↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「馬車にあなたの席はないわ」と継母が言うので、乗合馬車で夜会へ。隣に座ったのは公爵閣下でした【連載版】  作者: みれいぬ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/18

箱が、二つでしたので

「はい。あなたも、今夜は終点まで?」


「仕事で」


 返ってきたのは、それだけだった。乗合は楡通りを離れ、噴水広場へ下る大通りに入った。窓の外を、ガス灯の明かりが一つずつ後ろへ送られていく。


 本の人はしばらく窓に顔を向けていたが、やがて私のほうへ向き直った。


「失礼だが、伯爵家の方だろう。なぜ、いつも乗合で」


「家の馬車に、私の席がございませんので」


「三年ですよ、三年!」


 入口の脇から、ドニーズさんの声が飛んできた。籠を抱えたまま、腰を浮かせている。


「こんなにきれいに支度したお嬢さんを、置いて行くんですよ。下のお嬢さんのドレスの箱は乗せるのに!」


「ドニーズさん、声が」


「いいんですよ、言わせてくださいな」


 看護婦さんたちが、口をそろえてそうだそうだと言った。本の人は入口のほうを一度見て、それから私に目を戻した。


「知っている」


「え?」


「去年の秋、雨の夜だった。楡通りの停留所に、ドレスのご令嬢が立っていた。その前を、紋の付いた箱馬車が、止まらずに通り過ぎていった。私はこの窓から見ていた」


 あの晩のことは、よく覚えている。雨が強くて、私とマルトは一本の傘を裾のほうへ傾け、二人とも肩を濡らしながら緑を待った。家の馬車の車輪が水たまりを跳ね上げていったのも、覚えている。


 あの晩、乗合の窓の内側に、この人がいたのだ。


「あの夜は、予備のドレスの箱が二つでしたので」


 本の人の目が、一度だけ瞬いた。


 それから、喉の奥で何かがはじけたような音がした。肩が揺れ、揺れが止まらなくなって声になり、膝の本を押さえたまま、本の人は笑い続けた。小声で歌っていた看護婦さんたちが口を閉じ、後ろの段のジョスさんが、何事かと車内へ首を突き入れた。入口の脇の職人さんまで、帽子の下で肩を揺らした気がした。


「すまない。……箱が、二つ」


「はい。片方は帽子の箱でした」


 本の人は額に手を当てて、また肩を震わせた。


(書記さんが、こんなふうに笑う人だとは思わなかった)


 噴水広場を過ぎ、乗合は西の丘への上り坂にかかった。


「公爵邸前ー」


 鈴が鳴り、灯りの並ぶ大きな門の前で乗合が止まった。入口の近くに座っていた、お仕着せの上に外套を羽織った女の人が二人、そこで段を降りた。公爵家の下働きの人たちだろう。降りぎわに奥のほうを振り返り、そろって膝を折りかけた。本の人が小さく首を横に振ると、二人は慌てて門の中へ駆けこんでいった。


(公爵家の書記さんは、ずいぶん敬われているのね)


 そう思ったものの、聞くのはやめておいた。本の人が、また本を開いたからだ。開いたまま、一枚もめくらなかった。


「王宮前ー、終点でございます」


 ジョスさんの鈴が鳴った。


 王宮の門の前には、着いたばかりの箱馬車が連なっていて、どの扉にも紋章が光っていた。扉が開くたびに、絹の裾と黒い礼装が灯りの中へ降りてくる。その列から少し離れた敷石の上に、緑の乗合は止まった。


 本の人は先に段を降りると、外套の釦を外した。灰色の下から現れたのは、仕立ての良い黒の礼装だった。


 門の衛兵がこちらに顔を向けた。それから槍をまっすぐに立て直し、背筋を伸ばした。


「アルドワン公爵閣下!」


(閣下?)


 本の人は衛兵に軽くうなずき、灰色の外套を腕の上で畳んで、後ろの段へ差し出した。


「帰りの便で受け取る」


「へい、承知しました、旦那」


 ジョスさんは、眉一つ動かさなかった。居眠りをしていた職人さんも、いつのまにか段を降りていて、帽子のつばを下げたまま、門の柱のそばに立っている。


 本の人は、私に向き直った。


「名乗るのが遅れた。オクターヴ・アルドワンだ。この乗合を走らせている者だ」


 アルドワン家といえば、王都の公爵家の中でもいちばん古い家だ。その当主が王家に願い出て、乗合馬車を始めた。私が初めて緑に乗った、少し前のことだったはずだ。社交界には、それを面白がって、陰で「乗合公爵」と呼ぶ人たちがいる。


 書記さん、どころではなかった。後から段を降りてきたマルトと、目が合った。マルトの片方の眉が、わずかに持ち上がっていた。公爵邸前のお仕着せの人たちが膝を折りかけたわけも、ジョスさんが少しも驚かないわけも、これで分かった。


 頭の中で、言うべきことがいくつも渋滞した。けれど口から出てきたのは、いちばん正直な言葉だった。


「クレマンス・ベルクールでございます。いつも、お世話になっております」


 公爵閣下は真顔のまま、胸に手を当てた。


「こちらこそ。ご乗車、ありがとうございます」


 マルトが小さく咳をした。笑いをのみこんだ咳だと思う。


 それから公爵閣下は、私のほうへ肘を曲げてみせた。


「同じ乗合で来た者どうしだ。一緒に入らないか」


 マルトは一礼して、門の脇の供の控えの間へ歩いていった。私は、黒い袖の上にそっと手を載せた。


* * *


 王宮の回廊は長い。公爵閣下は、私の裾がもつれない速さに歩みを落として、黙って歩いた。回廊の窓から、門の前に並ぶ紋章の馬車の列が見えた。どこかにベルクール家の馬車もあるはずだった。


 回廊の先で、大広間の扉は開け放たれていた。


 扉の脇に立つ取次は、私たちの組み合わせに一瞬だけ言葉を探した。それから胸を張り、広間の隅まで届く声で告げた。


「アルドワン公爵閣下、ならびに、ベルクール伯爵家、クレマンス嬢」


 天井から下がる大燭台の下で、数えきれない顔が、いっせいにこちらを向いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
時代背景的なものか性別をハッキリさせるからなのかわかりませんが 「看護婦」ていう言葉は女性名詞。 同一職業の男性名詞の「看護士」 何年も前に両性名詞の「看護師」に統一されています。 ちょっと気になった…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。