒待っても爆発する音や衝撃、熱は彼女を襲わなかった。
恐る恐る目を開ける。
そこには水無瀬の手から奪い取った手榴弾を光り輝く『聖剣』で器用に空間ごと切り裂いて、爆発の威力を完全に相殺して握り潰している幸輝の姿があった。
「やっと気付いたか、水無瀬。お前変な所で頑固過ぎるんだよ」
「幸輝、なの。……本物、なの?」
「本当の、本物だ」
「……本人、なんだよね」
「ああ、そうだ。遅くなってごめんな」
幸輝の温かく、力強い声。
その瞬間水無瀬の世界を覆っていた狂気と幻覚のヴェールが音を立てて崩れ去った。漸く彼女は目の前の青年が『神谷幸輝本人』であると、魂の底から認識したのだ。
「……あ、あ……」
時計の針が錆び付いた身体を必死に動かそうと足掻く。張り詰めていた緊張の糸が切れ、膝から崩れ落ちそうになる彼女の身体を幸輝がしっかりと抱きとめた。
「う、嘘だぁ……そんな、馬鹿な……」
「バカですまなかったな、水無瀬。ただいま」
──あの日から8年。
漸く、漸く二人は巡り合い、そして現実の中で向かい合った。
新月故に暗い夜空。だがその代わりに厚い雨雲が晴れた満天の星々が二人を祝福するように煌びやかに輝き始めた。
そして一筋の流れ星が再会した幼馴染たちの運命を静かに言祝いでいた。




