第三十話 終わりがあるか
二日目の昼、霙は小屋へ来た。
来る道で、誰にも会わなかった。畑にも人が出ていない。三日待つと決まってから、領は動かなくなっていた。決まるまでの二日を、みなで待っている。
鴉は外にいた。屋根の落ちた側の壁にもたれて、日の当たるほうを向いている。刀は膝の上にあった。抜いて、布で拭いていた。
霙が来ても、手を止めなかった。
「座れ」
霙は少し離れて座った。地面は冷たかった。
刀を見た。刃に曇りはない。使い込まれているのに、傷が少なかった。人を斬るのに使っていないからだろう、と霙は思った。それから、一昨日の窪地のことを思い出した。あれは斬っていた。
布は端が黒く光っていた。長いあいだ同じ一枚を使っているらしかった。
「昨日、家に帰りました」
「そうか」
「母に、霰は元気だったと言いました」
鴉は刃の背を拭いていた。
「嘘をつきました」
「そうか」
それだけだった。責めもしないし、慰めもしない。霙はそれで少し楽になった。楽になった自分に、また嫌気がさした。
「聞いてもいいですか」
「言え」
「どうして三日なんですか」
鴉は布を折り直した。
「なぜ三日で、なぜ四日ではないんですか。あなたは急いでいるようには見えません。ずっと待っていられる人みたいに見えます」
「待てる」
「じゃあ、なぜ」
「あんたが決められなくなるからだ」
霙は顔を上げた。
「日が決まっていなければ、あんたは決めない。明日にする。また明日にする。そのうち冬が来て、雪が積もって、次の聖餐の日が来る。次の一人が塔へ入る」
鴉は刀を鞘に納めた。
「三日でも長い」
霙は膝を抱えた。
「あなたは何のために来たんですか」
「聖種を殺しに来た」
「それは分かっています。そうじゃなくて、どうして殺すんですか。頼まれたわけでもないのに。血が要ると言いましたけど、その血で何をするんですか」
鴉はしばらく黙っていた。
風が来て、屋根の落ちた板が鳴っている。
「終わりがあるかを知りたい」
「終わり」
「聖種を殺している」
鴉は自分の手を見た。
「一体殺すと、ひとつなくなる。三つなくなった。あと三つある。三体だ」
霙は息を呑んだ。
「あと、三体しか殺せないんですか」
「そうなる」
霙は鴉の手を見た。膝の上に開かれたままだった。指は動いていない。代官さまなら、袖の中で折りはじめているはずだった。
「それで、全部ですか。聖種は、あと三体しかいないんですか」
「知らない」
鴉は言った。
「それを知りたい」
霙は理解するのに時間がかかった。
「聖種が、あと何体いるかを」
「そうだ」
「三体より多かったら」
「終わらない」
鴉は膝の上で手を開いた。
「三体殺して、それで全部なら、終わる。四体いれば、終わらない。十体いれば、終わらない。百体いれば」
言葉を切った。
「知っているのは聖種だけだ。人間は知らない。だから聖種に会いに来る」
霙は地面を見ていた。
数えている、と思った。この人も数えている。残りを数えて、足りるかどうかを知りたがっている。わたしが紙に名前を書くのと、同じことをしている。
違うのは、この人の数は減っていくということだった。
「どうして、そんな体になったんですか」
鴉は答えなかった。
「血を飲んだんですよね。聖種の血を。どうして飲んだんですか」
「飲まされた」
「誰に」
沈黙があった。
「知らない」
霙は顔を上げた。
「知らない?」
「覚えていない。気がついたときには、そうなっていた。どこかの領だった。名前は覚えていない。人がいて、何か言っていた。何を言っていたかは覚えていない」
鴉は淡々と言った。
「そのときにはもう、痛みがなかった」
霙は言葉を失った。
この人は、自分がなぜこうなったかを知らない。誰にされたかも、なぜされたかも知らない。知らないまま、聖種を殺して回っている。
「それで、探しているんですか。その人を」
「探していない」
「じゃあ何を」
「終わりだ」
鴉は立ち上がった。
「それだけだ」
霙も立った。
「明日、あなたは塔へ行きますよね」
「行く」
「わたしが、殺さないでくださいと言ったら」
「出ていく」
「聞かずにですか。答えを聞かないまま?」
「聞く」
鴉は霙を見た。
「殺す前に聞く。殺さなくても聞く。答えを聞いてから、あんたが決める」
霙はしばらく黙っていた。
「あなたは、わたしが殺すと言うのを待っているんですか」
鴉は答えなかった。
「待っていないんですか」
「待っていない」
「どちらでもいいんですか」
「そうだ」
霙は鴉を見た。
嘘ではなかった。この人は本当に、どちらでもいいと思っている。四百十一人が死のうが、生きて薄れようが、この人の中では同じことなのだ。知りたいことを知れば、それでいい。
三日という日限も、霙のために切ったものだった。自分のためではなかった。
「わかりました」
霙は言った。
言ってから、自分がまだ何も分かっていないことに気づいた。




