4【亡命 同行二人】
朝靄照らし眩しくなる頃、目覚めたキヨウはヨダレをこぼしているのにも気付かず、泡を食ったように周囲を探し回っていた。
「ぐぬぬぬぅ、あの男めえぇッ……なぜじゃあッおーい!! 男ォォーッ!! どこだ、どこにおるウゥーーッッ!!」
雑木林から出てくるキヨウは足元の根に気づかず、すっ転んでしまうのだから泣きっ面に蜂である。
「んなッ……くぅ、なんじゃまったくこんなとこに。ふんッ! ういしょ……あいつめ、どこに行った。まさか、本当に妾を置いていったのか? いや、ちゃんと妾は言ったのだぞ。よもやそんなこと、あり得るわけが……」
腕を組むこと一秒。
「いやあるかもしれんっ!!」
里ならば、申しつけるだけでみなその通りにしてくれたが、外ではそうはいかないことを理解した瞬間だった。
「あんな見た目でも、根は真面目だと思い込んでおった。なんじゃ、妾が浅はかじゃったのか?」
とは言え、木に登って先を見渡したり、雑木林の奥へあちこち行ってみたり……ところが、彼の姿はついぞ見つけられず。やきもきしながら戻ってきては、ペタリと座り込んだ。
「ええいもーっ、どうするッ……このさき妾はまた一人で旅を続けるのか。銀丸がおればもっと楽に進めたのであろうが……」
旭はみるみるうちに登ってゆく。何気なく手のひらを返してみるキヨウ。
擦りむいた手を気遣ってくれる者も、迷った時に引いてくれる者ももういない。里は滅びた。財産もほぼ失った。たった一人だ……こんな日がいつか訪れるやもしれないことを、キヨウも全く考えていなかったわけではない。イガワに言われていたからだ。それゆえ、心構えや段取りが頭には入っていた。しかし、実際そうなってみれば、想像よりもはるかに辛く寂しいものだった。それは、一人の時ほど自覚するものである。
「はぁぁ……そもそも、あの男は妾のことが嫌いじゃったのかもしれんな。なぜじゃ……どうして妾は里の外では好かれぬのじゃ。みんな、妾を置いていく……みんな、約束を守ってはくれん。イガワ……妾は本当に、意味があるのか——」
心細さは、とうとうキヨウを蹲らせ、伝う涙は迫る朝日にきらりと輝く。
「誰も、そばにいてくれんのか……」
すると、目の前がすっと陰った。
「おい、クソガキ」
「っ……!?」
そこには、背に陽を受けるヤマトの姿。
実はあれから共に行くことを決断したのだが、時間があったので川に魚を釣りに行っていたのだ。その手には、小ぶりな魚が三尾ほど。
「なっお前……妾を置いて行ったのではなかったのかっ!?」
垂れた鼻水そのままにキヨウは目をまん丸くさせた。
「お前が言ったんだろ、置いてくなって」
「ぶぁあかものめぇ!」
「わ、汚ねっ抱きつくな鼻拭けッ!」
「ウウぅッ……妾は、もうすっかり……なんじゃ不安にさせおってぇ!!」
ヤマトは、突き放そうとした手をぶらりと下げた。
「たく……面倒くせーな」
「ずずーっ、ぐずん……ん、しかし生臭いな。そうか、お前はこんな匂いじゃったのか」
「おいぶち殺すぞ。魚持ってんだろ」
「おお、いつの間に獲ってきたのか凄いなあ! 道具もまともになかったろうに。達者なやつじゃ……おや、でも小さいの?」
「あそーかよ、食わねーんだなじゃあ」
「そうは言っておらんっ! 妾も食べる」
ということで火を起こし魚を焼き上げ、それを食しながら話は始まった。
「——てことで気が変わった、俺はお前に協力する。その上で、約束してもらう」
「もぐ、もぐ……ごくり。んむ、なんじゃ?」
「今から俺が聞くことには、正直に答えろ。でなきゃ協力は無しだ」
「うむ、分かった。なんでも話すと約束しよう」
「俺はヤマト。茱萸姫、ナワシロの守護士をやっていた」
「ほおぉ……茱萸かぁ。イガワから聞いたことはあるが、実際の茱萸は見たことがないの」
「そりゃあな。もうだいぶ前になくなっちまったんだ。
それよりお前は、俺が守護士じゃないとすぐ分かったな。それはお前が彩果姫で、俺が加護持ちと思ったが違ったからこそ出た言葉……そうなんだろ?」
彩果姫は、加護の気配を感じることができる。ゆえに、他者の加護も分かるのだ。つまり、イガワの死は離れていても分かっていた。そして、加護は一人にしか与えられない。つまり、キヨウはいま加護を誰にも与えていないということになる。
「その通りじゃ。妾は、李の里、李姫キヨウという」
「李か……誰にやられた?」
「分からぬのじゃ……統率がとれた異様な様から、果物を忌み嫌っている『黄金の旅団』かもしれぬ、そう守護士のイガワは言っておったが、奴らが腕にいれるという刺青を確認する暇など無かった。もしかすると、土地を狙うどこぞの里の回し者による里狩りじゃったのかもしれぬ」
「お前は、花梨の里を目指してるって言ってたが、そのワケは何だ?」
「そこに行って、伝手に入国手形を用立ててもらうのじゃ。そして、蜜柑ノ國へと亡命する。それが、イガワから言われていたことじゃ。生き延びるという約束を果たすために、妾はそこへ向かわねばならない」
蜜柑ノ國の関所は、手形なくして簡単に通ることはできない。大山脈と断崖絶壁、それを避けるなら底なし沼が続く盆地など。関所を通らずして密入国するのは、双方至難の業と言えた。
「薔薇ノ國で信頼できる里っつーのは、そこの他にねーのか?」
「いや梅の里も……まぁ、信頼できるんじゃが——」
「あー。あそこは昔から無干渉中立の立場……助けてくれる義理はねえか」
「あーうむ、まぁ……」
とは言え、言い淀んだのには別の理由があった。
梅姫シロカガとは面識があり、特に親しい。もし助けを求めたならば、きっと受け入れてもらえるという確信はあった。
しかし一番の問題は、梅の里が他の里の姫を匿うのであれば、それは当然ながら宗主である苹果の里に申告しなければならない。そうすると、姫が増える分だけ課税が大きくなり、里を苦しめることになる。人気の果実を生み出す姫なら、まだ民は納得できよう。が、李とあらば人気はかなり低い。当然、民から受け入れられるはずもなく、反感をくらい追い出されるのは言を俟たない。内乱の種になっては本末転倒。見越したイガワは、進路を逆に亡命を選ばせたのだ。蜜柑ノ國は、薔薇ノ國ほどの厳しい課税や土地の規律が無い。きっとそこなら、いずれ立て直すこともできようという将来的な考えである。
「なら、お前が入国手形を入手して蜜柑ノ國へ亡命するまでを協力してやる」
「おおっ本当か!? 感謝するぞヤマト! であれば、約束の通りこれを渡しておこう」
煙管を手渡すも、ヤマトは突き返す。
「いや要らん。蜜柑ノ國に渡るまでに、お前の路銀が底をつけば意味がねえだろ」
「お? ううむ、しかしなぁ……」
「礼は要らね。俺が後悔しないようにやるだけなんだ」
茱萸姫に顔向けできる選択をしなければならない、という思いがそこにはあった。
「そうか……ならば加護を授けよう。お前は強いし、約束を守ってくれた。イガワもきっと認めるはずじゃ。ほれ、額をこちらへ」
「要らねえ。俺の加護は茱萸姫のもんだけで十分だ」
「でも……茱萸姫はもうおらんのじゃろ? ならもう加護はとっくに消え——」
「黙れッ! 消えてなんかねーよ!」
「っ……」
手をぴくりとさせ固まったキヨウに、ヤマトはバツ悪そうにそっぽを向く。
「あんだよ、俺の中にはまだ……だから要らねぇ」
「そうか……そうじゃな、すまぬ。不躾じゃった。ヤマトはそうでなくとも強いしな」
「……食い終わったら出発するぞ。まだ先は長い」
「そうじゃ、妾からも約束をして欲しいんじゃが」
「なんだよ」
「ヒゲを剃れ。髪を結え。服を整えろ。それでは、あまりに小汚くだらしがない」
「は、お前の小袖だって安物でほつれてんじゃねーか」
「これは身分を悟らせぬためじゃ。髪はちゃんと手入れしておる。見よ、妾の滝のように流れるすももの髪を。お気に入りの櫛があってな、いつも梳かしてるんじゃそ。比べてヤマト、お前は髪の毛ですらぼさぼさと枝毛もあってみっともない。最低限というものがあろう。ズボラは違う。蛮族のような奴と、悪目立ちされても敵わんしの」
「く、お前な……」
落ち込んでたり、元気になったり、怒ったりと読めない奴だ——そうヤマトは思うわけだが、これはキヨウの取り柄でもあった。切り替えが早いのは、とことんそのときに感情を表に出すからこそ。出し切れば、とりあえずは落ち着いてしまうのだ。落ち着けば、頭は回り出す。
「きっと、もっとしゃんとした姿をその当時はしておったのではないか? 立派な鞘に入っておるじゃろ、お前の刀は。しっかりと手入れされておるしな。よほど意味のある業物なのじゃろ。そのように良い物は、良い器があってこそ一層輝く。人間もまたしかりじゃろ。であれば、守護士だった自分を、そうでなくなったと言って適当にするものではないぞヤマト」
自分を大事になさい——ナワシロの口癖がそこに重なった。
「っ……ちッ。わあったよ畜生」
「にひっ、次の里で必ずじゃぞ、約束じゃ」
その後、野道を淡々と歩き続ける二人。
「おいヤマト、向こうに大きな白い鳥がいたな。なんて言うのだ?」
「知らん」
「妾の里では、よその果物をあまり仕入れなかったが、加工品はよく土産として梅姫が持ってきてくれていたのじゃ。懐かしいのう。梅の里は行ったことがあるか?」
「忘れた」
「妾は無くてなぁ。ひと月に一度、苹果の里へは行かねばならぬ義務があるじゃろ? じゃから苹果の里は多少のこと知っておるが、他はその道中にある桃の里くらいであった。もう少し大きくなったら他の里へ訪れてみましょうなどと、イガワには言われておったな。
ふふっ、しかし向こうに着いた時にどう見違えるか楽しみじゃな。里に着いたら身なりを整える。ヤマト、約束じゃからなあ?」
「何度も言うなチビ助。耳タコだ」
「じゃからチビではない! 何度言えば分かるんじゃこの阿呆」
「これから先、街中やなんかでお前の名前なんて聞く奴が聞けば、すぐに情報が回っちまう。だから公に呼ぶわけにゃいかねーんだ、これでいいだろ」
「それは……でもイヤじゃ」
「じゃなんて呼ぶんだ?」
「……んん、分からん」
「めんどくせーな。なら、イクリでどうだ」
「イクリ……おーなかなかよいな。どういう意味なんじゃ?」
「すももだ」
「おおなんと……! そんな呼ばれ方もしておったのかぁ、知らなかったのじゃ。よし、それで呼べ」
実のところ、イクリというのは果物を裏取引する際に使われる隠語で、その意味は確かにすもも。しかし、出来の良くない果物もまたそう呼ばれる。つまり、あまり金にならないものの総称というのが本当の意味ではある。
そこで差し掛かる分岐点。ヤマトが左に行くので、キヨウは慌て呼び止める。
「おいっ。何故そちらに行く? 向こうの丘を目指さねば、木苺の里には着かぬじゃろ?」
振り返らずにヤマトは返す。
「あんなぁ……馬鹿かお前。進みやすい道ってのは、追っ手にとっても同じことだ。それに、あそこはよそ者にえらく冷たい。ふっかけられて酸っぱい思いをさせられんのは御免だ」
「そなのか。よく知っておるな、分かった」
「これから湖沼地帯を抜けて、そのさらに先に行く。目的地へは遠回りになるが、知り合いがいるんだ」
「向こう方面は……ん? どこの里じゃったかの。立地などは学んだはずなのに、出てこぬ……」
「桜桃の里だ」




