異常に汚い部屋
そんなこんなで、俺たちは有馬くんのアパートの最寄り駅へと移動し、俺はなぜか有馬くんの大学用のノートパソコン入りショルダーバッグを持たされている。
今日は、きっと1日中“遅刻した罪人”としての扱いをされるのだろう。仕方がない。1時間も遅刻したのは俺が悪い。…が、これはあまりにも…いや。罪人が量刑を決めていいはずが無いか。
俺は重いショルダーバッグのせいで右肩に谷ができてしまい、ここに雨なんて降ったら雨水が溜まり、「水浴びをするのにちょうどいい」と鳥界隈で話が盛り上がり、やがて俺の周りに鳥が羽を休めに来てしまったら……などとつまらない妄想を広げていると、有馬くんがコンビニに寄りたいと言い出した。時刻はかれこれ17時半。きっと酒とつまみをいくつか購入しようという考えなのだろう。俺は右肩の罪の重みを感じながら、有馬くんについて行った。
購入後、有馬くんは当たり前のように俺にガシャガシャと缶やら何やらが入ったコンビニの袋を無言で押し付けてきた。結局何を買ったのかと中身を覗くと、つまみの他に甘いものがいくつも入っていた。有馬くんは意外にも甘党なのかもしれない。俺が袋の中身をじっと見ていると、有馬くんはその大きな目をキッと鋭くして、「勝手に見てんじゃねえよ」と苛立ちを態度に出した。いや、俺も食べるものだし別によくね……?とも思ったが、俺は彼の中では罪人扱いなので、その罪人らしく反抗せずに従うことにした。
有馬くんは177センチ、俺は179センチなので、ほんの少しの体格差とはいえ、俺がその気になれば有馬くんの言う“フィジカル”では有利であることを忘れないでいただきたい。奴隷扱いしてくれているが、その気になればこいつなんて……。
そんな思いが頭を巡ったが、いやいや、そんなこと俺は絶対にしない、と自分を落ち着かせた。俺は誰かを暴力でコントロールするなんて絶対に嫌だからだ。そんなこんなで若干ピリつきながらも、俺たちは有馬くんのアパートに到着した。彼の部屋は2階にある。有馬くんは結構上から目線でものを言ってきたり、俺のセンスを馬鹿にしたりする節があるが、意外にも質素なアパートに住んでいるなと毎回思う。
有馬くんが、ふと手のひらをこちらに差し出した。
「? 俺、手塞がってるから握手はちょっと…」
「はあ? 鍵だよ。俺のバッグの内ポケットに入ってるだろ、ほら」
自分で取れよ…。俺は苛立ちながらも罪人らしさを演じ、彼の言う通りにもたつきながら内ポケットの鍵を取り出した。(なんてかわいそうな俺)
有馬くんはそれをひったくるように奪い取り、荒々しく部屋の鍵を開け、自分の分だけのスペースを開けて後ろに続く俺に配慮などせずスタスタと中に入っていった。俺は急いで閉まるドアに片足をかけ、ぐいっとドアを開いて中に入った。ようやく荷物を下ろせる、と一息つき、玄関に腰かけた。有馬くんは俺が玄関に腰をかけたのとほぼ同時に戻ってきて、自分のショルダーバッグだけ引っ張り、リビングへ持って行った。
コンビニ袋も持っていってくれ。
俺はそんな有馬くんの様子に「まだ怒ってるのか」と呆れながら靴紐を解いていた。
すると、ふいにいつもの有馬くんの部屋の匂いではなく、なんだか川のような臭いがした。しかも、あまり良いとは言えない種類の臭いだ。なんだこの臭い。有馬くんは廊下の先にあるリビングのソファにどさっと横たわり、ベッドにショルダーバッグを置いてスマホをいじっていた。俺は靴紐を解き終わると、有馬くんの方へ向かった。リビングのドアを軽く開けると、さっきよりも川、あるいは池のような悪臭が濃く鼻を貫いてくる……臭い。
俺は臭いの元を確かめるべく、臭う方へ足早に向かった。有馬くんの部屋はそんなに広くもないので、すぐに臭いの元が判明した。
キッチンだ。
キッチンには水が張られたコップや鍋、茶碗がずらっと並べられていた。どの水も濁っていて、ここから悪臭が漂っていることはわざわざ鼻を近づけなくても自明だった。俺は素早く有馬くんを見た。
「ねえ、この洗い物っていつからこのままなのか覚えてる?」
有馬くんは気怠そうにスマホから目を離し、俺と目を合わせた。それから面倒くさそうに、
「わかんない。ずっとこれ」
「うそ。俺が前に来た時はこんなんじゃなかったよね?」
前回来たのは確か6日前だ。有馬くんは細かい性格だから、俺が有馬くんの家で飲んだりするときもいつも掃除が行き届いていた印象がある。初めて有馬くんの家に遊びに行ったときなんて、有馬くんのベッドの上に買ってきたものを置こうとしてめちゃくちゃ怒られたのを覚えている。しかし今、彼は外から持っているショルダーバッグをベッドの上に置いている。しかもベッドの上もかなり汚い。ゴミやら何やらが散らかっている。
一体どうしたのか。それに、今日はやはりいつもよりもだいぶ機嫌が悪いように見える。俺は以前にも遅刻して怒られたことはあったが、その時の有馬くんは怒りつつもすぐに機嫌を直してくれた。(有馬とう、とか言って)
今回はずっとこの調子で、家に着いてからも機嫌が悪い。俺が遅刻しすぎたからと言われればそれまでだが、仲良くなってから1年以上経つので、有馬くんのことも少しは分かっているつもりだったのだが。
「それに、部屋も汚れてるし。なんかあった?」
「なんもねえよ。文句あんならてめえが掃除しろ罪人」
やっぱり罪人扱いをしていたのか。
さすがの俺でもこの場所で飲むのは気分が悪くなるし、第一、換気もしたいので仕方なく俺が片付けてやることにした。この数日でどうしてここまで汚すことができるのか、逆に俺が知りたい。まずは有馬くんの部屋の窓を全開にして、臭い空気を外に逃がした。有馬くんは「このくそ暑い日に…ありえねー」と、エアコンを贅沢に強風でつけだした。お金持ちだなあ。
それにしてもこの部屋、俺の部屋も結構汚い方だが、それを上回るほどにひどい状態だ。食べたカップ麺の蓋や割り箸が落ちていたり、どこから持ってきたのかわからない木の葉や泥、それにおそらく土足で何度か部屋に入ったのか、靴の跡がそこらじゅうに残っている。掃除をしていくうちに、やはりここまで汚れているのはなんか変だ、とだんだん気味が悪くなってきた。
そうやって気味悪がりながらも部屋を掃除し、ふと部屋を見回すとリビングがだいぶ綺麗になっていた。
有馬くんもさっきより機嫌が直った様子で、スマホの画面から少し視線をずらして軽くリビングを見渡し、「すげー」と子どものような表情で呟いていた。俺は少し得意げな気持ちになったが、キッチンに戻ると一気に気分が落ちた。汚いのである。
見ると、食器には何か浮いていたり濁っていたり汚れが残ったままで、ため息が出た。俺は使われた気配のないおそらく新品のスポンジで一気に片付けることにした。なんだかカビ臭いので、それも除菌するつもりで45度の熱湯で洗った。
☆
すべてが終わるとすでに日は暮れていて、時刻も18時50分を指していた。あれからこんなに時間がかかっていたのか。俺はぐったりときれいになった部屋の床に寝そべった。あ、そういえば有馬くん…。そう思って彼の姿を探すと、ベッドカバーをベッドの上に被せ、その上で眠っていた。
…。寝顔だけは子どもっぽさが残ってかわいらしいのに、話すと急に嫌な奴だよなあ。そんで俺はそんな嫌な奴の部屋を掃除してるなんて、なんて徳を積んだんだ。これはもう、100万円降ってこないと帳尻が合わない。そう考えながら有馬くんの寝顔を見ていると、ぱちっと大きな目が開いた。
「うわぁあ!なんだよお前」
まるで俺がお化けみたいな扱いである。
「あ、ごめん驚かせて。掃除終わったから飲もうよ」
「ん? ああ、ありがとう」
自分で頼んだくせに、なんだか不思議そうな顔で俺をまじまじと見つめる。見つめたかと思うと、はっとなにか思い出したかのように、急に話し始めた。
「そういえばお前さ。この前、すぐそこのコンビニにいたよな?」
“すぐそこ”とは、彼の最寄り駅の傍のコンビニのことだ。
「この前って、いつ?」
「先週」
こいつはほんとに情報量が少ない。先週のいつだよ。
まあでも、先週有馬くんの最寄り駅で降りたのは、確かドッペルゲンガーくらい似ていた人物を見た日、友達とたまたま有馬くんの最寄り駅で飲んでいた時くらいだ。ドッペルゲンガーの件は伏せておいてそのことを彼に伝えると、
「へえ。お前ってさ、双子とかいるの?」
と突拍子もないことを聞いてきた。昨日のみなみといい、有馬くんといい、いったいなぜ俺の家族について聞き出そうとするのだろうか。不思議に思いつつも、俺は双子ではないと答えた。
「俺さ、先週お前に会って、たまごボーロとさきいかかな、それ貰ってからめちゃくちゃ体調悪いし夢遊病ひどいしで、だいぶやばいんだよ。なんか盛った?」
有馬くんは目を擦りながらぐったりと頭を垂れて、「昨日も全然寝れなかったし」と呟いた。
「たまごボーロ? いや、先週有馬くんの最寄りに行ったのは1回だけだし、その時コンビニには寄ってないし。あ、でもさ、変なこと言うけど、俺、有馬くんが俺にそっくりな誰かと話してるのは見た気がする」
もしかして、あの時有馬くんが話していたのは本当に俺のドッペルゲンガーだったのかもしれない。俺はあの時見間違いだと思っていたが、本当にあれは俺そのもののドッペルゲンガーだったってことなのか?
だとしたら俺ってどうなるんだ? 死ぬのか? てか、ほんとにこんなのあり得るの? 俺は頭が混乱してショートしかけていた。
「見たってどういうことだ。まさかドッペルゲンガーとかそんなオカルトな話に持ち込むわけないよな?」
「そんなつもりは無いけど、でもやっぱり有馬くんおかしいよ。急に夢遊病になったり部屋が汚くなったり。自分でもなんとも思わないの?」
有馬くんはさっきまでかなり短気な印象があったので、今回もこんな発言をしたらまたイライラし始めるだろうと思っていた。しかし先ほどの彼とは打って変わって、穏やかに淡々と質問を返してきた。
「……うん。正直、部屋が汚いなんて思ってなかった。そんなにひどいか? 俺の部屋」
「はっきり言ってゴミ屋敷の4歩手前だったよ」
「中途半端だな。5歩でいいだろ」
少し冗談を言えるくらいの精神状態ではあるようだ。先ほどまでの有馬くんの扱いづらさといったら格別だった。ブービートラップのカーニバルだったので身動きが取れなかった。
しかし、俺らしき人物にたまごボーロをもらって、そのあとから調子が悪いというのは気になってしまう。彼の今の様子を見ると、やはり睡眠不足が彼の精神に作用していて、そのせいで人間ネズミ捕りみたいな状態になっていたのだろうが、それにしても俺が掃除するおよそ2時間ほど寝たくらいで、ここまで人格は変わるだろうか?
色々と疑問は残るが、とりあえず気を取り直して飲み始めた。




