第3話 花宴の鬼
春の夜は、美しい。
帝の庭園には満開の桜が咲き誇り、淡い花弁が夜風に揺れていた。
篝火が灯され、雅楽が流れる。
貴族たちは笑い、盃を交わし、歌を詠む。
都でもっとも華やかな夜。
――花宴。
「今年の桜は見事ですなぁ」
「まこと、春の神に愛されておる」
人々の笑い声が響く。
けれど。
その賑わいの中で、ただひとり。
月影 夜半だけは静かに空を見上げていた。
桜が散っている。
いや。
落ちる花弁の数が、多すぎた。
「……夜半様?」
声に振り返る。
白妙だった。
薄桃色の小袖を纏い、酒器を抱えている。
「お手伝いですか」
「はい。下働きのようなものです」
白妙は笑う。
いつもの笑顔。
だがその目には、わずかな疲れが滲んでいた。
継母たちに命じられ、宴の支度から給仕まで押しつけられているのだろう。
それでも彼女は、不満を口にしない。
「無理はするな」
夜半が言う。
白妙はきょとんとしたあと、ふわりと笑った。
「私は大丈夫です」
そして。
「笑う門には福来る、ですから」
夜半は何も答えない。
ただ静かに、その笑顔を見つめていた。
その時だった。
――からん。
鈴の音が響く。
夜半の目が細まる。
風が止んだ。
雅楽の音が、わずかに歪む。
「……?」
白妙も気づいたのか、小さく肩を震わせた。
桜が舞う。
いや。
違う。
花弁に混じって、“黒い何か”が空を漂っていた。
それは人の髪だった。
長く、濡れた髪。
誰かの笑い声が聞こえる。
甲高い。
女とも子供ともつかぬ声。
貴族たちは気づかない。
酒を飲み、笑い続けている。
だが夜半には見えていた。
庭園の端。
暗闇の向こうに、“列”がいる。
異形の群れ。
牛の顔を持つもの。
腕が異様に長い女。
骨だけの兵。
狐火を纏う子供。
それらが。
桜の下を、ゆらゆらと歩いている。
――百鬼夜行。
白妙の顔が青ざめた。
「夜半様……あれ……」
「見るな」
低い声。
だがもう遅かった。
異形のひとつが、ゆっくりと首を向ける。
ぎょろり、と。
濁った目玉が白妙を見つめた。
次の瞬間。
鬼が笑った。
『見ツケタ』
空気が変わる。
瘴気が庭園を満たした。
ようやく何人かの貴族が異変に気づき、悲鳴を上げる。
「ば、化け物……!?」
「何だあれは!!」
雅楽が止む。
桜が激しく舞い散る。
鬼たちが、一斉に都へ溢れ出した。
夜半は静かに刀へ手を添える。
「白妙」
「……は、はい」
「俺の後ろへ」
その声は、不思議と恐怖を鎮めた。
するり、と。
刃が鞘を滑る。
月光が刀身に宿る。
その瞬間。
鬼が飛びかかった。
夜半は一歩踏み込む。
ただ、それだけ。
白銀の軌跡が夜を裂いた。
ざん――ッ。
鬼の身体が、黒い煙となって散る。
風が吹き抜けた。
花弁が舞う。
まるで桜の中で踊っているようだった。
だが。
夜半の目は鋭いままだった。
「……多すぎる」
これほどの百鬼夜行。
自然に起こるはずがない。
誰かが境界を壊している。
都の“裏側”を、開こうとしている。
その時。
群れの奥。
巨大な黒い影が、ゆっくりと笑った。
ぞわり、と。
空気が震える。
夜半の瞳が細まる。
だが次の瞬間。
影はふっと消えた。
まるで最初から存在しなかったかのように。
やがて。
夜が明け始める。
鬼たちは霧のように姿を消していった。
庭園には、静けさだけが残る。
貴族たちは呆然としていた。
だが不思議なことに。
「……何が起きていたのだ?」
「さあ……?」
誰も、はっきり覚えていない。
夢のように、記憶が曖昧になっている。
白妙だけが、小さく震えていた。
「夜半様……」
夜半は散っていく桜を見上げる。
「都が、壊れ始めている」
その声は、夜明けの風に静かに溶けていった。




