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粘土人間

帰りの電車は最悪だった。帰宅ラッシュは過ぎていると思っていたが、ホームにも車内にもサラリーマンがひしめき合っていて、汗の匂いと制汗剤の匂いが混ざっていた。どうやら人身事故の影響で遅延が発生しているようだった。

電光掲示板を見上げると、【30分遅れ】【一部運休】などと繰り返し表示されており、さすがの俺も「ふざけんな…」と漏らしてしまった。どうにか回避ルートに移動して、いつも使う電車とは違った電車に乗ることにした。結局そちらも満員で、とんでもない臭いが充満していたわけだが。皆が皆「俺は違う」とでも言いたげな表情で突っ立っており、皆が皆平等に臭かった。俺もああなるのだろうか。いい匂いのするサラリーマンの近くを選んで果敢にサラリーマンの壁に立ち向かい、定位置に着く。サラリーマンの「人身事故なんて勘弁してくれよ」という疲れきった顔を観察しながらそんなことを考えていると、ふいに、激臭が鼻をついた。なんだこの、生臭い、いや、ガソリン?生臭さとガソリンのような激臭。臭いの元を探すべく周りを見るが、隣のいい匂いのする身なりの整ったサラリーマンが迷惑そうに俺を見るだけで、臭いの元らしき人物は見当たらなかった。2,3駅の間はどうにか耐えたが、臭いが一区間ごとに近づいてくるようで、いよいよ耐えきれなくなり途中下車した。下車した先は初めて見た駅だった。こんな駅あったか…?やっぱり戻るかとひとつ隣の車両に移ろうとしたが、既に発車してしまった。時刻表を確認すると、次は30分後だった。

「はあ?!30分後?ふざけんな!ありえねーだろ!」

苛立ちがピークに達し、ホームに1人、どうにかならないかとウロウロと行ったり来たりを繰り返す。色んなルートやバスを使うなどのルートを探すが、結局最短は30分待つことだった。

仕方なくホームの椅子に座っていると、いつの間にか何人かホームに立っていた。あれ?足音なんてしたっけな。なんて思いながら、まあいいかとスマホをいじって暇つぶしをする。通信環境も劣悪で、繋がったり途切れたりを繰り返すため、乗換案内アプリの遅延情報を随時確認したり、それ以外やることもなく、律樹の今日の態度に改めて苛立ちを感じたりなどしていた。

もうそろそろかと時計を確認し、電光掲示板を確認すると、次の電車の到着時間がしれっと伸びていた。先程まで30分で次の電車が来る予定だったのに、1時間後に電車が来ると書いてある。有り得ない。なんのアナウンスも無く、勝手に時間を伸ばすなんて。しかし、周りの人たちは全く気に留めず各々スマホを見たり、本を読んだり、缶コーヒーを飲んだりしている。俺はさすがに駅員に物申してやろうと、改札まで向かった。改札の横には駅員が居り、何か作業をするでもなく、ぼーっと何も無い改札を見つめていた。

「あの、すみません。」

少し怒り口調で話しかけると、

「はい。」

淡白な返事だけが返ってきた。俺は電光掲示板を見ながら、指をさして話を続けた。

「さっき表示された電光掲示板と違う運行状況なんですけど、アナウンスひとつも無いんですか?俺1時間も待つんですよ。これ有り得ないでしょ。」

スマホの画面に映る乗換案内のアプリの遅延情報と、電光掲示板の情報の違いについて強い口調で語りかけるが、

「すみません。1時間も待ちます。」

としか返って来なかった。ハア?と思い、この無愛想な駅員がどんな顔してんだと確認しようと顔を上げて見ると、ギョッとした。

駅員は、顔はあるのだが、表情、というか顔がなんだか突っ張っているのだ。例えるならば、モデリング初心者が作るような、粘土で作った土台に、ネットのフリー素材の顔写真をそのまま貼り付けたような、そんな顔だった。奥行きがないのだ。これは単なる悪口などでは無い。本当にそのまま、普通あるべき凹凸が一切ないのだ。しかも心なしか画質が粗いというか、とにかく何か変だ。変なのは顔だけではない。仕草もおかしい。駅員は俺の目を見ることはなく、改札の向こう側をずっと見つめている。見つめていると言うより、プログラムされているような感じだ。


挿絵(By みてみん)


気持ちが悪くなり、その場を離れ、ホームに戻る。ホームの人間は皆俺を見つめており、缶コーヒーを持ったサラリーマンが近づいてくる。気味の悪さよりも、この状況をおかしいと言って同調してくれる人だったらいいのにという期待が勝って、無防備な状態でサラリーマンを見つめていた。しかし、缶コーヒーを持ったサラリーマンは、俺の10メートル先まで来ると、

「困ってますか?お手伝いしますよ!」

と大声で叫んだ。

「あと、暇だったら、ウチに来てください!受け入れてください!」

5メートルほどの距離になった時に気づいた。

このサラリーマンの顔も、粘土の土台に写真を貼り付けたような奇妙な顔をしていたのだ。

俺は、本能が「逃げろ!」と言っているのを感じた。踵を返して改札へ向かう。何故か足が重くなり、眉間の辺りも重い。上手く足が動かず、腕も振れない。背中や額からは大粒の汗が噴き出し、どうにか手足を動かすが、視界が斜めになったり縦になったりと上手くピントが合わない。

気づくと駅員はこちらを向いていて、改札の前で大きく両腕を広げ、通せんぼのような形で立っていた。

やばい、と思った時にはサラリーマンに腕を掴まれていて、こちらを覗き込んできた。

「助けてあげるので、助けて欲しいと言ってくださいね」

サラリーマンは顔がブレていて、凹凸が全くない。しかしにこやかに見えた。俺は絶叫した。そして心の中で無意識にこう思ってしまった。

「誰か 誰か 律樹 律樹 嫌だ 助けて」

こんな時に最も情けない状況で真っ先に律樹を思っていた。助けて、死にたくない。てか、なんなんだ! 助けて!!


「サトル、こっち、向いて!」


この混沌の中で際立って通る声で名前を呼ばれた。その声は、少女のようで、少年のようで、大人のような声だった。

呼ばれる方に振り向くと、律樹が俺のもう片方の腕を掴んでいた。


「サトルくん、キミは今なんの危機にも陥ってない、全然大丈夫、これはただの夢なの!起きて!」

驚いて瞬きをし、再び目を開ける。律樹はまだ隣にいた。


「律樹、なんでここに」


「いいから、サトルくん、目を覚まして!」

律樹に顔を引っぱたかれる。

「痛っ!何するんだよ!」

「痛いわけないじゃん!ほら!」

むごいことに、もう一度顔を引っぱたかれたが、ショックの後に痛みは無く、あれ?なんだ?これ夢か?と頬をさする。気がつくとサラリーマンに掴まれていた腕は誰にも掴まれておらず、周りの景色の歪みもなくなっていた。ただ、後ろを見ると、ホームに立っていた人達はずっと俺を見ていて、彼らは身体が所々ブレており、固まったまま動かなかった。奇妙な世界に気を取られている俺の肩を、律樹はガシッと掴みこう言った。


「帰り、真っ直ぐ帰ってね。寄り道しちゃダメだよ。」


はっと目を覚ました。


俺は、電車内の椅子に座っていた。駅を確認すると、最寄り駅の1つ前の駅だった。さっきまで見ていた夢は妙に現実味があり、今が夢なのか現実なのかあやふやなままぼーっと向かいの窓に映る自分を見つめた。満員だったはずの電車も空いていて、どこから夢を見ていたのか分からなかった。


最寄り駅に着き、風がぴゅうっと吹くと、背中が冷たいことに気がついた。どうやらぐっしょりと汗をかいていたようだ。汗をかいていたことを自覚した途端、喉が乾き、塩気のあるものを口に含みたくなりコンビニに寄る。


「真っ直ぐ帰ってね。」


コンビニのドアの前でふとあの夢の言葉が頭をよぎる。

律樹にあんなことを言われたが、あれはあくまで夢……。

コンビニの前で、入るか否か迷っていると、後ろから聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。

「あれっ、有馬くんじゃん!家ここら辺だっけ?」

振り返ると、そこには丸山がいた。

「ああ、丸山か。お前こそなんでここにいるんだよ」

「いや、普通にここの近くに俺の友達の家があるんだよね。今日は男友達3人で宅飲みしてんだよ。有馬くんも来る?」

行くわけが無い。

「行かねえよ。もう帰る」

丸山に捕まると面倒だ。今日はこいつと話す元気がないため、早く家に帰ることにした。

「え〜、ちょっと付き合ってよ!ツマミ選ぶだけだからさ、な?ほんのちょっと!」

「いや、もうめんどくせえよ。帰る」

しつこくされると余計にイライラする。ただでさえ疲れているのだ。早くベッドで眠りたい。受け答えもろくにせず帰ろうとすると、丸山に手を掴まれ、何かを握らされた。

「じゃあ、ほい。俺がここに来るまで食ってたやつだけど。今度さ、今日の話、聞かせてよ!」

手を開くと、そこには丸山の食べかけのさきいかの袋と、たまごボーロ。

「なんだこれ、汚ねえな。」

「いや、いや、ついさっき開けたばっかだし、俺2本しか食べてないって。あげるよ。」

まあ、丁度いいか。と、とりあえず受け取り、さきいかを口に含みながら、

「まあいいけど。お前いつ空いてんの?」

と丸山に聞く。丸山は、少し考えて、

「あー。まあまた連絡する!俺、恋のキューピッドだからさ。感謝しろよ〜!」

と話した。今日は散々だったが、なんだかんだ丸山のこういう呑気なところに助けられているところもある…かもな…。と思いつつ、丸山と別れた。


少し歩いて、丸山の様子をなんとなく見たくなり後ろを向くと、丸山はずっと俺を見つめていた。

なんだ、あいつ。見送らなくてもいいのに。と思いながらも、一応手を振ってやる。しかし、丸山は手を振り返すことはせず、ずっとニコニコしているだけだった。


酔っ払っているのか分からんが、妙なやつだな、と思いながら、あいつの食いかけのさきいかをもう1本、口に含んだ。

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