好きって言って
「本当って何? この俺は本当だよ。律樹の言う”本当”とか、意味わかんない。俺は全部、全部俺だってば」
「そう、そうなんだよ、そうなんだよね……うーん、例えばさ。バレンタインで市販のチョコを包装して大切な人にプレゼントして下さいって言われた時。私の勝手なイメージだけど、ゴディバの箱に入れて渡してくる気がするんだ」
「? それのどこに問題があるの?」
「問題じゃないんだけどね。私は綺麗なものが好きだから、もちろんゴディバの箱を見たらうわ、綺麗〜、素敵って感動するし、この箱をデザインした人はすごいし、その人の他の手がけたものも欲しくなると思う。……でも、有馬くんに対しては何の感情も湧かない。そこに有馬くんの愛の形はないから」
「え、そうかな。中身がその辺で買えるチョコなんでしょ? だったら周りと差をつけるために包装紙で高級感を演出したほうが加点されない? その演出を考える思考自体は俺の愛じゃないの?」
私は首をかしげた。少なくとも、彼の言い分に心から同意することはできなかった。
んー、なんて説明すれば分かってもらえるんだろう。
いや、そもそも分からせようとすること自体が私の価値観の押し付けなのかな。私と有馬くんとでは、見ている世界も価値観もまるで違う。わざわざ理解”させる”必要があるのだろうか。……ダメだ、今はこういう脱線した思考を深掘りするのはやめよう。とりあえず、私が大切にしている芯の部分だけを伝えればいい。
「うーん。私がプレゼントされる側なら、贅沢なものが欲しいっていう欲求が最初に来るわけじゃないんだよね。私が見たいのは、その人だけのオリジナルの愛。それが表現されているものなら、不器用でも、お金がかかっていなくても、どれだけシンプルでもいいんだよね」
有馬くんは腑に落ちないといった顔でカトラリーを手にとった。くるりと器用に残りのパスタを巻き取り、一口分だけ残ったウニを載せて口へ運ぶ。口元を上品に手で覆いながら、彼は言葉を継いだ。
「えー、そう?本当に?女の子って男の手作りなんて本当に喜ぶの? プロの職人が作ったもののほうが絶対に失敗しないし、喜ばれると思うけどね」
「それは有馬くんが手作りの何かをプレゼントしてあんまりいい反応もらえなかったとか、そういう経験から来るやつ?」
「いや、まあ手作りなんてプレゼントしたことないよ。ただ、高いもんを渡した時、露骨に反応がいいからさ。Twitterでだってそう言ってるし」
私は彼の言葉にとりあえず頷きながら、すっかり冷めきったジェノベーゼの最後の一口を平らげた。
「試したことがないなら、なおさらやってみる価値はあるんじゃない? 有馬くんって、たまに思い込みで決めつけるところがあるからさ。……あっ! 今年のバレンタイン、何か作ってみなよ。それで、有馬くんの心からの包装とかしてみたら?」
「心からの包装……?」
彼はポツリと呟き、思考の海に沈んだ。しばらく肘をつき、人差し指で顎をトントンと一定のリズムで叩きながら窓の外を見ている。前から気になっていたが、彼の仕草はとてもチャーミングだ。母親の癖が出ているのだろうか。父親と上手くコミュニケーションが取れていない様子からして、相対的に母親との関わりが深かったと考えると、彼の言葉遣いと仕草に見られるズレもしっくりくる。
「じゃあさ、2月までに律樹が俺のことを好きになってくれたら、バレンタインにプレゼントを贈るよ。もちろん俺の手作りで、包装も俺自身でね。2月14日……うん、ここをデッドラインにしよう」
彼は再び、どこか幼さの残る笑みを浮かべた。私に対して害を及ぼさない限り、彼が私に好意を寄せること自体に拒絶感はない。それに、あの美的感覚に長けた有馬くんがチョコをどんな風に包んでくるのか、純粋な興味もあった。ついでに咲さんや丸山くん、深雪ちゃんや清太にも声をかけて、みんなでバレンタインのお菓子交換をするのも楽しそうだ。
私は彼の提案を素直に受け止め、表情を綻ばせた。
「えっ、ほんと? 嬉しいな、楽しみにしてるね。私もお返しに何か作るよ」
「いやいや、いいって。律樹はホワイトデーにちょうだい。楽しみにしてるから」
何気なく口にした比喩表現が、いつの間にか現実的な約束へと姿を変えてしまった。そういう意図があったわけではないが、別にいいか。
そんなことを考えていると、有馬くんがすっと席を立った。
「ちょっとお手洗い」
彼の後ろ姿を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
うーん。有馬くん、全然私のことを諦める気がないなあ。
それ以上に気になるのは、今日の彼の不自然な挙動だ。昨日の今日でまるで人が変わったように無邪気に笑ったり、幼少期の彼が垣間見えたり、急に自身の生い立ちを滑らかに語り出したり……。彼の精神状態は、氷の薄膜の上に立っているかのようにひどく不安定に見える。私の杞憂ならいいのだが。
今日は嫌な臭いこそしないものの、まとわりつくような不安が離れない。この不気味な悪寒が、何か良くない出来事の前触れなのか、単に彼の情緒不安定さから来る違和感なのかは判別がつかなかった。
ふと、外の景色へ視線を向けたガラス窓に視線をやる。
そこには有馬くんの姿が映り込んでいた。
心臓が跳ね上がった。
おかしい。つい数十秒前、彼はかなり遠くにある奥のお手洗いに向かったはずだし、その背中を見ていた。それに彼の足音も全くしなかった。魔法使いでもない限り、店外のガラスに彼の姿が反射して映るはずがない。
私は冷や汗を覚えながら、おそるおそる店内の通路――彼が立っているであろう方向へ視線を滑らせた。
そこには、深くうつむいた有馬くんが佇んでいた。
彼の瞳は焦点の定まらない虚無を宿し、私ではなく、足元の床をただじっと見つめている。
……やっぱり、おかしい。それも、急激に悪化している。
「帰ろう、律樹。もういいや」
私が声をかけるより早く、彼の冷ややかな声が空気を切り裂いた。思考が一瞬フリーズする。
「え、あ……デザートとか、頼まなくていいの?」
この期に及んでそんな問いしか口から出ない自分に、酷くうんざりした。彼は答える代わりに、伝票を荒々しく掴み取ると会計へと向かった。
「ちょ、ちょっと待って有馬くん! この前は奢ってもらったんだから、今日は私が払うよ」
制止する声も耳に届かない様子で、彼はずんずんと足を速める。私は慌ててその背中を追った。レジの前で伝票を奪い合うのも見苦しいため、彼が無言で差し出した伝票の横から、私は素早くクレジットカードを店員に渡した。……まあ、この行動も見苦しいかもしれないが、伝票をひったくるよりはましだろう。店員は喧嘩か?みたいな表情で視線を私たちに交互に向け、気まずそうにカードを端末に通す。有馬くんはそのやり取りに一瞥もくれず、俯いたまま店外へと消えていった。
このような挙動を目の当たりにしながら、自分の感覚が何も警鐘を鳴らさないことに、かえってゾッとした。
取り憑かれ始めた初期の彼からは、間違いなく異臭が漂っていた。しかし今、魔法使いでない人が見ても明らかに異常な行動をとっているにもかかわらず、彼からは邪悪な気配も、異臭も、何一つ感じ取ることができないのだ。
支払いを済ませると、私は急ぎ足で彼を追った。
「有馬くん、どこ行くの?」
有馬くんは無言のままエレベーターホールへ歩を進める。一体、彼の中で何が起きているのか、まるで想像がつかない。だが少なくとも、この行動に「何か悪いもの」が直接作用しているとは思えなかった。嫌な気配も、匂いも、何ひとつ確認できなかったからだ。
エレベーターが私たちの待つ階に到着するまでの長い数分間、彼は一切の言葉を拒絶した。私がいくら言葉を投げかけても、彼の意識が私に向けられることはなかった。
☆
てっきりそのまま帰路につくかと思いきや、エレベーターを降りるなり、有馬くんが唐突に「何か食べ歩きがしたい」と言い出した。拒む理由もないため了解すると、駅前の賑やかな通りに向かうものだと思っていた足取りは、次第に街灯の少ない暗がりへと逸れていく。
足元をふらつかせながら夜の闇へ紛れ込む彼の姿は、まるで彼自身の意思ではなく、見えない糸で操られている人形のようだった。私の言葉には生返事しか返さず、当てもなく彷徨っているようにも、行かなくてはならない目的地へ誘われているようにも見えた。
やがて、ぽつりぽつりと路面店が並ぶ、街灯のす少ない細い小道に入ると、ずっと無言を貫いていた有馬くんがピタリと足を止めた。
「……ない」
蚊の鳴くような掠れた声。背中を向けられているため、言葉の輪郭が上手く拾えない。
「ん?」
有馬くんの背中が、息を呑む音とともにぎゅっと縮こまった。どうやら両手で顔を覆い隠しているようだ。
「……諦められない」
「え?」
その瞬間、周囲の空気が急速に凍りつき、重苦しい圧迫感が落ちてきた。
――やばい、逃げなきゃ、と直感が叫ぶ。
私の手足は思考より早く、逃げるために動き出そうとしていた。
だが、私の身構える気配を察したのか、それとも最初からそのつもりだったのか。彼の長い腕が伸び、私の両腕を力強く掴んだ。
……やってしまった。先日、彼のこういう危うい側面を見たばかりだったのに。彼に対して”良い人”であってほしいという都合のいい理想を抱き続けた結果、隙を作ってしまった。
彼の荒く乱れた呼吸が、冷たい夜風に乗って頬を撫でる。顔に吹きかかる生温かい吐息に、強烈な不快感を覚えて眉間を寄せた。どれほど整った美しい容姿をしていても、僕の意思を…いや、私の意思を無視して力ずくでどうにかしようとする姿はただただ不快で、吐き気さえ込み上げてくる。
腕を締め上げる力は次第に強まっていく。
彼の瞳の奥には、どうしても思い通りにしたい、という執着の炎が揺らめいていた。混乱で次の一手が浮かばない。昨日と同じ状況に陥り、どうすればこの状況から脱出できるのか、思考が千々に乱れる。
「律樹、俺やっぱり諦められない、こんなに心の内を明かしたのは律樹が初めてなんだ。家族の話をしたのも律樹が初めて。なのに手に入らないなんて生殺しだ」
彼の大きな目にたっぷりと涙を溜め、駄々をこねるように私の腕を強く揺さぶった。自分の思い通りにならない欲望に苦しむ、幼い子どもの姿そのものだった。
「俺、言いたかった、律樹と付き合えたら、”俺、律樹と付き合えなかったらストーカーになってたわ〜”って、笑いながら。でも俺、ほんとにストーカーになっちゃった」
私は声が出なかった。あまりのショックに声帯が凍りついたせいもある。何が起きているのか理解が追いつかない絶望感と、どこかで「少し経てば、いつもの有馬くんに戻ってくれるんじゃないか」という淡い期待を捨てきれずにいたせいかもしれない。
彼の片目からこぼれ落ちた一筋の涙が、街灯の鈍い光を反射して頬を伝っていく。有馬くんは震える唇を固く噛み締め、低い声で吐き捨てた。
「好きって、言って…」
憎しみと愛おしさと怒りが混ざった愛の訴え。語尾は優しいが要求は重い。呟くと同時に、彼は意を決したように私の腕を強引に引きずり、街灯の少ない道の奥へと歩き出した。…………今度はなんなんだ。その背中には、一切の迷いがなかった。
「有馬くん、どこ行くの?私は君のものにはならないし、これ以上何かしようとするのなら友達にもならない、お願いだから手を離して、君を嫌いになりたくない」
制止の叫びに、有馬くんは怒りを瞳に宿して振り向いた。
「じゃあ、俺を受け入れろよ!!」




