↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
屠神録 ―白灰の領  作者: 卓哉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/40

第十二話 四百と三百

 軒下で、霙(ミゾレ)は紙を差し出した。


「集めました」


 鴉(スス)は受け取って、暗がりで目を落とした。字は読めた。墨が薄い。摺りが足りないまま書いたのだろう。名前が三つ、あとの四つは名前のかわりに、どこの家の誰の姉、というような書き方をしてある。


「七つです」


 霙が言った。


「五軒回って、それだけでした。皆さん、自分の家の人は覚えているんです。名前も、年も。でも、その前の人は誰も知りません」


 鴉は紙を返した。


「四百と少しある」


 霙の顔が上がった。


「え」


「塔の高さを測った。膝ひとつで一人だ。四百と、幾つか」


 霙は口を開けたまま動かなかった。


「年に一人なら、三百年で三百だ。百多い」


「百」


「雲に入っている上のほうは、数えていない」


 霙は紙を持ったままだった。持ったまま、指が震えはじめた。押さえようとして、両手で持ち直した。


「三百年で、三百なら」


 言いかけて、口を閉じた。紙の下のほうを見ている。七つのぶんだけ字があって、あとは白い。その白いところに百がどう入るのかを、数えようとしている顔だった。


「言うつもりはなかった」


 鴉が言った。


「あんたが自分で数えたから、言った」


 霙は何も言えなかった。しばらくして、頭を下げて、帰っていった。走らなかった。行きは走ってきたはずだった。


 翌朝、宿に代官が来た。


 表の戸が開く音で分かった。鴉が廊下へ出ると、巳戸(ミト)は土間で待っていた。宿の主人は奥へ引っ込んでいる。話を聞かせない配慮というより、聞きたくないという顔だった。


 供はいない。手にも何も持っていなかった。帳面も、書付も、筆も持たずに来ている。この話は、どこにも残らない。


「昨夜のこと、伺いました」


 巳戸が言った。


「怪我をした者が三人おります。指を折った者が一人、肩を痛めた者が一人、あとの一人は転んだ拍子に」


「そうか」


「死んだ者はおりません」


 巳戸はそこで少し間を置いた。鴉が何か言うのを待ったらしい。何も来なかった。


「刀をお使いにならなかったそうですね」


「使う理由がない」


「……なるほど」


 巳戸は上がり框に腰を下ろした。座ってから、袖を整えた。座る前に框を手で払っていた。埃があったわけではないだろう。そういう順序が体に入っている男だった。


「お聞きになりたいことがおありのようだ。塔が何年ぶんあるか、と」


「聞いた」


「お答えします」


 巳戸は顔を上げた。


「三百年です。三百年で、三百人。年に一人ですから、そういうことになります」


 鴉は壁に背を預けたまま動かなかった。


「四百ある」


 巳戸が瞬きをした。


「塔の影から高さを出した。膝の高さで割った。四百と幾つかだ。雲の上は数えていない」


 土間が静かになった。


 巳戸の顔は変わらなかった。表情という点では、まったく変わらなかった。ただ、袖の中で手が動いた。前と同じ動きだった。指を折ろうとして、途中で止まる動き。


「……お測りになった」


「した」


「そのような測り方は」


 巳戸はそこで言葉を切った。何を言おうとしたのか、自分でも分からなくなったようだった。


 長い間があった。


 外で鶏が鳴いた。宿の裏で誰かが水を使う音がした。竈に火を入れる音もした。宿の主人が朝の支度をしている。この土間で何が話されていようと、朝は同じ順序で来る。


「銭をお渡しします」


 巳戸が言った。声の調子が戻っていた。


 懐へ手をやりかけて、やめた。持ってきていない。渡すつもりで来たのではなかった。申し出て、断られる。その順序を踏みにきた男の手つきだった。


「路銀と、峠までの馬を。三日ぶんの食料も付けます。峠が塞がる前に発たれるのがよろしい」


「いらない」


「宿代はこちらで持ちます」


「いらない」


 巳戸は膝の上で手を合わせた。合わせてから、離した。


「では、何をお望みですか」


 鴉は答えなかった。


「わたくしには分かりません」


 巳戸が言った。今度は少し早口だった。


「銭もいらぬ、礼もいらぬ、あの娘から何も受け取っていないと聞きました。それで塔へ入ろうとなさる。何のためです」


 鴉は答えない。


「あなたは、ここで何かを壊して、行ってしまわれる」


 巳戸の声が低くなった。


「壊れたあとに残るのは、わたくしどもです。あの娘も残ります。あの娘の母御も残る。昨夜、指を折られた男にも、家族がおります。あの男は畑を持っております。右手が利かねば、来年の作付けができません」


 鴉は壁から背を離した。


「三百と言った」


「はい」


「四百ある。あんたはそれを知らなかった」


 巳戸は答えなかった。


「知らないものを、あんたは三百年守ってきたわけだ」


 巳戸が立ち上がった。上がり框の埃を払う。丁寧に払った。時間をかけて払った。座る前にも払っていた場所だった。


「これより先は、代官としてお相手いたします」


 そう言って、外へ出た。


 戸が閉まる音は静かだった。乱暴に閉めるような男ではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。