嵐の前の静けさ
有馬くんの部屋にはテレビがあるので、そこにYouTubeを繋ぎ、お笑い番組を見たりアニメの限定公開を一気見するなどしていた。有馬くんを横目でチラッと見ると、カフェでの振る舞いはまるで嘘だったかのように明るい雰囲気で、けらけらと笑いながらつまみを食べていた。彼が起きてから、試しに彼のベッドの上に荷物を置こうとしたらきっと睨まれ、「やっぱり嫌なんじゃないか」と思った。さっきの有馬くんは普段とは違っていたのだと改めて確信した。有馬くんも俺もお笑いが好きなので、その話でよく盛り上がる。有馬くんはサンドウィッチマンと霜降り明星が好きで、俺は真空ジェシカとマユリカが好きだ。番組を見ながら、俺と有馬くんは笑いについて素人目線で語り合った。
「どの芸人が好きなのかで、そいつの人間性がほんの数ミリ分かった気持ちになるよな」
「確かに。まあ俺は有馬くんのこと微塵もわからないけどね」
「俺はわかるぜ、丸山。お前は『リンゴで何を思い浮かべるか』と聞かれたら、『赤』や『おいしい』ではなくて、『スティーブ・ジョブズ』や『デスノート』を思い浮かべる方の人間だろ」
「おお、そうだよ。有馬くんは違うんだ?」
「違うね。俺は見たまま、感じたままを先に考えるタイプだ」
ふーん。どうでもいい。別に関係ないと思う。俺は空になったビールの缶を有馬くんのぶんもまとめて潰して袋に入れようとした。すかさず有馬くんが、「おい、潰すと業者の迷惑になるから潰すな」と言って、またテレビを見始めた。キッチンで買ってきたインスタントの麻婆豆腐を温めようと作業をしていると、リビングの有馬くんが大きく舌打ちをした。広告がタイミング悪く差し込まれたようだ。
「おいふざけんな。広告は無理やり俺らにプレゼンしていることをわきまえるべきだろ。なに当たり前に『千代田区にお住まいの皆さん、朗報です』から始めちゃってんの? まずは『皆様の大切なお時間を我々の私利私欲のための広告活動に利用させていただき、大変申し訳ございませんでした』だろ。『まだ投資始めてないの?』じゃねえよ。若者はまず自己投資だろ。図々しく人様の動画に広告を無理やり入れてるくせに、テレビと違ってぶつ切りして不快感を与えてるくせに初めから前置きなしに営業しようとしてんじゃねえぞ」
有馬くんはスマホで何かを操作し、広告をブロックしていた。
俺は麻婆豆腐が出来上がるまでその様子を一部始終、平和だなあと思いながら眺めていた。
出来上がった麻婆をあち、あちちとつまんでリビングのローテーブルに運ぶ。「ありがと」と有馬くんが受け取り、その隣に座る。テーブルにお祭りのように広げられたつまみを食い荒らしながら、こうやってどうでもいい話をするのも楽しい。有馬くんは温めたばかりの麻婆豆腐を箸で器用にすくいながら、
「俺、この前二郎ラーメンを食べに行った奴から話聞いたんだけどさ。あそこめっちゃルール厳しいらしいね」
と話した。話の後半は麻婆豆腐に気を取られてほとんど消え入りそうな声で話していたが、聞き取ることはできた。
「ああ、確かに。独特のルールはあるよね」
有馬くんはどちらかというと、そういう独特のルールのあるお店などに自らチャレンジするタイプではない。
「最近話題になるけどさ、ああいうアングラ趣味的な要素がある文化が、ある日から急に注目されてポピュラーになってきて、ライト層が流れ込んでその文化を荒らすのはどうなの?とは思う」
あれ? 意外とそういう文化が好きなタイプなのか。
「まあ確かに、ある界隈でひっそり楽しんでいたものがいつの間にかクローズアップされて、『そのルールは来る者を拒むからよくない』みたいな扱いをされるのは考えるところはあるよね。もともと大衆向けにやってないだろうし。まあただのイメージだけど、限られた者だけが辿り着く、みたいな感じのものだもんね」
「そうそう。ああいうのはさ、門が狭いからこそ、厳しいからこそ、店員との形容しがたい…信頼?認知?なんだろうな。絆?か何かが生まれた時のあの『認められた感』がいいんじゃないか?」
「まあ、俺も行ったことないからわかんないけど。要は、文化を荒らすなってことよ」
有馬くんもお酒がだいぶ回り、滑舌が怪しくなっていた。俺はこの状態の有馬くんは面白いのでかなり好きだ。いつもスカしているが、こう乗ってくると許容も広くなるし、特別酒に強いわけでもないので、結構きついことを言っても一瞬不機嫌になるだけで、2秒後には忘れて乾杯している。有馬くんは酔うとニワトリになるのだ。
俺は古事記の登場人物たちのように、良い意味でも悪い意味でも騙し討ちが好きだ。ここで弱っている有馬くんに日頃の不満をぶつけ、論破してしまおう。そうニヤニヤしながら考えていた。俺がそんな作戦を練っているだなんてつゆ知らず、どんどん興が乗って笑い上戸になっている有馬くんは、今日の俺のカフェでの怯え切っていた姿についてゲラゲラと笑いながら馬鹿にしてきた。その話をトリガーに、カフェでの恋愛観についての話もまだ話し足りなかったようで、彼はもう6杯目となる梅サワーを飲み干して、酒臭い息で話し始めた。俺はまだ2杯しか飲んでいないので彼よりは酔っていない。そのため酒の臭さもほとんど素面の状態でもろに受けてしまい、つらい。有馬くんの皮膚からも酒の匂いがする気がしてきた。
「…丸山、俺は律樹が好きだ」
「……知ってたよ」
「何、お前ライバルなの?」
「……しょーもな。ちげえよ」
唐突に、有馬くんは酔ってグラグラしている目で律樹への想いを告白し、唐突に俺に疑いをかけている。そんな疑いを持ちながらも、彼は俺に律樹への恋心を語り始めた。
「お前が俺のライバルじゃないと信じて話すけどさ、俺、律樹のことが好きだ」
もう一度、しみじみと自分に言い聞かせるように呟いた。
「俺、こんなに人を好きになったのは初めてなんだよ。自分から動いたのもほとんど初めて。大体女の方から俺にアピールしてくる人生だったし。まあ、見ればわかると思うけど、くくっ」
まったく面白くない。思い出したが、彼にユーモアはない。ずっと話術なんてなくても女からちやほやされてきたので、“港区女子”の男版みたいな感じなのだ。ただそこにいて「うんうん」「へえ」「面白い」とうなずくだけで、相手が勝手に彼に興味を持ってお膳立てしてくれているので、こいつは一切話術なんてなくても、いるだけで許されていたんだ。港区女子は時に自分の年齢よりもひと回りもふた回りも上の、しかも自分よりも力が強い相手と会話をしなくてはならないため、それなりに苦労がある。だが彼の場合、相手はほぼ若くて綺麗な女の子ばかりで、肉体的にも彼の方が強い肉体を持つため、より生ぬるい環境で話術も何もないつまらない男として許されて今まで生きてきたのだ。
笑いについて語ることも、二郎系について語ることも、本来は許されない人間なのだ。そんなユーモアの欠けた彼は、さらに話を続けた。
「この前、律樹を誘ってご飯行ったんだけどさ。俺、モブ扱いで。笑うよな。俺のことただのバイトメンバーとしか見てなかった」
彼は酔っ払いながらも、最低限の強がりで笑ってみせた。俺は黙って聞いていた。
「人生でこんなに『眼中にない』っていう対応されたの初めてで、正直その日の夜は泣いたよな。しかも変なこともあったし。てか俺、最近の俺ヤバくない? なんか病んでるのかもな。メンヘラなのかも」
「今までの行いが悪いんじゃない?」
俺は若干の嫉嫉もあったため、冷たく突き放した。有馬くんは特に言い返すこともなく、しばらく考え込んでいるのか寝ているのかわからないような感じで背中を丸め、体育座りをしてちびちび梅サワーを飲んでいた。
「誰かが手に入らないって、地獄だな」
「まだ始まったばっかじゃん。これからだよ」
俺はほとんど手を付けていない麻婆豆腐をずずっとかき込んだ。まだ生温かくておいしい。もっと温めておけばよかったかも。それから有馬くんは先ほどの俺の発言が引っかかっていたみたいで(当たり前だ、悪意を込めたのだから)、ぽつぽつと自虐的な愚痴のようなものを吐き始めた。
「この前さ、バイトの最寄り駅でサラリーマンのおっさんに急に肩ぶつけられてさ。俺やり返そうと思って振り返ったら、おっさん、スーツの襟が道路脇の植木の枝に引っかかって首が若干締まってた。あれ見たとき『インスタント因果応報だ』って思ったよね。ははは、今の俺ってそれかもな」
「ま、大丈夫じゃない? 良かったやん、モブで。悪役じゃなくて!」
「は? どういうこと?」
そのままの意味だ。
俺たちはいよいよ険悪な雰囲気になってきた。俺も、日々蓄積された怒りから、引き下がることはできなかった。




