第五話 石の列
朝のうちに、鴉は領を歩いた。
家は塔を囲むように建っている。どの家も塔のほうへ入口を向けていた。畑もそうだった。畝が塔へ向かってまっすぐに切られている。日当たりを考えればもっとよい向きがあるはずだったが、誰もそうしていない。
水路も塔から放射に伸びていた。中心から外へ流すのなら、水源が中心になければならない。塔の根元に泉があるとは聞かなかった。だが誰も、それをおかしいとは思っていないらしかった。
道で会った者に、鴉は同じことを言った。
「塔まで行く道がある」
最初の男は、手を振って通り過ぎた。二人目の女は、聞こえなかったふりをした。振り向きもせず、荷を抱え直して足を速めた。三人目は子どもで、口を開けたまま鴉を見て、それから走って逃げた。
四人目の老人だけが立ち止まった。
「道は、ございません」
「昨日、人が入った」
「……昨日は、昨日でございます」
老人はそう言って、荷を担ぎ直した。担ぎ直すのに手間取って、鴉が見ているあいだ、ずっと肩を動かしていた。
塔に近づくにつれ、家が減った。畑も途切れた。土が硬くなり、草が短くなる。踏まれて短いのではなく、初めから伸びていない草だった。
そして石があった。
人の頭ほどの白い石が、間を置いて並んでいる。塔をぐるりと囲んでいるらしかった。柵ではない。跨げる。腰をかがめる必要もない。だが石と石のあいだの土には、足跡がひとつもなかった。
鴉は並びに沿って歩いた。石と石の間隔は、どこも同じだった。大人が三歩で渡れる。誰かが測って据えたものだった。据えたあと、誰も動かしていない。
石の内側に、塔が立っている。
ここまで来ると、もう全体は見えない。首を反らしても上が終わらなかった。壁は白灰色で、継ぎ目がない。近くで見ても石には見えなかった。かといって土でも木でもない。日が当たっているのに、影の落ち方がどこか鈍い。
高さのわりに、太くはなかった。大人が三十人も手を繋げば、囲めるだろう。
昨日の裂け目は、ここからでは見えなかった。壁の曲がった向こうにあるのだろう。
鴉は石のひとつに手を置いた。
「そこから先は」
声がした。
振り返ると、瘦せた男が立っていた。昨日、列の先頭にいた男だった。役所から来たらしく、袖に埃がついている。歩いてきた足音が聞こえなかった。それなりに気を遣って近づいたということだった。
「代官の巳戸と申します」
鴉は手を石に置いたままでいた。
「そこから先は、決まりで入れぬことになっております」
「誰が決めた」
「……そう決まっております」
巳戸は鴉の手を見ていた。石に触れていることが気に障るらしかったが、退けろとは言わなかった。言えないのかもしれなかった。触るなという決まりがあるなら、そう言えばいい。言わないということは、そういう決まりがないということだった。
誰も触らないので、決まりを作る必要がなかったのだろう。
「宿にお泊まりと伺いました」
「宿を取った」
「存じております」
早い。着いた日の夕方に宿へ入って、今朝にはもう代官が把握している。誰かが知らせたのだろう。宿の主人か、番人か、あるいは道で会った四人のうちの誰かか。
「して、この領には、どのようなご用向きで」
鴉は答えなかった。
巳戸は答えを待った。待つあいだ、視線が鴉の腰へ下りた。長刀がある。それから顔へ戻った。
「女の身で、一人旅とは」
言い方が変わった。用向きを聞いていたはずが、別のところへ移っていた。
「難儀なことでございましょう。この先の道はよくありません。冬は特に。宿場も少なく、追い剥ぎの噂もございます」
鴉は何も言わなかった。
「お急ぎの旅でなければ、早めに発たれるのがよろしいかと存じます。雪が来ますと、峠が塞がります」
「塔は毎年伸びる」
巳戸の口が閉じた。
「番人が言った。冬のはじめに測ると、去年より上にある。宿の主人も言った。窓の桟より上になったと」
鴉は石から手を離した。
「何年ぶんある」
巳戸は動かなかった。
顔は変わらない。まばたきの数も変わらなかった。ただ、袖の中で手が動いた。指を折ろうとして、途中でやめた動きだった。
「……そういうことは」
「決まっていないか」
「記録がございませんので」
風が来た。石の並びを越えて、塔のほうへ抜けていく。草が短いので、風の通る音がしなかった。この場所には、鳴るものが何もなかった。
「お引き取りください」
巳戸が言った。今度は敬語のまま、声だけが硬くなっていた。
「ここは見物の場所ではありません」
鴉は塔をもう一度見上げた。それから背を向けて、来た道を戻った。
十歩ほど行って、振り返った。
巳戸は動かずに立っていた。石の列のこちら側で、塔を背にして立っている。近づかないのだと、鴉は思った。あの男は、あの石より先へ行かない。役所から歩いてきて、ここで止まって、また役所へ帰る。それを何年も続けている足の運びだった。
道を三十歩ほど戻ったところで、鴉は足を止めた。
畑の縁に、若い女が立っていた。
鴉を見ている。逃げるでも、目を伏せるでもなかった。この領へ入ってから、まともにこちらを見た者は初めてだった。
目が合うと、女は動かなくなった。動かないまま、まだ見ていた。




