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毒けしゃ いらんかネ

 

 噛まれてしまう。咄嗟に思った。


 さて、前回はライオンの唸り声についての知識を披露したが、今回は違う場所に視点を向けてみよう。


「条件反射」というものだ。条件反射とは、訓練や経験により蓄積される反射行動のことを言う。

 人は前のめりに転びそうになると、無意識に両手を突き出す。このまま転ぶと顔面を怪我してしまうと体が覚えていて、無意識に頭を守っているのだ。


 そして私も二十四年の人生経験上、例外なく条件反射なるものを発動できる。


 トルグルの攻撃から、自分の顔を守るように両腕をかかげた。

 顔の前に晒していた左腕へと感じる重い衝撃。血眼になったトルグルが、私の左腕に噛みついたのだ。


「うぐっ……!!」


 私は恐怖に悲鳴をあげてしまわぬように喉を引き締めながら、右手に持っていたナイフをがむしゃらにトルグルの頭へと突き刺した。


 トルグルが耳障りな悲鳴をあげ、真っ赤に染まった私の腕から牙を抜く。そこに銀色の光が走る。

 巨大なトルグルはレヴィの剣に胴体を断ち切られ、音もなく崩れ落ちた。


 ほんの、数分間の戦いだった。



「──馬鹿か、お前は!!」

「ッいたぁ!」


 戦いが終わって小さく安堵の息を吐いていたら、脳天に大きな拳が降ってきた。

 驚いて頭上を見上げてみれば、怒りに顔を歪めたレヴィがそこにいた。


「鞄から水を出せ!早く!」


 私は彼に言われるまま急いで飲み水を取り出す。それを奪い取ったレヴィは私の左腕を強く掴み、左腕のシャツをめくり上げて傷を露わにさせると、そこに飲み水をぶちまけた。


「いたぎゃああああッ!! 大切な飲み水があああ!!」

「んなことより消毒だろうが!!」


 レヴィの目が、いつも以上に狼と化していた。本気と書いてマジと読む目だ。物凄く怖い。

 だが、このまま任せていると六日分の水を使い切られてしまう気がして、私は慌てて口を開いた。


「そ、それなら消毒酒があるんだけど!」

「馬鹿か!!それをさっさと言いやがれ!!」

「なっ……!最初から消毒してやるぞって言ってくれたら良かったのでは!」

「うっせえ!さっさとしろ馬鹿野郎!!」


 私は左腕に走る鈍痛とレヴィの怒声に歯軋りしながら、再び鞄の中を漁って消毒酒と清潔な布を取り出した。

 レヴィが私を心配してくれて治療を行なってくれていることは充分に伝わっているのだが、それにしたって馬鹿野郎馬鹿野郎と繰り返し言いすぎである。


「わ、私だって頑張ったのに……」

「うっせえ! 何尻餅ついてんだよ! あーもう……! 戦ったことがねぇなら先に言えよ!」

「っ戦ったことはあるっつの! 一回だけだけど!」

「んなもん戦ったことがねぇに等しいだろうが! そもそも何で最後尾にいんだよ! 弱ぇなら中央で歩いとけ!!」

「し、仕方ないだろ! 商人に後ろにつけって言われたんだ!」

「それならちゃんと反論すりゃいいじゃねえか! もういいから黙っとけ!!」

「ほ!! ぐおぉぉ!!」


 飲み水に濡れた左腕を布で乱暴に拭われる。鋭い痛みに泣き叫びそうになったが、唇を噛み締めてどうにか耐えた。そこに容赦なく消毒酒が掛けられる。

 激痛の二段弁当だ。いらない。


「ヒタヒィィィ……ッ!」

「いいか、よく聞けよ。でけぇトルグルはメスの可能性が高い。毒の心配はないだろうが、トルグルが何か病気を持っていたりなんかすりゃ話は別だ」


 先ほどまでの怒声から一転、レヴィの冷静な声が頭に響いた。


「トルグルに噛まれたら数日は全身にだるさを感じるはずだ。ただ、何か病気を持ってたんなら三日から二十日のうちに筋肉が痙攣し始める。体が動かなくなって死んじまう」


 ……病気。

 もしかしたら、狂犬病のようなものがあるのだろうか。

 遅効性の症状ほど怖いものはない。私は思わず呼吸を止めて聞き入った。


「だから少しの間、安静にしていたほうが良いんだけどな……」


 そう言って、レヴィは前方へと目を向ける。

 牛達の混乱はトルグルが討たれたことでどうにか収まったようだ、おとなしく尻尾を振っている。護衛達が騒いでいる様子もないので、先ほど襲われたらしい護衛の一人も無事なようだ。


 先頭にいた護衛の一人がこちらに向かって歩いてくる。彼は私を見下ろしてから、レヴィに向かって話しかけた。


「ウェンタル様から伝達だ。ウェンタル様は速やかに道を進みたがっている。足手まといは置いて行くと仰った、端金はしたがねも必要ないと。……その女は歩けそうか」


 冷酷な宣言だ。こんな場所に置いて行かれてはトルグルに食われて死んでしまう。

 私は咄嗟に「歩ける」と言って立ち上がったが、一瞬ふらついてしまった。


 ふと目線を下げると、左腕の傷をおさえていた布は真っ赤に染まっていた。今回の場合は前回とは違い、相手の血ではなく自分の血である。

 頭がふわふわとする、軽い貧血なのだと悟った。


「どうなんだ、赤いの」


 朦朧とした状態のまま反論する私が信じられないのだろう、護衛の一人は未だしゃがんでいるレヴィから目を離さない。


 そんな相手に、レヴィは八重歯を見せて笑った。


「俺はな、てめぇらみたいに他人の栄華を借りて威張りくさってるような人間じゃねぇ、立派な傭兵様なんだよ」


 それは相手を挑発するような笑顔だった。


「見れば分かるだろ、俺にはケルベロスがいる。ナツも連れて行けるに決まってんだろうが」


 護衛はレヴィの様子を探るように口を閉じ、それから数秒後、大きく舌打ちをして私達に背を向けた。


「傭兵風情の小童こわっぱが偉そうに。

 どれほど剣が強いのかは知らないが、あまり大きな口は叩くなよ。……首が飛ぶぞ」

「…………」


 トルグルとの戦いは終わったというのに、レヴィを取り囲む状況はあまり芳しくないようだ。

 宿屋の前では仲が良さそうに見えたが、それは私とポッケという共通の誹謗対象がいたからなのかもしれない。


「できるもんならやってみろっつーの」


 そういえば、レヴィはこの旅の途中、私に話しかけるばかりで他の護衛達と笑声する様子がなかったではないか。


(……もしかしたら、レヴィも孤独なのか)


 怒鳴りながらも私の怪我の治療をしてくれたレヴィ。


 元彼に似た異性として意識さえしなければ、そんなに悪い奴でもないのかもしれない。

 少しは、気を許しても良いのだろうか。



 

レヴィの言う身体痙攣は破傷風の症状です。野生の動物に傷をつけられた時は、速やかに傷口を水洗いすることが大切です。

次回、レヴィの好感度を突き落とす。


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