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継母が私の刺繍を義妹の作品だと偽って披露会に出した結果、真実が明らかになりました  作者: 九葉(くずは)


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第2話 今回は、お手伝いできません

窓辺に広げたままの布は、三日前と同じ位置にあった。


蔦の意匠の際どい部分に、まだ針は入っていない。


朝の光の中で、布の端がわずかにめくれている。


部屋の隅には、渡された当初のまま、糸の束も手つかずで置かれていた。


エルシーはそれを見つめ、椅子には座らなかった。


扉が控えめに叩かれる。


「エルシー、進み具合はどう?」


顔を出したのはノラだった。


寝間着の上に肩掛けを羽織り、まだ眠そうな声をしている。


「お母様が、そろそろ仕立て屋に渡す日取りを決めたいそうなの」


「その件で、少しお話ししたいことがあります」


エルシーは布を手に取らないまま、そう答えた。


ノラは小さく首をかしげただけで、深くは聞き返さなかった。


「じゃあ、朝食のあとで。お母様も呼んでおくわね」


足音が遠ざかっていく。


エルシーは布に一度だけ目を落とし、それから朝の支度に戻った。


食堂に集まったのは、いつもの三人だった。


窓から差し込む光が、卓の上の銀器を鈍く照らしている。


グレースは焼きたてのパンに手を伸ばしながら、今日の予定を話している。


仕立て屋の名前、当日の馬車の手配、招待客への返礼の品。


ノラはその隣で、紅茶に口をつけては窓の外を眺めていた。


エルシーはそれを聞き終えてから、カップを静かに卓に戻した。


「今回の縁飾りの件ですが」


グレースの視線が、パンから顔へ移る。


ナイフを持つ手が、皿の上で止まった。


「今回は、お手伝いできません。ノラの作品ですから、ノラの手で仕上げていただくのが良いかと思います」


食堂に、短い間が落ちた。


窓の外で、鳥の声だけが響いていた。


ノラの手からナイフが皿に当たり、小さな音を立てる。


グレースは一拍おいてから、口元だけで笑った。


「まあ、珍しいこと言うのね。どこか具合でも」


「少し根を詰めすぎたようで、目と指先が思うように動きません」


それ以上は言わなかった。


理由を重ねれば重ねるほど、断りは言い訳に近づく。


エルシーはただ、皿の上のパンに視線を戻した。


グレースはしばらくエルシーを見ていたが、やがて肩の力を抜いた。


「まあ、いいわ。今回はノラも去年よりずっと上達しているもの。あなたの手を借りなくても、きっと大丈夫でしょう」


「お母様、わたし一人で大丈夫かしら」


ノラの声が、わずかに揺れる。


「大丈夫よ。あなたの腕なら、王室主催だろうとどこだろうと恥ずかしくないわ」


グレースの声には、迷いのかけらもなかった。


「殿下の後見人の方がいらっしゃると聞いたけれど、意匠が良ければ細部まで気にはなさらないでしょうし」


エルシーは、その見立てに何も言わなかった。


言うべき言葉は、すでに卓の向こうへ届いていない。


話題はすぐに、次の予定へ移っていく。


仕立て屋への支払いの話、当日の席順、招待客の名簿。


エルシーの言葉は、もうその場に残っていないもののように扱われていた。


食堂を出るとき、ノラがエルシーの袖を軽く引く。


「本当に、見てくださらないの」


「ノラの名前で出す作品ですもの。ノラの手で仕上げるのが筋だと思うわ」


「でも、いつもと違うと、皆さん気づくかしら」


「気づかれて困るようなものを、出すつもりはないのでしょう」


「そう、よね」


ノラは布を抱え直し、小さく頷いた。


納得したというより、それ以上は聞かないことにした、という顔だった。


自室に戻り、扉を閉めてから、エルシーは引き出しの奥から小さな木箱を取り出した。


蓋を開けると、使い込まれた針箱が姿を見せる。


亡くなった母の形見だった。


母もまた、手先の仕事を得意としていたと聞いている。


けれど、母の名で世に残ったものは、ほとんどない。


嫁いでからの手仕事は、すべて夫や家のためのものとして扱われ、誰の記憶にも留まらなかった。


エルシーがこの箱を開けるのは、一年に数えるほどしかない。


母の顔を、はっきりとは覚えていない。


覚えているのは、隣に座って針を教えてくれた手の動きと、糸を通すときの息の長さだけだった。


十になる前のある日、母に「これはあなたの仕事の証だから、誰かに譲る必要はないのよ」と言われたことがある。


その声の高さまでは、もう思い出せない。


そのときは、意味がよく分からなかった。


今は、少しだけ分かる気がした。


エルシーは針箱の中の一本を取り出し、光にかざした。


針先に、細い光の筋が走る。


これまで、この箱を人に見せたことはなかった。


見せる理由も、必要もなかったからだ。


けれど今日だけは、しばらくその重みを手のひらに乗せておいた。


母がどんな気持ちで針を持っていたのか、今となっては確かめようがない。


ただ、同じ道具を持つ手だけが、ここにある。


箱の底には、母が最後に手がけていたという小さな刺し子の切れ端も残っていた。


図案の途中で糸が止まっている。


続きを縫う人は、もう誰もいなかった。


母が亡くなったとき、屋敷の誰も、その手仕事の価値を惜しまなかった。


惜しんだのはエルシーだけで、その記憶さえ、今は自分の中にしか残っていない。


グレースにとって、エルシーが週に何度もノラの部屋で針の運びを教えてきた時間は、姉妹の趣味の延長でしかなかった。


指導のための時間として数えられたことは、一度もない。


礼を言われたことも、対価を口にされたことも、記憶にはなかった。


それでいい、とこれまでは思ってきた。


家族なのだから、というグレースの言葉を、そのまま受け取っていた時期もある。


けれど、家族という言葉の重みを、いつも同じだけ支払っている側と、受け取るだけの側がいる。


その均衡を、これまで数えたことがなかっただけだ。


数えてみれば、差し出してきた時間の方が、明らかに重い。


エルシーは針を箱に戻し、蓋を閉じた。


小さな音を立てて、蓋がかみ合う。


これで、最後にする。


誰かに宣言したわけではない。


けれど、決めたことは、もう動かない。


窓の外で、庭師が生垣の手入れを終えて道具を片付けている。


披露会まで、あと一月足らずだった。


一月という時間が、これほど短く感じられたことはこれまでになかった。


数日後、仕立て屋の使いが屋敷を訪れた。


玄関の呼び鈴が鳴るのを、エルシーは自室で耳にする。


ノラの部屋からは、糸を切る音と、時折もれる小さなため息が聞こえてくる。


一度、扉の隙間から布地が見えた。


蔦の先端の縫い目は、相変わらず浅いままだった。


エルシーはその音を、廊下の途中で耳にするだけにとどめる。


手直しを申し出ることも、様子を見に行くこともしなかった。


代わりに、自分の部屋で帳簿の写しを整理して過ごす。


家業に関わる書類仕事は、これまでも半分はエルシーが引き受けてきたものだった。


誰かがそう決めたわけではない。


頼めば断らないから、自然とそうなっていた。


その帳簿仕事さえ、いつからか当然の日課として扱われている。


数字を並べる作業は、単調だが心が乱れずに済む。


指先を動かし続けることだけが、今は必要だった。


針を持たない時間が増えるほど、代わりに指先が覚えていく感覚があった。


父に相談することも考えたが、途中でやめた。


父は数字の帳尻には目を通しても、誰がその数字を作っているかまでは尋ねない。


尋ねられたところで、答えを変えるつもりもなかった。


これは、誰かの許しを得てすることではない。


自分の手をどう使うかを、自分で決めるだけのことだった。


数日後の午後、縁飾りは仕立て屋の箱に収められ、屋敷を発つ支度が整った。


蔦の先端の縫い目は、三日前とほとんど変わっていない。


浅いところは浅いまま、糸の張りが揺れる場所も、そのままだった。


箱に収める前、ノラは一度だけ布を広げ、自分の仕上がりを確かめていた。


指先で蔦の先端をなぞり、わずかに眉を寄せる。


けれど、それ以上は誰にも尋ねなかった。


不安げな顔をしていたが、口には出さなかった。


グレースは玄関先でその箱を受け取った。


「これでひと安心ね」


そう言って、グレースは小さく微笑んだ。


その一言に、迷いは欠片も混ざっていない。


長年そうしてきたように、当然の顔をしていた。


エルシーは階段の途中から、その様子をしばらく見ていた。


声をかける気にはならない。


仕立て上がったままの縁飾りを箱に収めながら、グレースはそれを気にも留めていなかった。

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