どうにかなりました
公爵家の前庭で起きたことは、あの晩あそこに立っていた客の数だけ、口から口へ運ばれていった。
下の娘が公爵家の迎えの馬車に乗り込み、上の娘は乗合で来た。継母は公爵に、上の娘は気分がすぐれないと言った。下の娘は、馬車には席がなかったはずだと叫んだ。話は乗合の噂より速く王都を回り、伯爵家の朝食の銀の盆には、その週のうちに、招きの手紙が一通も載らなくなった。
屋敷の中は、静かだった。
継母は、私と廊下ですれ違いそうになると、別の扉へ入っていった。アンブルは部屋にこもって、ときどき泣き声だけが廊下に漏れてきた。父は書斎に籠もったきりだった。
舞踏会の翌々日、公爵家から、先代公爵夫人の名で父に手紙が来た。婚礼までのあいだ、上のお嬢さんを、わたくしが後見として公爵家でお預かりしたい。そういう手紙だったと、あとで執事がこっそり教えてくれた。
父はその日のうちに、公爵家への詫び状と、婚約の承諾書を書いて送った。
夕方、執事が私の部屋の扉を叩いた。手に、封筒を一つ持っていた。
「旦那様が、これをお嬢様にと」
父の書斎は、私の部屋の真下にある。階段を降りれば、すぐに行ける。それでも父は、手紙にしたのだった。顔を合わせて言いにくいことは、紙に書く人だ。母が亡くなったときも、再婚が決まったときも、父は私に手紙を寄こした。
便箋には、一行だけあった。
お前はどうにでもなると思っていた。
しばらく、その一行を眺めていた。窓の外で、楡の葉が一枚落ちた。
私は机に向かい、同じくらい短い返事を書いた。
どうにかなりました。
封をして、執事に渡した。父がそれをどんな顔で読んだのかは、知らない。
◇
公爵家へ移る日は、よく晴れた。
荷物は多くなかった。若草色のドレスと、灰色の外套。母の形見の小さな箱。それから、使い切った回数券の綴りが三冊。穴だらけの厚紙は、捨てる気になれなかった。大きな荷は、朝のうちに公爵家の荷車が運んでいった。
ショールは、とうとう返ってこなかった。アンブルの箱に入ったきり、誰もそのことを口にしなかった。
迎えは、馬車ではなかった。
昼前、マルトと楡通りの角へ行くと、停留所にオクターヴ様が立っていた。下りの緑で来て、私たちを待っていたのだという。少し離れた楡の木の陰には、帽子の職人さんが、腕を組んで寄りかかっていた。
マルトは、帽子の箱を一つ抱えていた。荷車に載りきらなかったものだ。オクターヴ様は、それを見るなり手を伸ばした。
「これは私が持つ」
マルトが、急に咳きこんだ。片方は帽子の箱でした、と私が言った晩のことを思い出したのだと思う。私も、少し笑ってしまった。
やがて、上りの緑が角を曲がってきた。段の上で鈴を振っていたのは、昼の便の若い車掌さんではなく、ジョスさんだった。
「今日は、わしが昼の便をもらいましたんでね」
家族は、誰も見送りに出てこなかった。振り返ると、門の内側に、執事と、あの晩に何か言いかけた若い女中が立っていた。女中は、今度はちゃんと口を開いた。
「お嬢様、おめでとうございます」
門から角まで届くように声を張って、それから真っ赤になって執事の後ろへ戻った。
乗合が動き出す前に振り返ると、父の書斎の窓のカーテンが、一度だけ揺れた。
昼の緑には、買い物帰りの奥さんたちと、使いの小僧さんたちが乗っていた。帽子の箱を膝に載せた紳士が一番奥に座り、その隣に私が座ると、車内のあちこちでささやきが起きた。あれが緑の公爵様、本当に乗っていらっしゃる。
「帽子の箱を抱えた公爵閣下というのは、初めてお見かけいたします」
入口の脇から、マルトが言った。今月のマルトは、初めてお見かけするものが多い。
◇
公爵邸の玄関で、先代公爵夫人が待っていてくださった。
「よく来たわね、クレマンス。今日から、ここがあなたの家よ。婚礼までは、わたくしがお預かりします」
家令のアンセルムさんが、二階の南向きの部屋へ案内してくれた。窓から、門の前の停留所が見えた。
「その部屋にしなさいと言ったのは、オクターヴよ」
後ろから来た先代公爵夫人が、扇を閉じたまま言った。
「緑が来るのが見えるからですって。あの子、ほかに理由を言わなかったわ」
隣の小部屋が、マルトの部屋だった。マルトは自分の荷を解く前に、私の若草色のドレスを衣装棚に掛け、裾の具合を確かめていた。
その日の夕方、オクターヴ様が小さな包みを二つ持ってきた。
一つめの包みには、指輪が入っていた。
二つめの包みには、新しい回数券が一冊入っていた。
「まだ穴が一つもない。使い切ったら、また渡す」
前庭の晩の帰り、使い切った回数券の代わりに、私が最終便の運賃を銅貨で払うのを、この方は隣でじっと見ていたらしい。
「公爵家の馬車があるのに」
「乗合が好きだと言ったのは、君だ」
私は、指輪より先に回数券を受け取ってしまった。オクターヴ様は、それを見て笑いをこらえていた。
婚礼は、春に決まった。
「次の夜会からは、二人で緑に乗ろう」
オクターヴ様がそう言うと、居間の長椅子から先代公爵夫人が顔を上げた。
「わたくしは馬車で行きますよ。わたくしが乗ったら、席が一つ減るでしょう」




