おまえと みちづれに
……ウィペルタムを出発して四日後の白昼。
初日から続くレヴィに対する負の感情をどうにか否しつつ、寝不足と筋肉痛を引きずりながら移動を続けていた私は、悲しいことに再びナイフを手に取ることとなった。
「トルグルだ! 二頭! 前方左右!!」
「っ何!? ト、トルグルだと!? まさか! 今は朝ではないか!!」
緊迫した護衛の声。
それに続いて、性悪商人の裏返った怒声が聞こえた。
護衛の声に思わず身を固くした私とは逆に、レヴィは舌打ちをひとつしてから音も立てずに剣を抜く。
「二頭か。めんどくせぇな」
レヴィを含む護衛達と私は、荷車を引く牛と、主である商人を中心に、丸い円陣を作って移動していた。
正確な人数は数えていないので不明だが、性悪商人には確か二人、また荷車には一台につき左右に三、四人の護衛が付いていた気がする。それとは別に隊列の前方には二人、後方にはレヴィと、そして私だ。
声が聞こえてきたのは、隊列の先頭からだった。
しかし、二頭とは、いったいどういうことだ。
「レヴィ。トルグルは単体で行動するものなんじゃないのか」
「あ? 知らねえのか?」
そんなことも知らずによく旅してんな、と鼻で笑われたが、今はそれに怒る余裕がない。
声のした方向を見つめて状況を探ろうとしたが、はっきりと目視することができなかった。事が起こっている先頭と最後尾であるこちら側には、牛が二頭分、そして荷車が二台分入る距離がある。
ひどく霞んで見えないほど遠いわけではないが、目を眇めなければ道の先が分からないほどの距離であることには変わりない。
「トルグルはな、番うと一ヶ月は一緒に過ごすんだよ」
レヴィは私のように前方を確認するのではなく、後方周辺の森を鋭い眼光で見渡しながら言った。
「一匹を相手にするなら奇襲に警戒するだけで案外楽に殺せる相手なんだが、番いとなると厄介になる」
前方、はるか遠くの方で、懐かしい鳴き声が聞こえた。その音が何から発せられているのかを知っているのだろう、にわかに牛達が興奮しだす。
「わ、わたしと荷物を絶対に守りたまえ! 死んでも、絶対だぞ!!」
性悪商人が叫ぶ。泣き出す前のような声だ。
レヴィはそんな性悪商人の様子をちらりと確認してから、冷静な態度を崩さず言を繋いだ。
「いいか、よく聞けよ。トルグルのオスはメスと行動を共にする間、体内に毒を持ちやがる」
「毒?」
「ああ、猛毒だ。噛まれたら一刻で全身が痙攣する。気をつけろよ」
頷こうとした瞬間、次は隊列の中央右手側から、針を刺されたかのような叫び声が聞こえた。
叫んだ人物は護衛の一人だ。
「足元だ!」
「茂みに隠れているぞ! 奇襲に気をつけろ!」
切羽詰まったような怒声が隊列全体を緊張させる。
私は左手側にいて、叫び声がした場所とは荷車を一台挟んでしまっている。そのため、そちら側の状況が見えず、何が起きているのかがさっぱり分からない。
誰か怪我をしたのだろうか。
牛達は四足を不揃いに動かして怯えている。ケルベロスは依然として大人しいが、その両耳はせわしなく動いていた。
最初は先頭、次は中央。トルグルは隊列を撹乱させたがっているように感じる。
次は後方か。私も静かにナイフを抜いた。
一昨日、初めて殺生を行った。
その時の感覚は、まるで呪いのように鮮明に、私の心身に焼き付いている。やはり戦うことは怖い、何かを殺すことは怖いが、しかし、自分の身は自分で守らねばなるまい。
「っ!!」
突然、すぐ目の前の低木の茂みが揺れた。思わずびくりと体が震える。
姿は見えないが、一昨日、森の中で耳にしたガラガラヘビのような音が、その茂みからシャラシャラと聞こえた。トルグルだ。すぐ近くにいる。
すると、次は背後の雑木林からもトルグルの鳴き声が響いた。
その声に誘われて思わず振り返りそうになったが、しかし私の目前にもトルグルがいることを即座に思い出す。
振り返った瞬間、襲われるかもしれない。
二頭に挟まれてしまった。
ままならない。どうすることもできず、全身が硬直する。
「こっち振り向くんじゃねえぞ」
背中にレヴィの存在を感じた。
「番いの狩りは役割りが決まってんだ。獲物を前後で挟んで動揺させた瞬間に襲う。これは罠だ。絶対に振り向くな」
「……分かった」
生憎と私の手足は震えているが、声だけは震えずに済んだ。
私は目前の茂みに集中する。
他の護衛達が参戦しに来る気配はない。中央にいる商人と牛二頭を完璧な円陣で守っているのだ。商人にとっては安全な旅だとしても、同行者には安全な旅を提供してくれるとは限らない。そういうことなのだろう。
さて、私も戦力として見られてしまっているのか。はたまた助太刀する必要もないほどレヴィが強いのか。
「俺の背中から絶対に離れるなよ。俺が右に動けば右に動け。左に動けば左だ。絶対に背後を晒すな」
「んな無茶な……!」
「死にたくなけりゃそれくらいやれよ」
簡単に言ってくれる。私は戦闘初心者だぞ。
だが、それでも、今はレヴィの言う通りに頑張ってみるしかないだろう。
きっと、背後を晒した瞬間、後ろにいるトルグルに噛みつかれてしまう。
(ああもう……どうか生き残れますように)
深呼吸をして気合を入れようと、大きく息を吸った瞬間だった。
目の前の茂みから、先日遭遇したものとは一回りほど巨大なトルグルが飛び出す。
「って、デカッ!!」
前回のトルグルは幼かったとでも言うのだろうか。このトルグルはガルバン以上に大きかった。
「右に二歩!」
レヴィの方のトルグルも同時に飛び出したらしい。
指示に従うまま、私は荷車へ二歩近寄った。背中の存在が離れていった気配はない。
「しゃがめ!」
そのまま流れるようにレヴィが叫び、すぐさま真後ろで風を切る音がした。
私は咄嗟に尻餅をつく。レヴィの言う通りに颯爽としゃがみたかったのだが、そんな余裕はなかった。無様である。
私の頭上を銀色の何かが通過した。剣だ。レヴィは円を書くように剣を振り回して、トルグルを二体同時に斬りつけた。
尻餅をついたことで一瞬視界がぶれてしまった私は、急いで周囲を確認する。
レヴィに向かって飛びかかったトルグルは、私の方にいたトルグルよりも小さく、そして今や首がなかった。レヴィに斬られたのだ。これは即死だろう。
「何してんだ馬鹿野郎ッ!!」
飛沫をあげて倒れる首なしトルグルへと、完全に意識が向いてしまっていた。
レヴィの怒声に慌てて前を振り返る。私の目前にいたトルグルは、なんとまだ生きていた。
剣に片目を潰されながらも、大きな口を開けて襲いかかってくる。
私の目前が、トルグルの口に覆われた。




