乗合の乗り方
お茶会の朝、私は先代公爵夫人と並んで、客間の大きなテーブルに向かっていた。
テーブルの上には、厚紙を細く切った名札が並んでいる。招いたのは、近ごろ緑に乗っている令嬢たちと、そのお母様方。名札を、どの椅子の前に置くかを決めるのが、今朝の仕事だった。
「どこに誰を座らせるかで、この家が誰をどう見ているかが、お客様に伝わるの」
先代公爵夫人は、扇の先で名札を一枚ずつ指した。
「上座の近くに置けば、大事にしていると。遠くに置けば、それなりだと。お客様は、お茶を飲みながら、ずっとそれを読んでいらっしゃるわ」
私は、名札を持ったまま手を止めた。
三年、家の馬車の席を決めていたのは継母だった。私の名札は、どこにも置かれなかった。その私が今、人の席を決める側に座っている。
「この方は」
先代公爵夫人が、一枚の名札を指で押し出した。モルヴァン侯爵夫人、と書いてある。
「若い奥様方の中では、いちばん格の高い方よ。そして、五年前、オクターヴの縁談を断った方」
「乗合の匂いのする方とは、とおっしゃった方ですか」
「あら、知っているの」
「乗合の噂は、乗合より速いのです」
先代公爵夫人は、扇の陰で笑った。
「どこへ置くかは、あなたが決めなさい」
私は、少し考えてから、その名札を、先代公爵夫人の右隣に置いた。格の高い方の席は、格の高い方に。それが決まりなら、私の気持ちで動かすものではない。
先代公爵夫人の扇が、一度だけ縦に揺れた。
◇
昼過ぎ、ドニーズさんが緑で、裏口に焼き菓子を届けに来てくれた。
私が市場の店へ頼みに行ったものだ。籠を三つ重ねて抱えたドニーズさんは、公爵邸の厨房の広さにしばらく口を開けていたが、やがて声をひそめた。
「こんなお屋敷の裏口、生まれて初めてですよ。お嬢さん、本当にあたしの店のでいいんですか。王宮御用の菓子屋だって、あるでしょうに」
「ドニーズさんのが、いいの」
ドニーズさんは、籠の布を直しながら、照れたように鼻をこすった。粉が、鼻の頭に白く付いた。
◇
お茶会は、にぎやかだった。
令嬢たちは、緑の話ばかりしたがった。昨夜は誰が一番奥の席を取った、侍女が銅貨を落として座席の下まで探した、車掌さんの鈴が素敵だった。
モルヴァン侯爵夫人のジスレーヌ様は、紫のドレスで先代公爵夫人の右隣に座り、上品に焼き菓子を一つつまんだ。
「この焼き菓子、どちらの? 王宮御用の店にもない味ね」
私は答えずに、お茶をすすめた。お茶会の半ばで、先代公爵夫人が私に目で合図をした。
私は立ち上がって、乗合の乗り方の話をした。
停留所では、手を上げて待つこと。段を上がる前に、裾をまとめること。座る前に、膝の上で畳むこと。空いていれば、奥から詰めること。籠や荷物を抱えた方には、入口の脇を空けること。夜勤に向かう方が眠っていたら、起こさないこと。
「それから、一番奥の席は、縁結びの席ではありません。たまたま公爵閣下が、時刻表を直していらした席です」
令嬢たちが、どっと笑った。
「乗合の席は、明日も働く方々の席です。私たちは、それを銅貨二枚で、少しお借りしているだけなのです」
何人かの令嬢が、さっそく自分の裾を膝の上へ寄せて、畳み方を試しはじめた。うまく畳めずに裾がほどけて、隣の令嬢と顔を見合わせて笑っている。お母様方も、扇の陰で娘たちの手元をのぞきこんでいた。
そのとき、ジスレーヌ様が、カップを受け皿に置いた。
「乗合の乗り方など、わたくしたちが習うことかしら」
笑い声が、少し小さくなった。
「わたくし、昔から、乗合の匂いというものが苦手で」
ジスレーヌ様は、そう言いながら、二つ目の焼き菓子に手を伸ばした。
先代公爵夫人が、閉じた扇を膝の上で軽く叩いた。
「それなら、ジスレーヌ様。その焼き菓子は、お口に合わないかもしれないわ」
「え?」
「東の市場のパン屋のものですから。毎晩、緑の乗合で、王宮へパンを届けている方のお店ですのよ」
客間の令嬢たちの手が、いっせいに止まった。
ジスレーヌ様の指が、二つ目の焼き菓子の上で止まった。そのまま、何もつままずに、皿の上へ戻っていった。
テーブルの端のほうで、誰かがこらえきれずにぷっと息を漏らした。カップで口元を隠したけれど、その隣の令嬢も、肩を揺らしていた。
ジスレーヌ様は、それからしばらくして、気分がすぐれないと言って早めに席を立った。お見送りに出た私に、ジスレーヌ様は扇の向こうから一言だけ言った。
「乗合で来たお嫁さんは、お茶会の開き方もお上手ね」
「ありがとうございます。乗合で覚えました」
ジスレーヌ様の扇が、ぴしりと閉じた。
◇
お茶会がお開きになるころ、令嬢の一人が、私のそばへ寄ってきた。王宮の開きの舞踏会の晩、壁際で最初に「乗合って、どうやって乗るの?」と聞いてきた人だった。
「クレマンス様。今夜、畳んで乗ってみます」
「ええ。きっと、隣の方が喜ぶわ」
その夜、オクターヴ様と公爵邸前で緑を待った。
坂を上ってきた緑の窓には、今夜もドレスの色が並んでいた。けれど、段を上がってみると、令嬢たちの裾は、どれも膝の上で畳まれていた。
そして入口の脇の席に、籠を膝に抱えたドニーズさんが、ちゃんと座っていた。




