楡通りが静かになる
評議の三日前の夜、西の丘の上の屋敷で夜会があった。
広間の暖炉のそばに、若い夫人たちの輪ができていた。その真ん中で、紫のドレスのジスレーヌ様が、扇をゆっくり動かしていた。
「評議が済めば、楡通りもようやく静かになるわ」
よく通る声だった。輪の外にいる私にも、ちゃんと届くように話しているのが分かった。
「毎朝、暗いうちから鈴の音で起こされるのは、もうたくさん。それに、停留所の前に立っている人たちときたら。どこの誰とも分からない人が、わたくしの屋敷の門の前を、毎朝ぞろぞろ通るのよ」
輪の夫人たちが、扇の陰で相槌を打った。
「乗合で来たお嫁さんは、停留所のために、評議にお出になるのですって。ご自分の育った通りの、ご自分の乗っていた停留所のために。お気持ちは、分かりますけれど」
ジスレーヌ様は、そこで私のほうへ顔を向けて、にっこり笑った。
「ねえ、ベルクール嬢。あの角の停留所が、そんなにお名残惜しい?」
私は裾をつまんで、軽く頭を下げた。
「はい。毎朝、あそこで、たくさんの方が降りますので」
「まあ。どなたが?」
「評議の日に、お分かりになると思います」
ジスレーヌ様の扇が、一度止まって、また動き出した。
そのとき、私の後ろから、低い声がした。
「乗合で来たのは、私もだ」
いつのまにか、オクターヴ様が私の隣に立っていた。手に、二人分の飲み物の杯を持っていた。
「今夜も、緑の一番奥でな。モルヴァン侯爵夫人も、一度乗ってみるといい。門の前を毎朝ぞろぞろ通る人たちが、どこから来るのか分かる」
輪の夫人たちが、扇の陰で顔を見合わせた。ジスレーヌ様は、笑ったまま、何も言わなかった。笑ったまま、扇を閉じた。
輪から少し離れたところで、茶会の令嬢たちが、気まずそうに扇を動かしていた。今は、あの人たちも緑に乗る側だ。裾を膝の上で畳んで。
その中の一人が、そっと私のそばへ寄ってきた。茶会の帰りに「今夜、畳んで乗ってみます」と言った人だった。
「クレマンス様。私たちも、評議に行ってもいいかしら」
「評議の間には、席がないかもしれません」
「立っています。私たちだって、乗合の客ですもの」
◇
次の日の昼過ぎ、継母が公爵邸を訪ねてきた。
先代公爵夫人は、お会いにならなかった。「わたくしの家からのお招きはない、と申し上げた方ですから」とだけ言って、居間の扉を閉めた。代わりに私が、応接の間で会った。
継母は、裾を雪で濡らしていた。
辻馬車で噴水広場まで来たけれど、そこから先の坂を、辻馬車が雪で上れなかったのだという。継母は、濃い紅のドレスの裾を絞りながら、坂を歩いて上ってきたのだった。
「お座りになってください」
私が言うと、継母は一瞬目を見開き、それから椅子に腰を下ろした。伯爵家にいたころ、継母の前で私が椅子を勧める側に立ったことはない。
「用件だけ言うわね」
継母は、濡れた手袋を膝の上でそろえた。
「楡通りの停留所の願いには、わたくしも名を書きました。あなたも、公爵様にお口添えなさい」
「お口添え、ですか」
「あの停留所のせいで、うちは三年、通りじゅうの噂の種だったのよ。伯爵家の上の娘が、毎晩ドレスで乗合を待っている、って。あの角を通るたびに、どこの屋敷の窓からも、見られているような気がしたわ」
継母は、そこで私の顔を見た。
「あなたのせいでもあるのよ。分かるでしょう」
私は、膝の上で手を重ねた。
言おうと思えば、言えることがあった。父が、毎朝あの停留所から緑に乗っていること。継母が名を書いたあの停留所で、伯爵家の通いの女中も、毎朝降りていること。
けれど、言わなかった。父のことは、父が言うことだ。
「お継母様。停留所は、乗る人のものです」
私は言った。
「評議で、乗る人のお話を、聞いてください」
「乗る人?」
継母は、眉をひそめた。誰のことを言われたのか、見当もつかない様子だった。
しばらく私を見ていて、それから、継母は立ち上がった。手袋をはめ直しながら、言った。
「あなたは、昔から手のかからない……」
そこまで言って、言葉を探すように唇を動かし、結局、父の言葉で締めくくった。
「どうにでもなる子だったわね」
◇
玄関まで見送ると、ちょうど門の前の停留所に、下りの昼の緑が止まるところだった。
「お継母様。緑なら、坂を下れます。楡通りの角で降りられますわ」
継母は、門の前の緑を見た。車内には、昼の買い物の奥さんたちと、使いの小僧さんたちが座っていた。席は、空いていた。
「結構よ」
継母は、裾を持ち上げて、雪の坂を下りはじめた。
緑の若い車掌さんが、段の上から私と継母の背中を見比べて、鈴を鳴らした。緑は継母を追い越して、坂を下っていった。
窓から見ていると、継母は何度か足を滑らせながら、噴水広場のほうへ小さくなっていった。




