許されてきた彼
「大抵の女は支配されたがってるだろ?」
「ちょっと、意味がわかんないんだけど」
彼は一呼吸置いてから、呆れたような目で俺を見ながら話し始めた。薄まってとても飲める状態にないアイスコーヒーを俺のほうへとスススとずらし、空いたスペースを悠々と自分の肘置きに使った。
まるで俺がウェイトレスのような扱いだ。この空いたグラスを一刻も早く片付けてくれないか、というようなポーズのようだった。俺はすでに第三者からの意見を昨日もらっていたので、明らかにこの行為が俺を下に見ているからなのだと理解し、余計に腹が立った。
その、俺にグラスを押し付けたおかげでできた広いスペースを悠々と自分のために使いながら、有馬くんはめちゃくちゃな持論を展開し始めた。
「例えば、告白も男から。男に決定してもらいたがっている証拠だろ。プロポーズも男から。男が言うまで女は待つだけ。決断を俺に求めるんだよ」
なんだかデジャブだ、この光景。でも、以前どこでこの光景を見たのか思い出せない。
「告白されたい、エスコートしてもらいたい、高級ブランドのあのバッグを買ってもらいたい、プロポーズされたい、全部俺任せ。俺が決定権を握ってるんだよ。
しかも大抵の女は、自分が支配されても逃げない。俺がキツく当たっても逃げない。なんでかって、全て委ねてる自分を罰して欲しいから。判断できない自分を罰して欲しいから。だから俺が罰してやるんだよ」
俺の前に置かれたグラスの結露はだんだんと紙ナプキンだけでは持たず、とうとうテーブルに染み出した。
「浮気の容認もある種の自傷行為だよな〜。どっかで傷つきたい自分がいて、傷ついてる自分が好きなんだろ?それで女同士で傷の舐め合いするのが好きなんだろ。ほら、だからさ。いいよ、俺が話のネタになってやるよ。って感じで」
「ふーん」
「さっきの女も、きっと俺にエスコートされたがってる。もしも、ワンチャン俺から声をかけてもらって……付き合えたら……なんて」
有馬くんのこういう一面を見ると、だんだんとこの人は家庭に問題があるのではないかと邪推してしまう。
それとも、このナルシストで自己中心的な人格は、やはり彼の言うような、この男に捕まってしまった女性が育ててしまったのか。数々の“優しい”女性によって成功体験を与えられてしまった結果、こんな化け物ができてしまったのか。有馬くんのこの顔の皮を一枚剥がせば、そこに美しさなんて微塵も感じさせないような生き物なのに。なんで、なんで……。
いや、少し前の俺もその優しい人間の一人だったのを忘れてはいけない。少し前の俺は自分に自信がないというわけでもないが、確たる自分を持っていたわけでもなかった。しかし、この有馬サトルという男は違ったのだ。
いや、例えそうでなくても、確たる自分がまるであるように見せるのが上手く、スタイルもセンスもあり、話術もあるように見せるのが上手かった。だから俺は、有馬くんに言われて髪型を変え、メガネからコンタクトに変え、服装ももっと気を遣うようになった。
……もっと視座が高い人から見たらひよっこ、ペテン師にもほどがあるのだろうが、俺にはその、自分の発言に一切迷いがない姿が素晴らしく映り、なんと理想化までしていたのだ。こんなスタイリッシュな彼が、俺の友達?すなわち俺もスタイリッシュなのでは、と錯覚を起こしている部分もあった。
恥ずかしいが少なからずあっただろう。今となってはその魔法も解けて、つまらない自信過剰なハリボテに見えているわけだが……。俺に軽蔑されることなんかまったく想像していない有馬くんはまだ話を続ける。
「だって、例えば、俺と付き合った女で、振ってきた女いないもん。もちろん俺もモラルと知能はあるからさ。論破されて苦しくなったら暴力に走る人間以下の下等生物みたいに暴力はしないけど。浮気とか当たり前にしてたのに女は離れない。傷ついて苦しんでるのも、俺の浮気を見て見ぬふりしてたのも俺気づいてたけど。問い詰められたら、とりあえず適当な嘘言えばそれで納得してた。ありえない、嘘だ、って女側も分かってたっぽいけど。浮気されている自分を認めたくないのか、コンフォートゾーンから抜けたくないんだろうな。までも、そういう女って、俺じゃなくても次の男にまた傷つけられてを繰り返すと思う。この傷つけられる環境が気持ちいいんだよ絶対」
よくもこんなに話がすらすらとできるものだ。俺はにこにこして、先ほどから「ふーん」「なるほど」「すげえ」を順序良くわざとローテーションで使っているのにもかかわらず、おそらく有馬くんは気づいていない。別に聞き手は俺でなくてもいいのだ。単純に自身の極端で歪んだ持論を誰かに肯定されていれば気分が良いのだろう。
「あとは外見とスペックで判断するとなー。失敗するよな。自分で言うのもあれだけどさ、俺みたいな奴を見抜けないだろ?ほら、女って甘い言葉とかシンデレラストーリーとか大好きだから。俺が適当にサービスで甘いこと言って、最初の1週間くらいお姫様扱いしとけば、すぐハリボテのガードすっ飛ばして飛び込んでくる。“多分大丈夫、私のこと救ってくれる”、で俺みたいなのに引っかかる。それなのに離れる決断が苦手だから俺が決断するまでずるずる痛い目見るだろ。例えば、『君がいないとダメ、好きすぎて俺、もうどうにかなりそう♡』とか言えば、なんでも許してくれる。母性本能掴めばワガママ言い放題だし」
ここでようやく俺はデジャブの正体に気が付いた。
「……その傾向はどっちかというと俺らじゃない?女の子に初めてって言われたらすーぐ好きになるやん。目合っただけで俺のこと好きなんじゃね?とか思う男も多いし。優しくされたらもうメロメロじゃん。ちょろいのは俺らも……」
続けて話す前に、有馬くんはすぐさま遮る。
「でも男はフィジカルあるだろ。それに恋愛する上でのリスクが低すぎる。だからアホでも大丈夫、ってこと」
「フィジカルは他人を支配するためにあるものじゃないけどね。はあ、縄文人はそのフィジカルを活かしてめちゃくちゃ良い建造物作ったりしてたのに。いつから支配とか曲がったことにフィジカル使うようになったんだよ」
「お前そんなこと言うやつだっけ?」
有馬くんは、まさか格下の俺に反論されると思っていないようで、眉をしかめ、少しの動揺と苛立ちを見せた。
デジャブの正体は、祖父である。
「その理屈で行くと、今有馬くんと仲良くしてる俺も、傷つけられたい願望があるって事になる?」
有馬くんは満面の笑みでこう言った。
「違うの?」
そういえば、祖父はこんな奴だった。曽祖父に十分に愛情を与えてもらえなかったのかは知る由もないが、とにかく父との対立が激しかった。祖父は俺が中1の頃まではいたのだが、中2の秋頃、突然姿を消してしまったのだ。祖母の家のリビングのダイニングテーブルの上に、丁寧に用箋をしたためてあったのを覚えている。父はその用箋を受け取り、何とも言えない憎しみにまみれた表情を浮かべていたので、色濃く記憶に残っていた。
後に酒に酔った父が勢いで話していた内容によると、祖父が失踪するのはこの時すでに2度目だったのだ。
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一通り有馬くんの不快な持論を聞かされた俺は、カフェでの会計も奢らされた後(不快な持論の講演会の参加費用だと思うとなおさら腹が立つ)、有馬くんの希望で彼の家で宅飲みすることになった。有馬くんはてっきりアイスコーヒーのみで耐え忍んでいたのかと思ったが、すでにナポリタンと抹茶オレ、そしてデザートにモンブランまで頼んでいた。合計は有馬くんのものだけで2000円を超えていて、思いがけない出費に若干沈んだ。




