第4話 雨夜の童歌
雨の夜だった。
しとしと、と。
空から落ちる雨粒が、都の屋根を静かに叩いている。
夜半は濡れた石畳を歩いていた。
帝より勅命が下ったのは、三日前のことだ。
花宴の夜。
都に現れた百鬼夜行。
あの異変は、宮中にも少なからず影を落としていた。
だが帝は、公には何も語らなかった。
混乱を避けるためだろう。
その代わり。
「都の異変を探れ、か……」
夜半は小さく呟く。
名目は“視察”。
だが実際は、怪異の調査だった。
雨が強くなる。
遠くで雷が鳴った。
その時。
――かごめ、かごめ。
幼い歌声が聞こえた。
夜半の足が止まる。
細い路地の奥。
誰もいないはずの場所から、子供の声が響いている。
――後ろの正面、だあれ。
雨音に混じり、くすくすと笑う声。
夜半は静かに奥へ進んだ。
古びた屋敷があった。
門は半ば崩れ、庭は荒れ果てている。
だが。
縁側には、小さな子供が座っていた。
七つほどの童。
白い着物。
濡れた黒髪。
小さな足を揺らしながら、童は歌っていた。
けれど奇妙なことに。
雨が、その子だけを避けていた。
夜半は目を細める。
「……お前か」
童が顔を上げる。
ぱちり、と目が合った。
その瞳は、不思議なほど澄んでいた。
「あ」
童が笑う。
「こんばんは!」
あまりにも普通の声だった。
夜半は少し沈黙する。
「……人ではないな」
「うん!」
童は嬉しそうに頷いた。
「みんな、ぼくを見ると逃げちゃうの」
寂しげな声。
夜半は屋敷を見回した。
そこには微かな妖気が漂っている。
だが、害意はない。
むしろ――。
「お前、この屋敷を守っているのか」
童は目を丸くした。
「わかるの?」
「なんとなくな」
童は嬉しそうに笑う。
縁側へ、ぽんぽんと手を叩いた。
「おにーさんも座る?」
夜半は少しだけ迷い、隣へ腰を下ろした。
雨音が静かに響く。
童は足を揺らしながら話し始めた。
「ここね、昔はいっぱい人がいたの」
「……そうか」
「でも、みーんないなくなっちゃった」
童の声は明るい。
けれどその明るさが、逆に胸へ刺さる。
「さみしくはないのか」
夜半が問う。
童は少し考えてから、小さく笑った。
「さみしいよ」
その言葉に、雨音だけが重なる。
「でもね」
童は庭を見る。
「ぼくがいなくなったら、このおうち、ほんとうにひとりぼっちになっちゃうから」
夜半は何も言わなかった。
風が吹く。
雨の匂いが流れる。
その時だった。
屋敷の奥から、黒い影が滲み出る。
どろり、と。
まるで泥のような瘴気。
童の顔が曇った。
「……また来た」
「何だ、あれは」
「悪いもの」
影がゆっくりと這い寄ってくる。
百鬼夜行以降、都では妖気が濃くなっている。
弱い怪異たちは、その瘴気に呑まれ始めていた。
夜半は静かに立ち上がる。
「下がっていろ」
「でも……!」
「大丈夫だ」
するり、と。
刀が鞘を滑る。
月は見えない。
それでも刃は淡く光っていた。
影が牙を剥く。
夜半は一歩踏み込む。
雨粒が舞う。
白銀の軌跡が、闇を裂いた。
ざん――。
黒い瘴気が霧散する。
風が吹き抜けた。
静寂。
やがて童が、小さく拍手した。
「おにーさん、つよいね!」
「……そうでもない」
夜半は刀を収める。
童は楽しそうに笑う。
その笑顔を見て。
夜半は、ほんのわずかに目を細めた。
「ねえ、おにーさん」
「なんだ」
「また来てくれる?」
雨音が響く。
夜半はしばらく黙っていた。
やがて、小さく答える。
「……気が向けばな」
童は嬉しそうに笑った。
その顔は、どこにでもいる普通の子供のようだった。
雨はまだ降り続いている。
都の夜は、静かに壊れ始めていた。




