僕の星、君
街に馬鹿どもが大勢いる。22:30の改札は最悪だ。
恥ずかしげもなく改札付近で抱き合うカップル、酒でまどろむ意識の中、かすかに生きるプライドを守るために柱に隠れて愛を交換し合うカップル。もはや隠れていないのに、本人たちは隠れているつもりでいるようだ。改札を抜けて柱を曲がったらまたカップル。男の方は女に赤ちゃん言葉を使って甘えている。ストレスで脳がやられているんだろうな。俺はそんな馬鹿どもを睨み、心の中で罵倒しながらホームへ降り、空いている電車の優先席に座った。誰もいないんだ、俺を優先させろ。いつも通り本を開き、あの子を待つ。
16時からバイトで酷使した足を地面から浮かせたり、組み替えたりしながら読み進め、1駅、2駅すぎると、あの子が乗ってくる。同じバイト先の佐々木さんだ。いや、脳内では「律樹」と呼んでいる。佐々木律樹、俺の女神だ。よく笑い、優雅で、俺の理想を具現化したような容姿。さらさらの髪の毛、桃色の頬、ふわっと漂う柔軟剤の香り。香水なんてニセモノの香りは身につけない。すべてが理想的だ。律樹とシフトが被る日は遅番が多く、律樹はいつも締め作業をしてから上がるから、俺よりも遅く退勤し、この駅からこの車両に乗って家に帰る。行動を観察するに、この車両が降車駅のエスカレーターに一番近いからだろう。しかし……不安だ。変な奴に目をつけられたら、絶対に俺が守ってやるんだ。だからいつもこうやって退勤後に2駅前のカフェで1時間ほど時間を潰し、律樹が上がる時間に合わせて電車に乗る。万が一向こうに気付かれても言い訳ができるようにするためだ。
俺は幼い頃からモテてきた。小学校なんかは特に、クラスのほとんどの女子が俺に好意を向けた。年齢が上がるにつれて落ち着いてきたが、大学生の今でもモテている方である。これまでも、何となく付き合ってきた女はいた。容姿が気に入ったり、尽くしてくれそうだと感じたら、まあ、付き合ってやったりもした。だが、常に違和感があった。どいつもこいつも俺を完璧に満足させてくれることはなかった。キツい香水をつけてきたり、自立しないで俺に寄りかかってきたり。髪がパサパサだったり、部屋が汚かったり。言動に知性を感じられなかった時は、その場で別れを切り出したこともあった。
でも、今同じ車両の反対側にいる君……律樹は違う。彼女はすべてが完璧で、俺はきっと、彼女に出会うために生まれてきたんだと出会った瞬間に直感した。理屈じゃなく、本能がこの子だと言うんだ。俺は絶対に律樹を自分のものにする。律樹もそれを望んでいるはずだ。
そう考えを膨らませていると、律樹はいつもの一駅前で降りた。慌てて本を閉じて降車すると、そこに律樹の姿はなかった。律樹と似たスラッとした男だけが、同じホームに降りていた。
強い風が吹き、思わず目を瞑ると、次の瞬間には誰もいなくなっていた。見知らぬホームにぽつんと、馬鹿みたいな俺だけが突っ立っていた。
☆
翌日の休日の正午、俺はスマホと睨めっこしていた。律樹をディナーに誘う口実を練っていたのだ。
「今日夜、ひまー?笑」
……いや、キモいし断りやすいか。
「今日夜、空いてる?」
……空いてるとしても、目的が不明瞭だと誘いに乗りにくいか?
文字を打っては消しを繰り返し、すでに20分が経過した。部屋を行ったり来たりしながら考えを巡らせ、結局はこの結論にたどり着いた。
俺らしく端的に、自信を持って誘うか。
「今日夜、ご飯行かない?」
……よし。目的も分かりやすいし、語尾も柔らかな印象じゃないか。
緊張でじんじんと指先が脈打つ感覚を覚えながら、[送信]ボタンをタップする。送信されたことを確認し、すぐに通知と電源をオフにした。今日は珍しく律樹は早番だから、もうすぐ休憩だろう。律樹はいつも休憩後にスターバックスのホワイトモカ・Sサイズを片手に持って帰ってくる。きっとこれからスターバックスに行き、カフェインでリラックスするだろうから、返信は期待できるはずだ。
待つ間にコーヒーを淹れ、Netflixの恋愛リアリティショーと経済番組を交互に見ていると、恋愛リアリティショーのスタジオ見届け人がこんな会話を繰り広げていた。
『結局恋愛はタイミング! そしてプライドを捨てることですよね〜!』
『そうそう。タイミングも相性のうち。前の彼とも、性格は合うのにタイミングが合わなくて別れちゃいましたよ』
『えー、もったいない!』
『でも、大切な時にいなかったりしたら、ウーンって感じしません?』
『そうそう。彼、私がピンチの時こそいなかったんですよ〜』
見届け人たちは満場一致のようだ。なるほど。タイミングか。ふと気になってスマホの電源を入れる。すると、画面には律樹からの着信履歴が残っていた。タイミング……!
★
今朝の私は動揺していた。昨日、バイト先の人と出会ったからだ。名前は……なんだっけ。でも確か、妙に私を気に入ってくれているような人だった気がする。もしも変身した姿を見られていたらどうしよう。昨日の夜も不安で眠れず、今朝も混乱したまま身支度を済ませ、9:10には電車に乗った。移動中も昨日のことが気が気でなくて、バイトどころではなかった。
バイト先に到着すると、いつものメンバーがいた。しっかり者で、最初に私の教育係をしてくれた咲さん。親鳥のように慕って仕事を覚えたので親交も深い。そしてキッチンの丸山くん。丸山くんとはウマが合う。彼の出生図を見れば、話が合うのも納得の配置だった。この二人がいるだけで、忙しい中でも楽しさが勝るし、仕事終わりに三人でご飯に行くことも多かった。
「律樹おはよう。今日は休日でお客さんがたくさん来ると思うから、先に私がキッチンに入るね。ホールは律樹に任せたよ」
「ええっ、今日ホール私だけですか?!」
思わずシフト表を確認する。11:30まで私一人か……いけるかな。
「まあ一時間半耐えれば佐藤くん来るし、大変だったら俺らも交代で出るから、とりあえずやろうぜ」
丸山くんがフォローしてくれる。うちは人気店なので、休日となると開店前から列ができ始める。一人で回すには、かなり厳しい。
「あれ? 今日は早番3人だけなんですか?」
驚いて聞いてみると、丸山くんが炊きたてのご飯の湯気に眼鏡を曇らせながら答えた。
「そうそう。柿田さんは落単して卒業がかかったテストが入ったらしくて休み。清太は腹痛だってさ。だから悪いけど、ちょっと今日長めに…18:30まで入れる?」
「18:30!?まあ別になんの予定もないからいいけど…。落単か……。これは仕方ない。清太は本当? 一週間前も、その前も同じ理由で早番休んでたよ」
「まあまあ、早番でお腹を壊しやすい体質なんじゃないの?」
「いやいや…なわけあるかい…」
そんなわけで、ホールを一人で回すことになった。
開店早々大忙しで、気づくと12:30を回っていた。ようやく休憩だ…。
「一番(休憩)入りますー」
ロッカー(手作り感満載の、こぢんまりしたスペース)からスマホを取り出す。
ロック画面をタップすると、昨日の彼から連絡があった。
『今日夜、ご飯行かない?』
急に? そもそも、なんで? やっぱり昨日の変身を見られた? 他の人にバラされる? 悪い方に想像が膨らみ返信を躊躇していると、
「お! 有馬くんじゃん。やるなあ〜」
丸山くんが後ろから画面を覗き込んできた。
「ちょっ、勝手に見ないでよ!」
「ごめんごめん。有馬くんと仲良いの?」
ゴシップ好きの丸山くんが目を輝かせる。
「いや、そんなんじゃないよ。というか、この人有馬さんっていうんだ」
「知らなかったの? 何度かシフト被ってたじゃん」
「うーん…話したことない人の名前、あんまり覚えられなくて」
「へえ。そうだっけ?だとしてもイケメンだから関係なく覚えてるもんだと思ってたわ」
丸山くんは意外そうに顎をさする。
「それより、行くの?」
「だから、会話したことないから迷ってるってば」
正直、もし見られていたとして、変身について問われるのが怖い。スマホを上下に揺らして考えていると、画面が丸山くんの方へ傾いた拍子に、パッと通話ボタンを押されてしまった。
「ねえ! 何してんの!」
大急ぎで通話を切ったが、着信履歴が残ってしまった。余計なことを……! 丸山くんを睨むと、彼はけらけら笑いながら「恋のキューピッド! チャンス逃したな〜」と気にする様子もない。
「勘違いされたら困るんだから……もう」
そうこうしているうちに10分経過したので、バタバタと準備していつものスタバに向かった。「次やったら店長に言うから!」と釘を刺し、休憩のためのミニバッグにスマホを突っ込んだ。
その直後に、何度もスマホに通知が届いていることも知らずに。




