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誰の理想になりたいの

有馬くんが不機嫌な目を向けてくる。その奥底にどんな感情が潜んでいるのだろう。私がこの話を切り出したのには、もちろん意図があった。彼の”ニセモノ仕草”が、どうにも気になって仕方がなかったからだ。いわゆる「仕事ができて、頭のキレる優秀な男」という記号を無理やりなぞっているような。深雪ちゃんが以前言っていたように、憧れの誰かの立ち居振る舞いを模倣することが、自然な気遣いやプラスの成長に繋がることもある。だが、彼の場合は弊害のほうが大きそうだった。歪んだ解釈のもとで構築された、彼なりの「仕事のできる男像」を無理に演じているようにしか見えない。


現に、彼はもうすぐ社会人になるというのに、早くもサラリーマンを一段低く見る悪癖が顔を出している。この前、汗をかいたサラリーマンがうちの店で美味しそうに定食をかき込んでいる姿を見て、彼はこう吐き捨てたのだ。「エサにがっついて豚みたいなリーマンだな。アレはブラック企業勤めだわ〜。ああはなりたくないな」私が言葉を失って固まっていると、丸山くんが「いやいや、あのサラリーマンのおかげで俺たちの店だって回ってるんだし、立派だよ」と穏やかにフォローしてくれた。それに対して有馬くんは、「あー、まあな。アイツらが馬車馬のように働いて、腹を空かせて、家畜のようにエサに貪りつくおかげで、俺らの店も回ってんだもんな、感慨深けぇ〜」と、どこか冷ややかな笑みを浮かべて評したのだった。あの時のやり取りがあまりにも衝撃的で、今でも脳裏に焼きついている。


それに……以前、丸山くんがメガネからコンタクトにイメチェンしたり、パーマをストレートに直したりしたときも、きっかけはすべて「有馬くんにそう言われたから」だったはずだ。もちろん、他人の言葉にすぐ流されてしまう丸山くん自身にも問題はある。だが有馬くんの方は、これまでの人生で挫折を知らないがゆえの、危うい全能感で満ちているように見える。自分の内面にある欠落から目を背け、他者を支配して塗り固めることでしか保てない、そんな歪んだ支配欲が、彼の中で膨らみ続けている気がしてならない。こんなことを考えていると、やはり私は有馬くんのことを初めからちゃんと知っていた。しかし私が彼を無意識に”良い人”という分類にしたくて、彼の暗い一面を無視していたら、いつの間にか知人以下になってしまったのだな。

この惑星において、本当に見たくない部分というのは、認めたくない部分というのは、誰かとの対話や、そこから思考することを通してようやく気づくことが多い気がする。


まあ、私は日々のバイトの中で世間話を交わす程度の付き合いでしか彼を知らないのだから、これも勝手な憶測に過ぎないが…。それでも思い返せば、彼の言葉の端々には必ずと言っていいほど、他者を見下すニュアンスが混ざっていた。本当は、友達だと思いたい、良い人のままでいて欲しい彼の、そんな暗い一面など認めたくなかったけど。

丸山くんがいれば丸山くんを見下し、常に自分が優位に立っていなければ気がすまない。誰かを見下すことでしか安心できず、同時に自分が誰かから批判されるのを極度に恐れて予防線を張る。そんな振る舞いを、彼は無意識に繰り返している。


……そうか

彼はいつも他人の評価におびえていて、「ジャッジする側」の安全圏にいなければ耐えられないからこそ、こうして周囲に毒をまき散らしているのではないか?

そんな核心が、目をそらさずに真正面から向き合い始めた今、ようやく見えてきた気がした。


「ううん、尋問みたいに聞こえたならごめん。でも、有馬くんって……。なんか、誰かの理想になろうとしてる感じがあるって言うか、誰かになろうとしてるというか。それってホントに有馬くんなのかな」


私は彼の視線を真正面から受け止め、彼が自らの言葉で答えを紡ぎ出すのをじっと待った。お願いだから、逃げないで。有馬くんが最も触れられたくない、隠したがる部分こそ、私は知りたい。君が今、危険な状態にあるからこそ、僕……私は知る必要があるんだ。


「誰の理想なのかな。」


有馬くんはあからさまに視線を泳がせた。それから、無意識のストレスからか、痣が残る首を爪でひっかいたり、自分の唇を指先でなぞり始めたりする。やはり、踏み込まれたくない領域なのだろう。彼はアプローチには積極的なのに、自身のパーソナルな部分に話題が及ぶと、途端に貝のように口を閉ざして逃げ出そうとする。さっきも、自分から身の上話を切り出したくせに、少しでも深掘りされると途端に言葉に詰まってしまう。結局のところ、彼が求めているリアクションというのは、自分という人間への深い理解ではなく、ただの心地よい肯定や上辺だけの相槌なのだ。「そうなんだ、大変だったね」「つらかったね」そんなありきたりの言葉こそが、彼にとっての正解だったのだろう。きっと、そうなんだ。彼にとっての対話とは、自分を脅かさない無害な存在であるかを確認するための作業にすぎないのかもしれない。もしこの推測が的を射ているのだとしたら…。


……ごめん、私にはそんな当たり障りない相槌は打てそうにない。


「誰の理想……?これは誰のものでもない俺の理想だけど。…あっ!それより、律樹は普段こういうとこ来んの?」

「お父さん?お父さんがそう言ったの?子どもの時期が修行だって、自立しろって言ったの?」

「その話は一旦やめよう。なんか明るい話しようよ」

「私、ほかの話はどうでもいいかな。有馬くんの家族の話が聞きたい。どうしてお母さんとしか8歳の誕生日祝えなかったの?お父さんはその時どこ行ったの?」


あえて追及の手を緩めないように振る舞うと、有馬くんは小刻みに首や髪を触り、落ち着かない様子で自分の腕を撫で始めた。そして、ピタリとすべての動きを止めると、


「律樹。嫌いにさせないでくれよ。それ以上俺のその話に首突っ込まないでよ」


声のトーンこそ低く抑えていたが、その内側から立ち昇る感情は、禍々しい悪意を思わせるほどに黒々としていて、深く刻まれた眉間のシワが尋常ではない苛立ちを物語っていた。私もこれ以上険悪な空気のなかで食事を続けたいわけではなかったので、その場での追及はひとまず飲み込むことにした。


「ふうん。じゃあいいや。私はこういう所は全然来たことないかな。こういうところがあるのも深く知ったのは最近。すごくラグジュアリーでいいね」


私のその言葉を合図に、尋問が終わったと安心したのか、彼は嘘のように急速に饒舌さを取り戻した。


「俺はこういう所、何度も来たことあるよ。前の彼女とは記念日は毎回こういうとこ連れてきてやったし、なんでもない日にもプレゼントしてやったり。意外と俺ってサプライズ好きだったりするんだよな」

「ええ、いいね。相手も嬉しかっただろうね」

「うん。基本的に彼女と別れても円満別れできるっていうか。まあこういう性格だから別れても友達で終われるんだと思う俺は。自分で言うのもあれだけどさ」


ふうん。――もしそれが本当なら、少し、印象は回復する気がする。この惑星の存在のいわゆる”恋人”という関係は難しい。どんな関係であれ円満に破局を迎えるというのは至難の業だし、それを「基本」と言い切れるなら素晴らしいことだ。彼にもそういう一面があるのなら、少しは評価を改めなければならないかもしれない。

彼が自慢話をひとしきり終えると、なにやら手持ち無沙汰な様子でモジモジし始めた。

もよおしたのか?

やがて、こちらをうかがうようにチラチラと上目遣いで見つめてくると、意を決したような面持ちでぽつりと切り出した。


「……律樹は?」

「え?」


唐突すぎて文脈が読めず、思わず間抜けな声で問い返す。


「律樹は今…あ、いやこれは……じゃあ……えっと、……彼氏いたの?」


彼は視線を窓の外の夜景と私で行き来させ、どうしても私の目を直視できないらしかった。ごくりと喉を鳴らして水を飲み干すと、また気まずそうにこちらを盗み見る。


「彼氏はいないよ、ずっと!」

「でっ、ぇっ、今も!?」


有馬くんはソファから身を乗り出し、目をまん丸に見開いた。その黒目がちな瞳には、隠しきれない期待と歓喜の色がこれでもかと波打っている。


「うん、もちろん。今まで一度もできたことないな」


私の恋人の有無を知って、彼にいったいどんなメリットがあるというのだろう。その無邪気すぎるほどの笑顔の意味が、私にはどうしても理解できなかった。

彼は嬉しそうに肩をすくめると、「そっかあ、そっか、そっか……」と自分の両腕を抱きしめるようにして、沸き立つ感情を鎮めるようにさすり始めた。

表情はこれ以上ないほどニンマリとしていて、まるでずっと欲しかった、職人技の光る精密で繊細で美しい日本画の画集を手に入れたあの時の私のそれと同じだった。有馬くんはその表情を私に読まれるのを恐れたのか、急にウェイトレスはどこだろうというような感じで、視線を通路側に向け、探すような素振りをして顔を背けたが、引き締まらない頬の筋肉が彼の感情をすべて物語っていた。しかし、有馬くんがもし私と恋人になれる可能性に期待を感じてその振る舞いになっているのだとしたら、そのフラグはすでに昨日ぽっきりと折ったはずなので、ますます私は疑問だった。


__友達として、ここに来たんだよね?言葉通りに受け取って良かったんだよね?


彼がわざとらしくよそ見をしているのとタイミングを同じくして、注文の品を乗せたトレーを持ったウェイトレスがテーブルへと歩み寄ってきた。有馬くんは彼女と目が合ったことで不意を突かれたらしく、慌てて私の方へ向き直ると、「やば、目合っちゃった」と照れくさそうに笑ってみせる。


運ばれてきた料理は、思わず見とれてしまうほど洗練された盛り付けだった。見事ではあるけれど……広々とした白い皿の底が中央に向かって深く窪んでいて、その中央に申し訳程度のジェノベーゼパスタがちんまりと鎮座している。もう少しボリュームがあっても良さそうだが…。こうした高級店ならではのオシャレ、上品さの体現?なのだろうか。見た目は美しいものの、もう少し味わいたい。せっかく味覚が体験できるのだから。

ウェイトレスが去るや否や、彼は上品な手つきでフォークとスプーンを手に取ると、くるくると器用にパスタを巻き付け、躊躇なく頬張る。もっとこう……香りや盛り付けの美しさを愛でたりはしないのだろうか。だってこれ、このサイズで一皿3,000円もするんだよ……?

パクパクと無造作に口を動かす彼を私が見つめていると、不意に彼のフォークがぴたりと止まった。何か歯にでも挟まったのだろうか。私もつられて自分の皿に視線を戻し、フォークを使ってジェノベーゼを巻き取って口に運んだ。

……うん、美味しい!

なんだろう、この鼻を抜ける爽やかな緑の風味はバジル? それに、ローストされたキノコの香ばしさがたまらない。麺の種類は何だろう、この平べったく、もちもちとした弾力がある食感は……。いわゆる「フェッテチーネ」というやつなのだろうか。私は思わず胸が高鳴り、感動をそのまま彼にぶつけた。


「有馬くん、このパスタすごく美味しいね! フェッテチーネっていうパスタなのかな? 有馬くんのほうはどう? すごい贅沢な味がするよ」

「……フェットチーネだよ」


今日はもう帰ろう。



☆



数分食べることに集中して会話が疎かになっていたが、彼はふいに、ぱたりと食べるのをやめ、カトラリーを静かに皿の脇へ置き、再び思い詰めるような表情で深い沈黙の中に閉じこもってしまった。

再びの私のあまりの知識の浅さに、幻滅でもしたのだろうか?世間で言う「蛙化現象」というやつを、彼は今まさにリアルタイムで発症しているのだろうか。あまりの気まずさと、彼の動きのなさに思わず、「どうしたの?」と尋ねた。


「いや……さっきの話なんだけどさ」

「さっきの話?」


彼はまた、あの気まずそうな目で視線をあちこちに泳がせた。


「俺の……家族のこと。自分からあんな風に切り出しといて、急に機嫌悪くなったりしてごめん。俺、律樹のことすごく大切に思ってるのに、本当に大事な人に対する態度じゃなかったって反省して」

「ああ、その話か。全然気にしてないよ。触れられたくない事情なんて誰しも持ってるだろうし」


彼は無言で小さくうなずくと、置いたばかりのカトラリーを再び手に取り、かと思うと――またすぐにテーブルへと戻した。

先週の丸山くんと咲さんとご飯行ったあとの、帰りの丸山くんの様子とそっくりだ。なにか話したいことがあるが、悩んでいるのだろう。私は有馬くんが自然に話し始めるまでそのままモグモグしながら待った。


ようやく決心がついたのか、有馬くんがふっとこちらに顔を向けた。


「やっぱり…。律樹にだけは、聞いてほしいかも」


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