楡通りの停留所を外せ
冬の夜会から何日かたった朝、公爵邸の庭が一晩で白くなった。
窓辺に立つと、門の前の停留所の屋根にも、雪が薄く積もっていた。朝の緑が坂を上ってきて、雪を踏む車輪の音が、いつもより低く聞こえた。降りてきた下働きの人たちが、肩の雪を払いながら門の中へ駆けこんでいく。洗濯場の人の包みは、今朝も大きかった。
朝食の席に下りると、オクターヴ様が、封の切られた手紙を二通、皿の脇に並べていた。
「王家の街路院からだ」
一通目は、乗合の許しの見直しの知らせだった。
乗合馬車は、四年前に王家の許しを得て走りはじめた。許しは五年ごとに見直すことになっていて、来年の春が、その最初の見直しにあたる。その前に、街路院で評議を開く。路線の通りに住む者から願いがあれば、そこで聞く。そういう知らせだった。
「もう一通は、その願いの写しだ」
オクターヴ様が、二通目を私のほうへ滑らせた。
楡通りの停留所を、外していただきたい。
願いの文は、丁寧な言葉で、三つの理由を挙げていた。朝の暗いうちから、乗合の鈴が鳴って眠りを妨げる。屋敷の並ぶ通りの角に、身分の低い者が立って乗合を待つ。近ごろは流行りの令嬢たちが停留所に集まり、夜ごとに騒がしい。
三つ目の理由を読んで、私は少しだけ唇を噛んだ。令嬢たちが緑に乗るようになったのは、王宮の広間で、私が乗り方を話したからだ。楡通りの停留所に夜ごと令嬢たちが集まるのは、あの角が、私が三年立っていた停留所だからだ。
その下に、楡通りの屋敷の主たちの名が並んでいた。
いちばん上に、取りまとめの名があった。モルヴァン侯爵。
「モルヴァン家の屋敷も、楡通りにある」
オクターヴ様が言った。
「侯爵は、街路院の評議に席を持っている。願いの取りまとめ役になれる」
ジスレーヌ様の家だ。茶会で、乗合の匂いが苦手だと言った人の。
私は、名の列を上から下まで読んでいった。見覚えのある家の名が、いくつもあった。三年、楡通りの角に立って緑を待ちながら、その窓の灯りを見上げてきた家々だった。
列の真ん中あたりで、目が止まった。
ベルクール伯爵夫人、オルタンス。
継母の字だった。家の帳面の上で、何度も見てきた字だ。少し右に傾いて、最後の払いだけが長い。
その上にも下にも、父の名はなかった。
継母が、楡通りの停留所を嫌うわけは分かる。社交界に出てからずっと、夜会のたびに、伯爵家の上の娘がドレスで角の停留所に立ち、乗合に乗っていった。通りの屋敷の窓という窓が、それを見ていた。下働きの口から口へ、噂は乗合の速さで回った。継母にとって、あの停留所は、家の恥が毎晩そこに立っていた場所なのだ。
父が名を書かなかったわけは、分からない。揉めごとが嫌いな人だから、ただ書かなかっただけかもしれない。
「……楡通りの停留所が、なくなったら」
口に出してから、私は自分の声が少し硬いのに気づいた。
「楡通りから乗っている人たちは、どうなるのでしょう」
「噴水広場まで歩くことになる」
オクターヴ様は、窓の外の雪に目をやった。
「楡通りは、緑の路線のちょうど真ん中だ。あそこを外せば、川沿いと噴水広場のあいだに、長い空きができる。評議では、争うつもりでいる」
「評議は、いつですか」
「冬至の前だ。雪が深くなる頃になる」
先代公爵夫人が、お茶を注ぎ足しながら言った。
「鈴がうるさいとおっしゃるなら、窓を閉めてお休みになればよろしいのに。冬なのだから」
扉のそばで、アンセルムさんの肩がかすかに動いた。家令が笑うところを、私はまだ一度も見たことがない。
私は願いの写しにもう一度目を落としてから、顔を上げた。
「オクターヴ様。楡通りの停留所を、誰が使っているか、ご存じですか」
オクターヴ様は、少しだけ眉を寄せた。
「夜の便なら知っている。楡通りから乗るのは、夜会のドレスの令嬢と、侍女と……」
「朝は?」
オクターヴ様は、答えなかった。
オクターヴ様が自分で緑に乗るのは、夜会のある夜だけだ。夜の便のことなら、誰よりもよく知っている。けれど、朝の楡通りを、この方は見たことがない。
私は、三年乗ってきた。夜会の夜だけではない。朝の市場へ、昼の仕立て屋へ、夕方の薬屋へ。家の馬車に席がないのは、夜会の夜だけではなかったから。
「朝の楡通りの停留所には、たくさんの人が降ります。けれど、誰が降りるのか、私も、ちゃんと数えたことはありません」
窓辺で毎朝、公爵邸前の乗り降りを数えるようになってから、気づいたことがある。数えてみないと、見えないものがある。
「明日の朝、楡通りの停留所に立ってみます」
オクターヴ様は私の顔を見て、しばらく黙っていた。やがて、一度だけうなずいた。
「バルナベを付ける」
「マルトがいれば、十分です」
「バルナベも付ける」
先代公爵夫人が、扇の陰で笑った。
その夜、部屋へ戻ると、衣装棚の前に、私の灰色の外套が出してあった。袖の雪よけの布まで、ちゃんと縫い付けてあった。マルトは何も言わずに、隣の小部屋の灯りを消した。




