十日目 終焉と「監視者」の始まり
郊外の洞窟の前に設置された、臨時の前線基地。
早朝の静寂の中、私はバックパックのチェストストラップを締め、予備のライトとバッテリーの重量を確かめていた。
「寿美香さん……」
出発の直前、装備の最終チェックをしていた私の手元に、和真くんが歩み寄ってきた。
その顔は固く強張り、手には新品の非常用無線機が握られている――地下五十メートルのデッドゾーンでは意味をなさないと分かっていながら、持たせずにはいられないのだろう。
「和真くん、大丈夫よ。一昨日二人で確認した最短ルートを辿るだけだから」
「分かってます。分かってますけど……!」
和真くんは溢れ出しそうになる感情を抑えきれないように息を呑むと、私の腕を強く……けれど壊れ物に触れるような優しさで掴んだ。
「絶対、絶対に無事で帰ってきてください。もし……無事に帰ってきたら、今度は僕が、寿美香さんを美味しいお店に連れて行かせてください。仕事の相棒としてじゃなくて……その、一人の男性として、ちゃんとお話したいんです」
真剣そのものの目で見つめられ、私は一瞬、息を止めた。
歳の離れた副団長からの、まっすぐすぎるアプローチ。
「……ちょっと和真くん、それって……」
喉の奥が急に熱くなり、不覚にも言葉が詰まる。
そんな私を安心させるように、和真くんは掴んでいた手にぎゅっと力を込めた。
「だから……絶対に帰ってきてください!」
「……まったく。生意気な年下ね」
私はフッと自嘲気味に笑い、彼の手をそっと押し返した。
「了解、約束ね。――行ってくるわ」
「見えない壁」を跨ぎ、私は一人、静止した冷気の暗闇へと歩みを進めた。
昨日までに作成した地図を頼りに、古ぼけたコンクリートの不気味な地下迷路を、私は迷うことなく突き進む。Y字路を左へ折れ、クランクを抜け、防空壕の深部へと降りる錆びついた鉄の階段を下っていく。
足元で『カツン』と音が鳴るたび、自分の時間だけが確かに動いていることを実感する。
やがて、コンクリートの壁が途切れ、突如として不釣り合いな最新の実験機器が並ぶ巨大な空洞に出た。
黒野工大の直下五十メートル。ここがすべての発生源だ。
「ぼろほうきの家で見た機械にそっくりね、だいぶ大きいけど」
ところで、この空間って時間が止まってるのよね?
なんでこの機械だけ動いてるの?
機械につながっているモニターを見ると何かしらの数字が表示されており、カウントダウンされている。
このことが、この機械が時間停止領域の中でも、動いていることを示していた。
「ええと……現在時間:2020年7月30日、目標時間:2070年7月20日、効果範囲:半径10Km……なによこれ?」
必死に考える。え?つまり……そういうこと?
「マジで未来に行こうとしてたの?でも、効果範囲10Kmって何よ。やるなら自分一人でやんなさいよ」
私は毒づきながら機械――おそらくタイムマシン――を調べてみた。すぐに非常停止ボタンを見つけた。
「これを押せば……」
押すと同時にモニターに非常停止を示すメッセージが表示され、時間の流れも正常に戻った。街を覆っていたあの見えない壁も消え去ったはずだ。
「……ん?2070年についたのか?」
法木は実験成功したと思ったのか、第一声を放つ。
「あ、あんた、誰っすか?!」
地ノ里は私を見て驚きの声を上げた。
「こんにちは、地ノ里くん。そしてぼr……法木『元』教授」
法木も私を見て目を見開いている。
「君は誰だ?どうしてここにいる?ここはそう簡単には入れないはずだが」
私は今日までの経緯を私の『特殊体質』も含めて、2人に話して聞かせた。話している間に、異変の解除を察知した和真くんが対策本部のメンバーを何人か引き連れて駆けつけてきた。
「そんな……時間が止まっていただと?」
膝をついて項垂れる法木に、和真くんが真実を告げる。
「そうですね、あなたが残した資料を基に、我々も実験してみたんです。そしたら、あの金属――クロノタイト――は一定の電気を流すと時間停止領域を発生させることが解りました」
「えぇ……じゃあこれ、タイムマシンじゃなかったんすか?」
地ノ里ががっかりした様子で聞いてきたので、私が答えた。
「ええ、その様ね。いま見せてもらってる調査資料によると、あなた達が以前大学で起こした爆発事故は、クロノタイトにマイナスの電荷を掛けた事による暴走……らしいわよ」
私の言葉に法木が反応した。
「つまり、すでに過ぎ去った時間を止めようとしたから、オーバーロードしたと?」
それには和真くんが答えた。
「恐らくそうでしょうね。小規模実験の時に同じ事なかったんですか?あなたの実験資料にはありませんでしたけど?」
「私は過去には興味がない!」
「いや、あんた帰ってこないつもりだったんかい」
私は思わず突っ込んでしまった。だが法木の反応はというと……
「そうだが、何か問題があるかね?」
「だ……だめだこいつ、早くなんとかしないと」
私は思わず手で目を覆い天井を見上げた。
すると、おもむろに立ち上がった法木が、タイムマシン(?)のコンソールに近づき声を上げた。
「だとしても……! 五十年後なら、我が研究を完成できる技術が生まれているかもしれん! 私は行くぞ、未来へ!」
半ば自暴自棄になった法木は、私に向かって叫ぶと、効果範囲の数値を「半径1m」へと書き換え、ためらうことなく装置を再起動した。
閃光と共に、彼を中心とした半径1メートルの空間が、完全な静止フィールドへと変貌する。
彼の動きがピタリと止まる。文字通り、自分だけを凍りつかせ、自らを時間の牢獄へと閉じこめたのだ。
「ひえっ……! き、教授……!?」
残された地ノ里が、ガクガクと膝を震わせながら私を見た。
「そ、そんな教授……これどうしたら……」
「……そんなに未来へ行きたいのなら、好きにさせてあげましょう」
私は凍りついた法木を一瞥し、地ノ里に向き直った。
「で、あなたは? ぼr…… 法木と一緒に五十年後へ行くの?」
「いや……俺は未来とかいいっす……。お腹空いたし、普通に生活したいです……」
ポロポロと涙を流してあっさり投降した地ノ里の首根っこを掴み、私は吐き捨てた。
「じゃあ撤収ね、あなたには色々聞かせてもらうわよ」
地上へ戻った私は、対策本部の執務室で、市長に「ありのままの真実」を報告した。
「……なるほど。単位のミスで市全体が停止し、当人は自分をフリーズさせて未来へ逃げた……と」
「ええ、そもそも大学での爆発事故も、今回の単位ミスも地ノ里が原因のようです」
市長は深々と溜め息をつき、頭を抱えた。
「こんな突拍子もない真相、世間に公表できるわけがありませんね。市民には『特殊な地磁気異常による一時的影響』とでも説明しておきます」
こうして、事件の真相は市長、和真くん、そして私の三人だけの極秘事項となった。
原因を作った地ノ里は、逮捕こそ免れたものの、市長の密約と私たちの厳重な監視のもと、黒野市内で社会奉仕を兼ねた「監視付きフリーター」として細々と暮らしていくことになった。
「さて、九戸さん」
市長が書類を差し出して微笑む。
「約束通り、君を『黒野市危機管理課』の正規職員として採用します。……まあ、主な仕事はあの地下防空壕と、法木博士の『監視者』になってもらうことですがね」
「安定したお給料がもらえるなら、喜んでお受けします」
私は笑って書類を受け取った。
「寿美香さん、これからよろしくお願いしますね」
「ええ、よろしく。あ、そういえば和真くん。無事帰ってきたんだから、約束、忘れてないわよね?」
「っ……! は、はい! もちろんです!」
真っ赤になる和真くんを見て、私はいたずらっぽく微笑んだ。
これで終わり……ではなく、もうちょっとだけ続くんじゃw




