第八話 数える
朝、娘は言ったとおりに来た。
宿の前で待っていた。夜のうちに帰ったのか、それとも家に戻らなかったのか、鴉には分からなかった。上着に露が下りている。
宿の主人が戸口から二人を見ていたが、何も言わなかった。霙のほうが先に頭を下げて、主人は目を逸らした。
「あの人は、去年」
と、霙が歩きながら言った。
「息子さんを出しています。うちより一年、早く」
鴉は頷きもしなかった。
「うちの母と、あの人の奥さんが同じ年で、若い頃は仲がよかったそうです。奥さんは、息子さんが入った半年あとに亡くなりました」
霙はそこで言葉を切った。言うつもりのなかったことを言った顔だった。
塔までの道は、昨日と同じだった。家が減り、畑が途切れ、草が短くなる。違うのは、石の列の手前に人がいたことだった。
男が七人。それに代官の巳戸。
武具は持っていない。鍬を持った者が二人、あとは手ぶらだった。並んでいるというほど整ってもいない。ただ、石の列とこちらのあいだに、七人ぶんの体があった。
霙が足を止めた。鴉は止まらなかった。
三歩の手前まで来て、そこで立った。
「おはようございます」
巳戸が言った。
「昨夜は冷えました。宿はいかがでしたか」
鴉は答えない。
「この者たちは、あなたを止めるために来たのではありません」
巳戸は男たちのほうへ手を向けた。指ではなく手のひらで示す癖は、塔を指すときと同じだった。
「ただ、そこにいるだけです。畑の見回りの途中でして」
男の一人が目を伏せた。畑はここから遠い。
「そこを通る」
鴉が言った。
「通ることはできます。誰も、通るなとは申しません」
巳戸の声は落ち着いていた。用意してきた言葉なのだろう。
「ただ、通れば、この者たちの前を通ることになります。この者たちは動きません。動かないものの前を通るのは、押しのけるということです。押しのけられた者がどうなるかは、押しのけた者ではなく、この領が決めます」
風が吹いた。男たちの誰も、鴉の顔を見なかった。見ていないのに退きもしなかった。
鴉は七人を眺めた。
年寄りが二人いる。片方は膝が悪いらしく、体が傾いでいた。鍬を持った男は指が太く、手の甲に古い傷がある。畑仕事の傷だった。刃物で受けたものではない。いちばん右の男は、まだ二十歳になっていないだろう。指の関節が白い。鍬の柄を握りすぎている。
誰ひとり、殴られ慣れていない体つきだった。
鴉は石の列を見た。それから背を向けた。
「引き取る」
巳戸の眉が、わずかに動いた。もっと長い押し問答になると思っていたのだろう。用意していた言葉が余ったという顔だった。
「……賢明なご判断かと」
鴉はもう歩き出していた。霙が慌ててついてくる。
三歩ほど行ったところで、巳戸の声が追ってきた。
「昨夜、宿へ人が訪ねたそうですね」
霙の足が止まった。
鴉は止まらなかった。だから霙は、一人でそこに残ることになった。振り返ると、巳戸がこちらを見ている。責める顔ではなかった。困っている人を見る顔だった。それが霙にはこたえた。
「お家のことをお考えなさい」
巳戸が言った。
「お母さまは、この二十日でずいぶんお疲れです。これ以上、心配をかけることもない」
霙は何か言おうとした。言葉より先に、喉が詰まった。
「今年はお受けいただいたのです。よい年です」
男の一人が頷いた。年寄りのほうだった。よい年だ、と小さく繰り返す声がした。繰り返したあとで、自分の言葉を確かめるように、もう一度頷いた。
霙は走って鴉に追いついた。追いついてからも、しばらく何も言えなかった。
畑を二枚越えたところで、鴉が足を止めた。
「あんたの妹は、初めてじゃない」
「……はい」
「去年は宿の息子だ。その前もいる。その前もいる」
「はい」
「何人目かを、あんたは知らない」
霙は口を開けて、閉じた。
「知りません」
鴉は塔のほうを向いていた。ここからでは、家の屋根の上に白い部分だけが見えている。
「誰も知らない。代官も答えなかった。番人は柱を替えたと言った。宿の主人は窓の桟に印をつけている。だが誰も、いくつあるかを言わない」
これだけ続けて喋るのは、霙が会ってから初めてだった。
「入口はひとつだ。前に七人立つなら、また七人立つ。次は十人かもしれない。押しのければ誰か死ぬ。死ねば、あんたの家に返る」
「……はい」
「だから、今日は入らない」
鴉は歩き出した。
「数える」
霙は一瞬、意味が取れなかった。
「数える、というのは」
鴉は答えなかった。
道の先で、灰の色の空が低くなっている。塔の上のほうが雲に入って、どこまで続いているのか分からなくなっていた。
霙は追いかけた。何を数えるのか分からないまま、追いかけていた。




