5【桜桃の里 イヌメ】
里の随所には、人よりやや大きな樹木が整然と並ぶ。葉を青々と生い茂らせるなか、髪飾りのようにポツポツと赤く小ぶりな果実が宝石のように実っていて、人々はその収穫などに大忙し。これが、桜桃である。
桜桃の里——そこは、一里二姫を戴く。一里五姫の苹果の里、一里三姫の梅の里に次ぐ大きな天守閣を持っており、珍しいのは二人の彩果姫——実桜姫が、同じ彩果御殿(姫が私生活を送る家)で生活をしているという点だ。
実桜姫の名は、シュウホウとニシキ。仲睦まじいが、二人の性格はまるで異なり、かたやお転婆姫かたや撫子姫と呼ばれ、民からは親しまれている。
さて、桜桃は人気を博す果物であり、観光や取引のために人の往来は日中絶え間ない。ゆえに花街もあり、やたらと活気付いている。しかしそれは、一般町民や商人の居住区である西半分でのことだ。
東半分には、職人・武士・医師などが居住しており、それぞれの工房や道場、研究施設などがある。ゆえに、小川を挟んだ東西でガラッと街並みも雰囲気も変わる。このように、東西ぱきっと分たれて合理的に営むのは例を見ない形であった。
こんな諺がある——西で研ぐ馬鹿、東の冷や水。
これは、鍛冶屋のようなことをやるなら東でやれ。賑やかな場を求めるなら西へ行け、という意味だ。
巨大な門をくぐれば見える城下町。東西を何ヶ所かの橋が繋ぎ、人の往来は多く賑わっている。
「着いたな……まずは西に行くぞ。俺の知り合いに会ってもらう」
「ぬおー賑やかじゃあ、ははっ。妾の里は長閑じゃったから新鮮じゃなあ」
「おい、呑気に見回してんなイクリ。さっさと来い」
「急くな、分かっておるわまったく。して、誰と会うのじゃ?」
「行きゃ分かる、逸れんなよ」
西の町、長屋が連なる通りの裏手に、すれ違える程度の小道がある。分かる者しか、その先に何があるのか分からないようなそこを進むと、木箱などが乱雑に置かれていて、やや通りにくい。やがて見えてくるのは、池を持つ二階建ての母屋。そこは、長屋が密集した内側にある。つまり、外に面していない場所。
でーんと鬼瓦が鎮座する軒先。ガラガラっと引き戸を開けると、薬膳が所狭しと棚に並ぶ土間。上がり端の向こう、大きな箪笥の前、帳場格子の中にはノダジリという若い男が一人。小袖に紋付き羽織、色白の好青年だ。
ノダジリはヤマトを見るや否や、手元のそろばんを落として声を上げる。
「おあっ、ヤマトの兄さんじゃないすかーっ!! いやぁしばらく来ないからどうしたのかと!」
ツカツカと近寄って肩を叩くも、そこでキヨウの存在に気付いたノダジリは言いにくそうに苦笑。
「兄さん、恋は自由だと僕は思うんすよ。でも、あんまりにも……ちょっと幼すぎやしないすかね?」
「ちげーわ馬鹿タレッ! 訳ありだ、だから話がしたい。イヌメはいるか?」
訳ありと聞けば、深くは聞かぬのが界隈の常識。
「ああなんだそういう……いやぁでも今ちょうど出ちゃってるんすよねぇ。もうすぐ戻ると思うっすよ。それまではどうぞ奥の座敷使ってください。今日は先約も無いっすからね」
キヨウと目線を合わせるように腰を下げる男。
「こんにちは、僕はここの番頭やってるノダジリっす! 可愛いおじょーちゃんお名前は?」
十二と言えども、小柄で童顔なため、八つかそこらに見えてしまうのはいつものこと。キヨウはそれを不満に思っているので、ここでもやはり納得できぬ顔でプイッとしてから、口を尖らせて言う。
「ふんっ……妾はイクリじゃ」
「ん……?」
そんな名前がいるのか? ノダジリはヤマトを見るも返ってくるのは、面倒くさそうか舌打ち。
「あ! あーはいはい、そういうことっすね。あっはは! 分かってますよ兄さん。ほいじゃ、よろしくっすイクリちゃん」
「俺はちょっと出てくるから、こいつを預かっといてくれ。ここなら安全だろーからな」
「へいへい、任せてくださいっす!」
出ていこうとするヤマトの袖は、しかしぐいと引っ張られる。
「っと……なんだよ」
「おい、よもや忘れてはなかろ? 身なりを整える約束じゃ。ノダジリ、水汲み場はあるか?」
「え? ああ、あるっすよ。向こうに、井戸の水引っ張ってるっす」
「イヤイヤ後でいいだろそんな——」
「ダメじゃ! 約束じゃぞ!」
頑として譲らぬキヨウに諦める他なかった。
「はぁぁ……わあったよ畜生」
髭は剃って髪は梳かして後ろで縛り、服は綺麗に縫い直し……そうして出来上がった姿は当時の凛々しい——とはいかずも(加齢と目元のクマはどうしようもない)、きちっとした印象を与える姿。
表へ出てゆくヤマトを思わず三度見したノダジリは、帳簿を書く手を止めてこう言った。
「ええダレッ……!?」
「うっせ。じゃあと頼んだぞ」
「へーぃ……」
「どうじゃ? 妾も手伝ったんじゃぞ。小汚い猫のような前に比べれば、だいぶマシじゃろ? 携帯カミソリも助かったぞ。持たせておきたかったからな」
「え……あーなら良かったっす。でも、いやぁ人ってこんな変わるもんなんすねえ……」
「されど外見じゃ。粗末にしては、要らぬ誤解も招いてしまうしの」
「あいや僕は……まいっか」
ノダジリが驚いたのは、格好が見違えたことにではなく、あの頑固で面倒くさがりで言うことの聞かない奔放なヤマトが文句をつけながらも、誰かの指図に応じたことに対してだったりした。
「ノダジリは、そこで何をしていたんじゃ?」
手元の帳簿を見ながら問う。
「これは出納帳っす。今朝のもんを記帳してたんすよ。
ほら、瓶詰めの植物とか粉とかいろいろ棚にあるでしょ? それらは生薬とかなんすけどね。あんまり薔薇ノ國じゃ手に入りにくいもんがほとんどで。あとは、さっきのカミソリとかの小間物もそうなんすけど。好事家もいるから、こういうの金になるんっすよー?」
「ほう……て言うとなんじゃろう。薬屋さんになるのか?」
「半分当たりっす! 薬と調度品の仲買い半分、あとはここじゃ言えない秘密の仕事半分。だからまぁ、萬屋ってとこっすかね!」
「いろいろやっとるのか。さっきヤマトが呼んでおった、イヌメというのはなんなのじゃ?」
「イヌメの姐さんは、ここの店主っす。ヤマトの兄さんとは長い付き合いになるみたいで、僕がいまええと……八年目すから、たぶん十年超えの付き合いっすよ。
あ、お嬢ちゃん聞いたっすか? 実はヤマトの兄さん、守護士やってたんっすよ?」
「聞いたぞ、茱萸の里の者だったと」
「わーなんだぁ……聞いてたんすかぁ。
ウチは手広くやってて、表にできない要人警護の仕事とかも請け負うことがあるんすけど、ヤマトの兄さんはそういうときメッチャ力になるんっすよ!
まぁでも、そんな稼業やってるせいで目をつけられて店が強襲されることもしばしばっすけど」
ノダジリは小声で続ける。
「そんなことだから……実はここ、三度目の店なんすよ?」
「そんなに襲われておるのか? 大変じゃの……恨みを買われてということか?」
「そうっすね、誰かに肩入れするってなると当然、一方からは反感を買う。しかも、姐さんはだいたい不利な方に味方しちまうもんなんで、まぁ目算の鋭さは抜群にあるから、その選択には文句つけられやしないし、しようとも思わないっすけど。ただ、いつも肝が冷えるんすよねぇ。
とは言え、同業の差金で島荒らしとかもぜんぜんあるんすけど。僕も街を歩いてる時に十回は斬られて、百回は路地裏でボコボコにされましたから、あっははは!」
「いやっ、笑い事ではないぞ! こ、ここは平気なのか? お前以外に人がおらんかったと思うんじゃが……」
「ふふふ、違うんすよねぇそれが。三度目の正直でここを選んだのは、なんでだと思います?」
「分からぬ」
「いや即答ォーっ!」
机にドテンと頭を打つも、すぐ起き上がり前のめりに言った。
「ほら、ここへは長屋の裏の狭い小道を通ってきたっすよね?」
「うむ」
「そこは物も置いてて通りにくかったっすよね?」
「なんじゃ、入りにくいというだけか?」
「ちっちっち、そーじゃないんすよ。逆にっ、出させないためにそうしてるんす!
ここを囲ってる長屋も実は、身内のモンが住んでるんすけどね。裏手には木材が立てかけられていたり木箱が置かれてたりしてたと思うっすけど、実は小さい勝手口がヒッソリついてるんす。そして壁には、いくつか覗き穴があるんすよね。だから、誰が通ったのかは四六時中把握可能。もし怪しい奴でも入って来ようものなら、ここまで引いてある縄をくいと引っ張るでしょ? すると……ほら、ここにつけてる鈴が鳴る。僕らは重要なものだけ持ち出して裏から避難。長屋からは仲間たちが出てきて、袋の鼠っ! どうすか、凄いでしょ!!」
キヨウは目を輝かせるのだったが、そこでふと首を傾げた。
「そんなこと、妾に話して良いのか?」
「あダメっすね。あはは! まぁでもほら、ヤマトさんの連れですから。そこはギリセーフってことで良いんじゃないっすかね。内緒っすよ?」
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ヤマトが戻ってくると、時間を置いてイヌメが帰ってきたのだが、ヤマトを見るや開口一番にこう言った。
「ダレだお前?」
「もういいよソレ」
イヌメは目に涙を浮かべ爆笑。
「あはははっ! なんだいそのツラ、十歳は若返ったんじゃないのかい? 気持ち悪いねえ」
「ぶち殺すぞてめえ……」
イヌメ——黒金の縮緬羽織りに真紅の髪を上で結った器量良し。切れ長の目で背の高い彼女は、店主にして裏界隈の事情に精通する古参。歳は四十過ぎと思われるが、年齢不詳。古参なのに、その見た目は若々しい。ゆえに、同業などからは古狐と言われている。
雑談もそこそこに、座敷で彼らは向かい合う。ヤマトは包み隠さずこれまでの事情を伝えたのだった。
「——なるほどねーえ、ヤマトの言うことは理解したよ。花梨の里までの通行手形が欲しいと。あとは、伴う荷の手配だな?」
「ああそうだ」
「妾は金になる物を持っててな、それでどこかの大店に工面をしてもらおうと思っとったんじゃが……それではダメじゃとこいつは言うのだ」
「そりゃそうさ。変なとこに頼んでもみな。裏を通じてどっからどう情報が漏れるかは分からん。筒抜けになっちまったらあんた、場合によっちゃすぐに殺されちまうよ」
「そ、そうなのか……」
「もう李の里のことは、裏じゃ知れ渡ってる。表向きには李姫は死したってことになってるけれどね、それが嘘だってことも裏界隈の奴らは知ってる。だからあたいも、あんたのことを聞いてさして驚きもしなかったってわけさ。ヤマトがツルッツルの顔になってることに比べりゃあね」
「もいーだろーがよ……」
「あっははは。しかしまぁ……一つ残念な事実を伝えなけりゃならないねえ」
「あ? なんだよ、金なら俺の金庫の分で手打ち出来んだろ」
「違うさ、そんなこと言ってんじゃないよ。花梨の里……あそこはいま、里閉めをしてる」
「えっ……おい冗談だろ、こんなタイミングで」
想定外の事態にヤマトは頭を抱える——




