第三十一話 知られている数
三日目の朝、鴉は一人で塔へ入った。
石の列に見張りはいなかった。代官が道を空けてから、誰も来なくなったらしい。裂け目の前の土に、足跡が残っていた。二日前の、二人ぶんの跡だった。
雨が降っていないので、消えずに残っている。片方は小さい。娘のものだった。
通路を上がって、広い場所に出た。
頌は同じところにいた。同じ姿勢で、目を閉じている。鴉が窪みの縁まで来ると、目が開いた。
「お一人ですか」
「聞きに来た」
「あの方は」
「決めている途中だ」
頌は少し首を動かした。
「お座りになりますか」
「いい」
鴉は立ったままだった。
「聖種は何体いる」
頌は答えなかった。
沈黙が長かった。壁の音だけが鳴っていた。四百十一の重なりが、変わらず鳴り続けていた。
「お答えします」
頌が言った。
「ただし、お答えしたら、この領をお出になってください」
「聞いてから決める」
「では、お答えできません」
鴉は動かなかった。
「あんたは死にたいはずだ」
「それは申し上げません」
「三百年、眠っていない」
「それも申し上げました。申し上げましたが、それは理由になりません」
頌は目を伏せた。
「あなたに去っていただきたいのです」
「なぜだ」
「あなたがいなければ、あの方は決めずに済みます」
鴉は頌を見た。
「決めろと言ったのはあんただ」
「申しました」
頌の声は変わらなかった。
「決めるなら、あの方が決めるべきです。それは変わりません。ですが、決めずに済むのなら、そのほうがよろしい。誰も殺さずに済むのなら、それがいちばんよろしい」
「四百十一が薄れてもか」
「薄れます。三百年、薄れてまいりました」
頌は顔を上げた。
「わたしは、それを止める手立てを持ちません。持たないものについて、決める資格もありません」
鴉は動かなかった。
「答えろ」
「お帰りにならないのですね」
「答えろ」
頌はしばらく黙っていた。
それから、話しはじめた。
「神は十二柱でした」
鴉の目が動いた。
「みな死にました。いつ死んだのかは存じません。わたしが生まれるより、ずっと前です。死骸は各地に残っております。骨のようなものもあれば、肉のようなものもある。土に埋もれたものもあります」
「在り処が知れているのは」
「四つです」
鴉は歌を思い出していた。二人目は村にいた。三人目は川にいた。四人目は、忘れた。
あの老女は、意味を知らずに数を歌っていた。
「一つの死骸から、幾人でも生まれます」
頌が言った。
「わたしが喰ったのは、そのうちの一つの、ごく一部です。指の先ほどの量でした。それだけで三百年、こうしております」
鴉は動かなかった。
「死骸は減りません。喰われても、減った気配がない。わたしが喰った場所も、いまはもう塞がっていると聞いております」
「何体いる」
「数えられません」
頌は言った。
「わたしが知っているのは十七体です。聞いたことのある数です。ですが、それは知られている数にすぎません。今この時にも、どこかで誰かが、死骸に手を伸ばしているかもしれない。飢えた者は、何でも口に入れます」
鴉は聞いていた。
「終わりはあるか」
「ありません」
頌は言った。
「殺しても、また生まれます。生まれた者が領を持ち、贄を受け、また誰かに殺される。そのあいだにも、新しい者が生まれる。三百年、そうでした。三百年より前も、そうだったはずです」
鴉は何も言わなかった。
立ったまま、動かなかった。顔も動かなかった。膝も、肩も、指も動かなかった。
頌は待った。
壁の音が鳴っていた。どれだけそうしていたのか、その音からは分からなかった。速くも遅くもならないので、時を測るものにはならない。
「ですから」
頌が言った。
「お帰りください。あなたが何をなさっても、終わりはまいりません。四百十一人が死ぬだけです」
鴉は動かなかった。
それから、動いた。
背を向けて、通路のほうへ歩き出した。三歩ほど行って、そこで止まった。
「明日また来る」
鴉は言った。
頌が顔を上げた。
「屠人」
鴉は振り返らなかった。
「あなたは、いくつ残っておられますか」
「三つ」
「……そうですか」
頌の声が、少しだけ低くなった。
「三つですか」
鴉は歩いていった。足音が通路の下へ消えて、それきり聞こえなくなった。
広い場所に、頌だけが残った。
目が閉じた。
壁の音は変わらなかった。速くも遅くもならず、四百十一の重なりが、いつもと同じ調子で鳴りつづけていた。寒がっている者の音があった。数を数えている者の音があった。三百年、そう鳴っていた音だった。




