3【在りし日の記憶 茱萸姫】
日没後。街道沿いの雑木林で適当な場所を見つけ、夜を過ごすことにしたヤマト。そこへ当然のように居座るキヨウは、大木に寄りかかって刀を手入れするヤマトをじーっと見ながら、懲りもせずに話しかけていた。
「あのなー、干し肉がまだあるんじゃ。分けてやるぞ。何も無いんじゃろ? ほれ」
「要らん」
「お腹は空いとらんのか、ほれ」
「や犬じゃねーんだよ俺は」
「食いたくないか? でもな、何か食わないといけないぞ。体は規則正しい食によって健康を得るのだ。ほれ」
「だから、要らないっつ……っんぐ!?」
無理やりに口に押し当てられる。
「むんっ、ダメじゃ! 何かを腹に入れねば元気が出てこなくなる」
「わあったよ! ったく……」
そんな姿を嬉しそうに見つめて、自らも一口。
一人になってしまった孤独を紛らわしているのか、体格の似たヤマトにイガワを重ねているのか……いずれにせよ、本人はそれに気づいていない。
「——そう言えば、お前の名を聞いておらんかった。なんと言うんじゃ?」
「知ってどうすんだ」
「お前、としか呼べぬではないか」
「それで問題ねえよ」
「妾には問題じゃ」
しかし、ヤマトは溜息混じりにごろんと寝そべってしまう。
「もーいい。起こすんじゃねーぞ」
「ふうむ……仕方のないやつじゃな。なら、妾も寝るか」
キヨウはふんすと鼻息をつき、少し離れた場所に寝転んだがすぐ起き上がる。
「ぬあっそうじゃ! 妾のことを置いて行くなよ。そんなことすれば、妾はお前を祟ってしまうかもしれん。そうなれば夜に一人で厠へ行けなくなるぞっ!」
「…………」
胴乱を枕に寝転がれば、煌々と輝く星々が。浮かぶ星座はあの日の光景、蘇るのは永遠の思い出。声も無しに流す涙とすする音。
すぐに寝入ってしまうのだが、そうしてすぐ寝付けたのは心身を休めようとする本能と言えよう。それほど心は、無意識のうちに疲弊していたのである——
寝静まった夜のしじま、尿意を催したヤマトはむくりと起き上がり、近場で用を足して戻ってくるついでにこんなことを考えた。
(アレを奪って、足のつかなさそうなもんだけをさばくか? イヌメなら上手くやってくれるかもしれねぇ)
イヌメとは、落ちぶれてから知り合った裏界隈の人間だ。
すっかり寝息をたてるキヨウの頭はすっかり胴乱から落っこちている。寝相の悪さはピカイチだ。
(大事なモンなら座って寝なきゃ不用心ってもんだぞ、ちんちくりん。盗んだモンなんだろうし、盗られても文句は無しだ。悪く思うなよ)
胴乱に伸ばされる手はしかし、ピタリと止まる。
「っなんで……」
つーっと流す涙に対する良心の呵責、というわけではない。首の後ろの紋様が、目に飛び込んだからだ。
彩果姫は身体に紋様が浮き出る。その位置は姫によって異なり、胸・肩・額などさまざまだ。李姫の場合、それは首の後ろ側。普段は、すもも色の髪が下りているので隠れているものの、横向きに寝ていたことで見えてしまっていた。
見なければ良かった……しかし、見てしまったからには無かったことになどできやしない。彩果姫なのに、こんな身なりで一人。それが意味するものとは——
「おい……なんてこった、全く勘弁しろよ」
今は亡き、かつて仕えた茱萸姫と同じ境遇の可能性が高い。だとすれば、あの時の言葉は全て真実だ。
あのとき救えなかった茱萸姫と同じ末路を、みすみす辿らせてしまって後悔しないのか。また、毎日悪夢にうなされるのではないか……ヤマトはそこに悄然と座り込む。
「はぁぁ……最悪だ、畜生」
鮮やかに思い起こせる茱萸姫の、数多の日々と最期の笑み。救わなければならなかったのに、救われてしまったという無念。死場所を失った亡霊の末路。ヤマトは思う……もし、茱萸姫がここにいたらなんと言ってくるだろう。きっと、こう言うはずだった——何やってんのよ、しゃんとしなさいな。落ちぶれてる場合なの?
「ナワシロ……俺は——」
そして頭に浮かぶ、茱萸姫ナワシロのかつての言葉。『あなたは強いの。なら、その強さはお裾分けしてこそ価値を生むのよ。私だけを助けるためにある力じゃないんだからね。きっと、私以外にも肩身が狭くて生きにくい、不条理な運命を強いられる姫達はたくさんいるわ。もし私が消えても、あなたは生きなきゃダメ。そして一人でも多くの姫を、そして果物を守って頂戴ね。分かった? 約束よ』
「……分かんねぇよ」
ぼそっと呟いたヤマトは、木にもたれて遠くを見た。
こんなとこで、逃げのびてきた彩果姫に出会うなどと誰が思うだろう。とうとう使命を果たすことができなかった失意の守護士が、性懲りも無くまた何かを守ろうとする……そんなことが許されるのか。茱萸姫の言葉を重んじればこそ、手は貸すべき……そう頭は理解している。だが、そうやってまた失ったらどうする?
そこまで考えたとこで、ヤマトはぐぬと顔を歪める。
「ち……怖いのか、俺は。くそっ……ざけんなよ畜生ッ」
ヤマトにとっての夜は、とても長かった。
⭐︎
某日、梅の里は全部で三つあり、馬で数時間かけて行ける距離に存在し、それぞれ姫と天守閣を持つ。姫は梅姫と呼ばれ、シロカガ、ナンコウ、リュウキョウがいた。
これは、シロカガの里、天守閣内での出来事である。
梅の木が勇壮に彩られる屏風に囲われた大広間。床より高く造られたそこへ凛として座するシロカガは、銀の髪に蒔絵のかんざし、梅一輪の薄紅小袖に黒の帯。きりりとした眉は威厳を感じさせる。下がった場所からは、家臣が李の里での一件を報告をしていた。
「——と既にあいなっておりましたことを、ここにご報告申し上げます」
「く、遅かったか……」
「その後のお二人の足取りは追いましたが、その途中で守護士イガワ殿が無念にも……」
「そうか……して、キヨウ殿は」
「甲街道における先般の崖崩れにより、馬と共に落下したと思われます。馬は崖下で死しておりましたが、その後は自力でどこかへ向かわれたか……あるいは、カサの増していた川にのまれた可能性もあります。行方は杳として知れず」
「まだ希望は絶たれてはいないか。イガワ殿は、霊園にて丁重に弔え。引き続き、足取りも追うように」
「御意。あの……梅姫様」
「なんだ?」
「やはり……『黄金の旅団』と通じている彩果——」
「慎めッ!」
「っし……失礼を致しました。出過ぎた物言いを……」
「いまだ確証の無いことだ。早計や短絡は身を滅ぼす」
「はい、肝に銘じます……では再び捜索を」
男が一礼をして出てゆくと、姫はサッと立ち上がり外廊下へ。目下には活気彩る城下町。そよ風は、細い銀髪を僅かに揺らした。
「また……何もできないというのか。しかし、私は先代のように傍観はせんぞ。必ず……必ずや、報いてみせよう。次代のための、正義の指標……それを最初に打ち立てるのはこの私だ……」
悔しさから溢した涙と鼻を拭き、目を瞑ると胸に手を当てた。
「母上。あなたを尊敬はしておりますが、私はあなたではない。あなたのやってきたことを、私は尊敬は致しません——」
そこへやってきたのは、紫紺の装いに耳飾りをした守護士ハルナ。後ろ一本に結い上げた黒髪の生える、凛々しい女武人である。
「またそんなところで。シロカガ様、お身体に触ります。さ、中へ」
「平気だ……立派に使命を果たした守護士の冥福を祈りもしないで、彩果姫などとどうして名乗ることができる」
「おっしゃる通りにございます……では、私もお隣に失礼致します」
「ハルナ……キヨウ殿の作る李の樹や果実は、不器用ながらも可愛らしかったな」
「はい」
「目に浮かぶ。イガワ殿が、キヨウ殿に振り回されていたあの日のこと。恨むらくは……もう、その愛おしき光景を見ることは叶わないのだ。この世はなんたる儚さか」
「正直に申し上げるならば、私はイガワ殿と反りが合わず、得意ではありませんでした。それでも、酷く残念でなりません。しかし、そんなイガワ殿は我らが覚えております。彼は、我らの中でまだ生きています」
「そうだな……彼の意思は、私たちが紡いでゆかねばならん。それが彩果姫の前に一人の統治者として、負うべき責務というものだろう」
「はい。それからシロカガ様、いつも申し上げておりますが、鼻水を袖で拭くのはおやめください。私が拭きます」
「いやよい貸せ、自分で拭く」
手を差し出すが、そこには何も乗っていない。
「どうした? 何も無いではにないか」
「どうぞ、私の手を使ってください」
「お前な……小布を持っているだろ。そちらを出せ」
悔しそうに眉を刻むこと二秒。
「っ……御意」
ちなみにイガワとハルナ、両者の反りが合わなかったのは、二人とも仕える姫を溺愛しすぎて言い争うがゆえだった。とは言え、その志は同じもの。同志を亡くしたと言っても過言ではなく、そういう意味ではハルナにとっても失ったものは決して小さくない。




