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月影夜半  作者: 夜半堂
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第2話 白妙

 都の外れにある古びた屋敷には、妙な噂があった。


 夜になると、女の笑い声が聞こえる。


 誰もいない廊下を、白い影が歩いている。


 そして時折、狐火のような青白い灯が庭を漂う――と。


 人々は皆、その屋敷を避けていた。


 没落した貴族の家など、元より近づきたがる者も少ない。


 だが。


「白妙様だけは、本当に良い方なんですよ」


 村の老人は、しみじみとそう言った。


 昼下がり。


 夜半は茶屋の軒先で湯飲みを傾けながら、その話を聞いていた。


「子供らに字を教えたり、畑仕事を手伝ったり……あんなお優しい娘さんはいません」


「……そうか」


 夜半が静かに答える。


 その時だった。


「あっ、夜半様!」


 明るい声が響いた。


 振り向けば、少女が子供たちに囲まれて立っていた。


 柔らかな薄色の着物。


 風に揺れる長い髪。


 花が綻ぶような笑み。


 少女――白妙は、子供たちへ紙を配っていた。


「はい、今日はここまでです!」


「白妙さま、また明日も来てくれる!?」


「もちろんです!」


 白妙は楽しそうに笑う。


「笑う門には福来る、ですよ!」


 子供たちがきゃらきゃらと笑った。


 その様子を、夜半は静かに見つめていた。


 やがて子供たちが去ると、白妙はぺこりと頭を下げる。


「はじめまして。月影 夜半様、ですよね?」


「……俺を知っているのか」


「都では少し有名ですから」


 くすり、と白妙が笑う。


「“夜を歩く黒衣の人”だって」


「妙な噂だな」


「でも、本当でした」


 白妙の瞳が細められる。


 その目を見た瞬間、夜半は気づいた。


 ――この娘は、視えている。


 人ならざるものを。


 白妙は何か言いかけたが、その時。


 袖口から覗いた細い手首に、赤い痣が見えた。


 夜半の目がわずかに細まる。


 白妙は気づき、慌てて袖を引いた。


「あっ……これは、その……」


「誰にやられた」


 静かな声だった。


 責めるでもなく。


 怒鳴るでもなく。


 ただ真っ直ぐな声。


 白妙は一瞬だけ目を伏せる。


 けれどすぐ、いつものように笑った。


「大丈夫ですよ」


 その笑顔は綺麗だった。


 だからこそ、痛々しかった。


「私は、平気ですから」


「……そうか」


 夜半はそれ以上聞かなかった。


 風が吹く。


 どこか遠くで、鈴の音が鳴った。


 その時。


 ふ、と。


 白妙の背後に、淡い青白い火が揺れた。


 狐火。


 だが村人たちは誰も気づかない。


 白妙だけが、小さく肩を震わせた。


 夜半は静かに立ち上がる。


「屋敷まで送る」


「え?」


「妖がいる」


 白妙の表情が固まった。


 やがて小さく苦笑する。


「……やっぱり、わかるんですね」


 その笑みは、先ほどより少しだけ寂しかった。


 夕暮れの道を、二人は並んで歩く。


 空は茜色へ染まり始めていた。


「怖くないのか」


 夜半が問う。


 白妙は少し考えてから、柔らかく笑った。


「怖いですよ」


 そう言って。


 彼女は空を見上げる。


「でも、笑っていた方が……少しだけ、頑張れる気がするんです」


 風が吹いた。


 白妙の髪が揺れる。


 その横顔は、泣きそうなほど優しかった。


 夜半は何も言わない。


 ただ静かに、隣を歩いた。


 その夜。


 屋敷の奥で、本当に“何か”が嗤った。

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