どの便で行けますか
「私の分は、要りません」
私は、書斎の前でそう答えた。
「評議のあいだ、立っています。乗合で、立つのには慣れていますから」
オクターヴ様は、すぐには何も言わなかった。私の手の書面を取って、付き添いの席の欄に目を落とした。
「では、私も立つ」
「オクターヴ様は、座っていてくださらないと。乗合の側の席なのですから」
「乗合の主が座って、乗合の客が立つのか」
そう言われてしまうと、私には言い返しようがなかった。オクターヴ様は書面を私の手に戻して、少しだけ笑った。
「四つの席に、誰を座らせる」
「それを、これから決めます。誰なら来られるのかを、まず聞かなくては」
◇
次の晩から、私は夜の緑で、常連の人たちに一人ずつ評議の話をした。
最初に話したのは、ドニーズさんだった。
「あたしが、王宮の評議に?」
ドニーズさんは、籠を膝から落としそうになった。
「楡通りのお屋敷の厨房にも、パンを届けているでしょう。停留所がなくなったら、どうなるか」
「噴水広場から、籠を担いで坂を上るんですよ。冬に」
ドニーズさんは、ぶるっと肩を震わせた。それから、急に真顔になった。
「評議って、昼間でしょう。店は」
「ご主人と、甥御さんは」
「……甥っ子が、窯の番くらいは、できますけどね」
看護婦さんたちには、年かさの人に話した。夜勤明けの朝は、眠る時間だ。
「評議が終わってから、眠るわ。雪の夜の話なら、私がいちばんよく知っているもの」
ブノワさんは、腕を組んで唸った。昼は親方のところで石を割る仕事があるという。
「親方に、どう言やいいんで。王宮へ行くから休ませろ、なんて」
これには、オクターヴ様が答えた。公爵家の西の翼の普請を、ブノワさんの親方に頼んである。その親方へ、評議の日の朝だけ、ブノワさんを公爵家の用で借りると伝える。
「公爵家の用、ねえ」
ブノワさんは、石の粉の付いた上着の襟をつまんで、まんざらでもない顔をした。
◇
部屋に戻ると、私は小さな手帳を開いて、時刻表を書いた。
評議は、王宮の西の翼で、朝の十時に始まる。緑で行けば、楡通りから王宮前までは、すぐだ。看護婦さんたちは、夜勤明けにいったん施療院を出て、噴水広場から乗る。ドニーズさんは、朝のパンを焼き終えてから、東の市場の始発の次の便に乗る。ブノワさんは、川沿いから。
みんなが同じ一台に乗れる便を、手帳の上で探した。
三年、乗合に乗ってきて、私は時刻表をほとんど覚えている。何時の便が混んで、どの停留所で誰が乗り、どの便なら座れるか。家の馬車に席がなかったおかげで、覚えたことだった。
見つけた。東の市場を九時前に出る便だ。川沿いでブノワさん、楡通りでジョルジェットさん、噴水広場で看護婦さんたちが乗れば、評議の始まる前に、少し間を置いて王宮前に着く。
手帳から顔を上げると、マルトが戸口に立って、私の手元をのぞいていた。
「お嬢様が時刻表を書いていらっしゃるのを、久しぶりに拝見いたしました」
「伯爵家にいたころは、毎晩書いていたわね」
「はい。家の馬車の出る刻限を聞けないので、乗合の刻限から逆に数えて」
マルトはそれだけ言って、私の肩に肩掛けを掛けた。
次の朝、手帳をオクターヴ様に見せた。オクターヴ様は、私の書いた時刻と停留所の並びを指でなぞって、しばらく黙っていた。
「乗合の事務所の時刻表より、こちらのほうが正確だ」
「事務所の時刻表は、乗る人の都合を書いていませんもの」
オクターヴ様は、手帳を閉じて返しながら、喉の奥で笑った。
◇
ジョルジェットさんにだけは、なかなか言い出せなかった。
朝の楡通りの停留所で、何度か顔を合わせた。そのたびに、ジョルジェットさんのほうから、母親が施療院で元気になってきたと話してくれた。
何度目かの朝、私はようやく言った。
ジョルジェットさんは、包みを抱えたまま青くなった。
「私が……奥様の願いに、逆らうのですか」
それは、そうだった。評議で停留所が要ると話すことは、モルヴァン侯爵夫妻の願いに、自分の屋敷の洗濯女が逆らうことになる。暇を出されたら、施療院の薬代も、川沿いの家賃も払えない。
「無理には、お願いしません」
私は言った。
「来られたら、席は取っておきます。来られなくても、誰も責めません」
彼女は、長いあいだ黙っていた。
上りの緑が、坂の下から上ってきた。彼女は包みを抱え直して、モルヴァン家の裏木戸のほうへ歩き出した。
少し行ってから、振り返った。
「……楡通りがなくなったら、私は、どのみち通えません」
小さな声だった。それだけ言って、ジョルジェットさんは裏木戸の中へ消えた。




