雲の間に間にきらきら光る
その後、私にとってありがたいけどありがたくないという複雑な存在と化したレヴィとは、なんとなく一言も言葉を交わさないままに野営の準備が始まった。
「『初乗馬、やっぱり腰と、尻が痛い。』夏子、心の一句」
「ンメェ?」
そして今、私は昨日と同じように牛の背にもたれて保存食の干し肉を食べながら、しかし昨日まではなかった満天の星空を見上げている。
日が完全に暮れてしまう前に、私達商人一行は森の細道を脱出した。
今は牛車が二台、横に並んでも大丈夫なほどの広い道路を進んでいる。街に近付いているからか、森の中に比べれば随分と快適だ。
木々に隠されていた星々もよく見える。
「そういえば、月や太陽は空にひとつきりしかないんだな。異世界っていうと数個ほど並んでいるイメージがあったけど」
「ウンメェ」
道中、少しばかり睡眠が取れたからか、すでに目眩などの貧血症状は収まっていた。
ただ、レヴィが言うには、一度トルグルに噛まれたのだから、明日の朝方あたりには体にだるさを感じるようになるだろう、とのことだ。
そうなる理由は分からないらしいが、私の適当な推測としては、もしかしたら人間の体が野獣の持っている細菌を殺そうとしているのではないか、と気軽に考えていたりする。風邪の症状に似たようなもので。
「しかし、なんだかんだ私ったら、殺生にも野宿にも耐性ができてきたな」
「ンメェ」
殺生に関しては……多少、強がりも含める発言だが、野宿はポッケと一緒に行った回数も含め、今日で五回目だ。
そろそろ土の上に直接体を横たえることにも慣れてきた。
毎日風呂に入れているのならば話は別だが、どうせ今や自分の体も地面と同じくらい汚いのだ。気にしているほうが馬鹿らしくなる。
「どんどん自分が原始人化していってるような気がする……」
「フメェ」
「独り言がご趣味のナツさーん、ちょっときてくださーい」
「独り言じゃないっ!」
レヴィに呼ばれた。私は歯軋りをしてからチマチマと噛み切って食べていた干し肉を無理やり口に放り込んで、レヴィのもとまで歩いく。
レヴィは私が目前まで来ると、堂々たる振る舞いで地面にあぐらをかいてから、こちらに向かってずいと右手を差し出して口をとがらせた。
「ん」
「……ん?」
その手の上に何かが乗っかっているのかと思いきや何もない。
はて、何かを要求しているのだろうか。
「ん!」
「…………んっ!?」
も、もしや、片手では地面にすわりにくいだろうからと、この手の上に、私の右手を置けということか。
頬が勝手に赤くなっていく。異性に対する耐性力でも試されているのか、これは。
そんなもの、自分から異性に触れていくことなど、そんな、私なんかにできるわけがないだろ!
「剣の手入れ、教えてやるからナイフ貸せ」
なんやねん!「ん」だけじゃ分からんわ!ちょっとドキドキしちゃった心を返せ!!
思わず舌打ちが出たが、今回のレヴィは私の反応で遊ぼうとしていたわけではないらしく、純粋な気持ちで言ってくれていたらしい。「あ?」と、首を傾げられた。
結局は誰の手も借りられずに、痛む腰と尻のせいでふらつきながらレヴィの隣に座った私は、左にぶら下げていたナイフを鞘ごとレヴィに渡す。
「こりゃまた……ひでえな」
とは、抜き身のナイフを見回したレヴィの言である。
「そんなにか」
「んー、錆びついてザラザラしちまってる。研いだ方がいいかもな」
と、彼は少しばかり汚れた布を取り出して地面に敷き、その上に様々な道具を置きだした。
「いいか。刃物の手入れに必要なもんはこの五つだ」
ついにレヴィ先生の講座が始まるのだ。
私はできるだけ背筋を正して元気よく頷く。
布の上に置かれた物は、まず透明な液体が入った瓶と、茶色い液体が入った瓶が一本ずつ。
それと、何かの動物の皮だろうか、灰色のブツブツとした薄っぺらいもの。
そして、羊毛に似たふわふわの白い布が数枚と、黒い剣身の小さなナイフだ。
「……魔符で綺麗に、とはいかないのか?」
「いかねえな。なんでかは分かんねえ」
「……うーん」
つい最近まで、何でも答えを与えてくれるポッケという天使がいたので、分からないことがあると少しもやもやとする。
疑問に首を傾げる私をスルーして、レヴィは「よく聞けよ」と灰色の皮を手に取った。
「まずこれ。フォーシクの皮だ、触ってみろよ」
レヴィが手に取ったそれは、一見してブツブツとしており少しばかり気色悪い。が、触ってみるとヤスリに近い触り心地だった。鮫肌、というのだろうか。
「フォーシクの皮で錆を削り取るんだ」
「ああ、なるほど」
どうやら、現代で言うサンドペーパーの代わりらしい。
レヴィは左手に私のナイフを持ち、それにフォーシクの皮を押し当て、擦り始める。すると少しずつではあるが、赤く濁った錆が取れていった。
「次に、砥石で研ぐ」
そのままレヴィは、カッターナイフほどのサイズの黒いナイフを右手に持つと、それを透明の液体で濡らす。
「その液体は何?」
「ただの水だ」
レヴィは水に濡れた黒いナイフを、私のナイフに素早く数回滑らせる。ナイフの形をしているが、これが砥石なのだろうか。
「きちんと毎日手入れを欠かさないなら、錆び取りと砥石の工程は抜いていい。今回は応急処置みたいなもんだ。
自分でやるより鍛冶屋に任せた方が武器も長持ちするからな」
レヴィは私の顔をちらりと見て言った。数回頷いておく。
「うっしゃ。んで、研ぎ終わったらラーシャの毛にオルレア油を数滴つけて、剣全体に油を馴染ませる」
ラーシャの毛とは、羊毛のようにふわふわとしている真っ白な布のことだった。
そしてオルレア油というのが、瓶に入れられている茶色い液体のことだ。
レヴィがオルレア油の瓶の蓋を開けると、オリーブオイルのような匂いが辺りに漂った。植物油なのだろう。
しかし、ナイフに油など塗ってしまっても大丈夫なのだろうか。
「錆って、生き物を切った時の油分とかで作られしまうわけじゃないのか?」
「んー、いんや。皮脂のせいっていうより、汗や血液やらに含まれる塩味で錆びてんだよ。植物の油はむしろ錆の防止になる」
「へぇ……」
「で、あとは清潔なラーシャの毛で丁寧にオルレア油を拭き取って終了」
そう言われてレヴィの手元に目線を落として見てみると、いつの間にやら私のナイフは過去の輝きを取り戻していた。まさに新品同然の姿だ。
劇的なビフォーのアフターである。
「おぉー……!」
「ちゃんと覚えられたか?」
「多分」
「多分かよ」
レヴィは私にナイフを返しながらため息をつき、次に自分の剣を取り出して、その剣身にオルレア油を塗り始める。
剣の手入れをするレヴィは、普段の軟派な態度とは真逆であった。とても真摯に剣を磨き上げていく。
まるで車や飛行機を見つめる純粋な少年のようだ。私は思わず微笑んで言った。
「剣が好きなんだな」
「剣は人間と違って俺を裏切らないからな」
どこをどう見て、こいつを純粋な少年だと思ったのだろうか、私は!!
思わず右手で頭を抱えた。冷えている自分の手が額にあたって、ひんやりと気持ち良い。
先ほどの眠気が抜け切れていないのか、はたまたトルグルに噛まれたせいか。少しばかり発熱しているのかもしれない。
ため息をついた私を振り返ることもなく、レヴィは剣を磨きながら「しかしさぁ」と口を開いた。
「なぁんで朝方にトルグルなんか出てきたんだろうな? あいつらって夜行性じゃなかったか」
「あぁ、それなら……」
私は女将さんから聞いた話をそっくりそのままレヴィに説明した。
レヴィは「へぇ~」「ほぉ~」と、こちらの話を聞いているのか聞いていないのかよく分からないような相槌を返してくる。
その後、手入れの終わった剣を満足そうに眺めてから、右手を額にあてたままあぐらをかいていた私を、明らかに裏のありそうな笑顔で振り返った。
「なぁ。なら、外で寝るのって危なくね?」
それからは怒涛の言い合いだ。
俺と一緒に天幕で寝よう。 絶対に嫌だ。 そんなに強がるなよ。 強がってない。いいや強がってるね。 じゃあレヴィが代わりに外で寝てくれよ。 なんでそうなる。 当たり前だろ。 絶対に嫌だね。 なら私は外で寝る。 なんでだよ。 レヴィと寝るよりも外で寝たほうが百倍安全だからだ。 あれ、お前顔赤くね? 話を聞け、赤くない。 いいや、赤いね。 トルグルに噛まれたせいで熱が出てるんだよ! なら余計にテントで寝たほうがいいだろ。 変態と寝る趣味はない。 それって何か深い意味に聞こえるな。 ちがっ、こ、このくず変態っ!!
以下略、小一時間は繰り返した。
お先に結果を報告しよう。私は敗戦した。
「外で寝て熱を悪化させて死ぬか、外で寝て野獣に襲われて死ぬか、それともテントで俺と寝転がって生きて王都まで辿り着くか!さあ、選べ!!」
死ぬ、という単語が脳裏によぎった途端、ポッケのホニャリとした笑顔が頭の中をぐるぐる回りだして、私は反論ができなくなってしまった。敗戦だ。
もちろん、大人しくレヴィの言うこと全てに従ったわけではない。そんなことをしていたら、私は今頃あいつに磨いてもらったナイフであいつ自身を刺している。
「ここから私の領地だ。レヴィは向こう」
「鞄を有効活用しすぎじゃね?」
とりあえず、鞄を使って絶対侵略不可領域を構築する。次に脅迫だ。
「いいか、少しでも触れたらレヴィの両手足をグニャリと骨折させるぞ」
「おぉ、殺さないだけ慈悲があるな」
「殺すぞ」
「時すでに遅しじゃね?」
後は何があるか……と探しているうちに、レヴィの剣にも目がいった。
それを預からせてくれ、やら何やらとレヴィに言えたわけではあるのだが、しかし私はそれをしなかった。
レヴィにとって「これだけは自分を裏切らない」と思うほど本当に大切なものであるのならば、剣を貸せ、と言った途端、今までにないほど激怒されるような気がしたからだ。
「これは、そんな軽い気持ちで他人に渡せるような代物じゃない」と。
私は別に、レヴィと喧嘩がしたいわけじゃない。最初は最低・最悪・性悪・色魔・尻軽男という印象しかなかったが、私の怪我の治療をしてくれたり、刃物の手入れ方法を教えてくれたり……レヴィのすべてが、悪い人間というわけではないことを今は知っている。
考えが甘すぎるのかもしれないが、この商人の集団のなかで私と同じように孤独なレヴィに多少は親近感を感じたし、少しばかり気を許しても良いかもしれないな、とも、やはり少しばかり思い始めていた。
まったく、私は甘々の馬鹿野郎である。




