第6話 月を喰う影
その夜。
月が欠けていた。
まるで何かに喰われているように。
都の空を覆う雲は黒く、風は冷たい。
花宴の異変以降。
怪異たちは明らかに変わり始めていた。
本来なら人知れず潜む程度のものが、今は違う。
人を襲う。
群れる。
そして。
“理性”を失っている。
陰陽寮は混乱していた。
「各地で怪異が暴走しております!」
「結界の効力も落ちているとか……!」
「都全体の瘴気濃度が異常です!」
騒然とする宮中。
だが。
夜半は静かに窓の外を見ていた。
遠く。
都の屋根の向こうに。
青白い火が揺れている。
狐火。
あの光を見たのは、これで二度目だった。
「……あれが原因か」
その時。
「おい、月影」
乱暴な声。
清継だった。
壁にもたれ、腕を組んでいる。
「俺も同じもん見てた」
彼の目も鋭い。
「あの狐火、普通じゃねぇ」
「わかるのか」
「馬鹿にすんな」
清継は鼻を鳴らす。
「俺を誰だと思ってやがる」
その時だった。
ぞわり、と。
空気が凍る。
夜半の瞳が細まる。
清継も顔を上げた。
何かいる。
気配が、近い。
だが。
誰も“現れた瞬間”を見ていなかった。
「――やれやれ」
気づけば。
そこに男が座っていた。
御簾の上。
だらしなく胡座をかき、酒瓢箪を揺らしている。
老人とも若者ともつかぬ顔。
掴みどころのない笑み。
だが。
その存在感だけで、空気が軋んだ。
白妙が息を呑む。
「……怪異」
男は笑った。
「ほう。嬢ちゃん、見える口か」
夜半は静かに刀へ手を添える。
「何者だ」
男は面白そうに目を細めた。
「儂か?」
そして。
ゆるり、と笑う。
「ぬらりひょん、とでも名乗っておこうか」
空気が張り詰める。
百鬼夜行総大将。
その名を知らぬ者はいない。
清継が舌打ちした。
「最悪の大物じゃねぇか……」
「そんな怖い顔をするな」
ぬらりひょんは酒を飲む。
「儂は今日は喧嘩をしに来たわけではない」
「なら何しに来た」
夜半の問いに。
ぬらりひょんは、ふと空を見る。
欠けた月。
青白い狐火。
それを見つめながら、ぽつりと言った。
「九尾が泣いておる」
その瞬間。
夜半の目が揺れる。
「……九尾?」
「そうとも」
ぬらりひょんは笑う。
「都を覆う怪異の異変。その正体よ」
風が吹く。
狐火が揺れる。
「本来、あれほどの大妖が暴れることなどない」
「ならなぜだ」
「人間よ」
ぬらりひょんの声から、笑みが消えた。
「強欲な貴族どもが、呪詛師を使い、九尾を縛った」
白妙が息を呑む。
「封じた妖力を利用し、権力を得ようとしておるのだ」
「ふざけやがって……」
清継が低く吐き捨てた。
ぬらりひょんは続ける。
「だが九尾ほどの存在を、人間風情が完全に制御できるはずもない」
青白い火が、夜空を流れる。
「暴走した妖力が、都中の怪異を狂わせ始めておる」
夜半は静かに目を閉じた。
思い出す。
泣いていた怪異たち。
苦しみ。
暴走。
すべて繋がっていた。
「……怪異も被害者か」
その呟きに。
清継が険しい顔をする。
だが今度は、否定しなかった。
ぬらりひょんは二人を見る。
「面白いな、おぬしら」
そして笑う。
「壊れゆく都で、月と雷が並び立つか」
次の瞬間。
空が裂けた。
轟音。
青白い炎が、夜空に巨大な尾を描く。
九本。
まるで月を覆い隠すように。
都中の怪異が咆哮する。
白妙が震える。
「夜半様……!」
夜半は空を見上げた。
月が見えない。
九尾の妖気が、都そのものを喰らい始めていた。
「始まるぞ」
ぬらりひょんが笑う。
「人と怪異、どちらが都を壊したのか」
その声は。
まるで夜そのもののように、不気味だった。




