男と女はすれちがい
ポッケと私は宿屋で別れた。
ポッケは「村の出口まで見送っていきたい」と言ってくれたが、私は敢えて断った。先ほど笑顔で別れの挨拶はできたのだし、これ以上別れを引き延ばしてしまうとコボルトの街に戻りたくなる気がして怖かった。
一緒にいればいるほど、別れというものは辛くなるのだ。
この世界は私の居場所ではないということを忘れてはならない。私の世界は地球だ。この騒動に流されて、生半可な気持ちで私の全てをポッケに投げて巻き込むような、そんな迷惑なことはできない。
必ず日本に帰る。ポッケを心配させないためにも。
私は、決意も新たに前を向いた。
「レヴィー! あんた、ピリアとあたしのどっちを嫁にしてくれんのさー!」
「この浮気者ーっ!」
ただ、悲しいことに、そんな空気をぶち壊してくれる存在が私のとなりに立っている。
「あー、やべー、バレちまったか」
レヴィという名の狼のように鋭い眉目をした赤髪青年は、私にしか聞こえないほどの小声で一言呟いてから顔をしかめた。
それから一瞬にして笑顔になったかと思うと、遠目に立っている二人の女性に向かって大きく手を振る。こいつは二重人格なのだろうか。
「あー!すまねぇ!二人とも可愛いぞー!まあ、次までに考えとくわー!じゃあなー!」
「絶対だからね!あたし、待ってるからねっ!」
レヴィに手を振る二人の女性の間には、とてつもなく険悪な空気が流れている。よくよく見てみると、そのうちの一人は昨日の朝、レヴィとイチャついていた金髪の女性だ。
どうやら、この狼男を二人で取り合っているらしい。
「……案外しつけぇなー」
絶句した。
なんと、問題の当人から、最低なつぶやきが聞こえたのだ。私は思わず顔面蒼白になりながらレヴィの横顔を見つめた。
真性だ。こいつは重度の浮気者である。
「恐ろしい子……!!」
「それを白目で言うお前のほうが恐ろしいけどな」
危ない。ショックのあまり無駄なところで昇天しかけてしまった。
ともかく、先ほどの光景を見て、私は余計に一年間付き合っていた元彼を思い出した。どうもレヴィと雰囲気が似ていると感じていたが、ようするにそういうことだったのだ。
「この、尻軽男め……」
こいつとは絶対に親しくなるものか。
私は再び、別の決意も新たに前を向いた。
言葉少なに森の中を移動する商人一行。
ここは人間の領域だ。道なき道を歩くことはなくなったが、道だからといって日本の片田舎のように綺麗に土が敷き詰められているわけではない。
地面はでこぼことしているし、時折、雑草や木の根に足を取られたりして歩きにくい。
(結構、きついな)
この商人一行が、なぜ足の早い馬車を使わずに牛車を使うのか気になっていたのだが、実際に歩いてみて納得した。
こんなにも荒れ果てた道を馬車で進めばどうなるか。馬の細い足は疲弊し、馬のスピードについていけない荷車は石や木の根に引っかかって、いとも簡単にひっくり返ってしまうだろう。
それでも馬を使うというのであれば、せいぜいケルベロスとレヴィのように、単騎での移動が限界だとみえる。
(徒歩だと四日かかるところを牛車で行くとなると、どれくらいかかるんだろうか……)
ポッケの言うまま六日分の食料は買ったが、さすがに旅が長引くと、つらい。
もう何がつらいって、体力よりも精神が、である。
「なぁお前さぁ、名前なんてぇの?」
ちなみに現在の所持品だが、怪我をした時のための止血用の布とアルコール瓶、六日分の食料。お金と寝袋、そしてスーツ。
あと、コボルト達が作ってくれた花輪、女将さんがくれたお下がりの服と、甘いパペトのみだ。それでも、なかなかの重量である。
そのうえ、ポッケは魔符まで与えてくれようとしていたが、それはさすがに断った。
「おい」
なぜなら魔符は高額だとポッケ自身が言っていたし、こちらは商人と移動するのだから火を焚かなくとも安全である。反対に、一人で街まで帰るポッケのほうが危険だ。
「無視すんなよ」
黒馬ケルベロスの上に跨っている物体が何かしら言葉を発しているようだが、あれおかしいな、よく聞こえない。
「おい!」
ズサリと勢いよく下馬する音がした。
ちらりと横目を向けてみると、眉間に皺を寄せたレヴィが私を真っ向から睨んでいた。
「無視すんじゃねえよ」
いやはや、なんとも短気なやつだ。いや、まあ、私も短気なほうなので人には言えないが、まあ、それはあれだ、それでも短気なやつだ。
「俺の名前はレヴィ・ノイケルってんだけど。お前は何て名前だっつって聞いてんだよ」
私はこいつと親しくなるつもりはない。故に、こちらの名前を名乗るつもりもない。……なかった、のだが。私の頑固な性格が、針に引っかかってしまった。
私はどうも、「相手にきちんと名乗られたなら、自分もきちんと名乗り返すべきである」という、礼儀正しいルールに反することができないのだ。……前世は武士かもしれない。
ただ、それでもやはり少しばかり癪に障ることに変わりはないので、地味な嫌がらせとして超高速で名前を言ってやった。
「水島夏子ッ」
「あ? ……あ? ツ、ツンコ?」
よし、今日から私の名前はツンコだ。
「まぁー、あれだ。あのチビのコボルト、お前のことナツ〜ナツ〜って叫んでたよな。だから俺もナツって呼ぶわ」
思わず地団駄を踏んだ。全身全霊で地団駄を踏ませていただいた。あやつに与える名前などツンコで充分だったのに!
涙がでるほど無駄に終わった、私の小さな嫌がらせ。
「ガッデム……」
「んでさぁ」
このレヴィ・ノイケルという男。いったいいつまで話しかけてくるつもりなのだろうか。
(しつこい男は嫌われるって、こいつ自身が言ってたじゃないか……!)
とにかく、当たり障りのない……多分、当たり障りのない自己紹介が無事に終わったのだから、もう許してほしい。
「聞きたいことがあんだけど」
彼の含みのありそうな笑顔に、私は思わず顔をしかめた。
こいつは確かに相当なやり手のタラシらしいが、生憎こちとら、恋愛運が全くないことを自覚済みである。
わざわざ恋愛運をマイナスにするつもりもないので、話しかけて好感度を上げようとしたって無駄だ。
「ナツはどこの生まれ?どっから来たわけ?」
……しかし、問われた内容はいたって普通のものだった。どうせ、よくある「彼氏いる?」から始まるだろうなと思っていたのだが。
これは、私はタラシの許容範囲外として認識された、と思っても大丈夫なのだろうか。……いや、タラシはタラシだ。そして多分こいつは真性のタラシだ。多少自意識過剰に見えたとしても、襲われぬよう警戒はしておくべきである。
それに丁度、レヴィを困惑させられる回答が行えるではないか。
「……フッヘッヘ……どこからやって来たかって? 私はなぁ……別の世界からやって来たのだ……わかるか? この世界とは、別の世界だぁ……」
「……あ、あぁ?」
今この場が日本であれば、すぐさま警察署の皆様と素晴らしい関係を築くことができただろう。私は怪しさ満点の笑みで彼に言い放った。
案の定、目の前にいる整った顔が訝しげにゆがむ。してやったり。困惑してまうやろ作戦大成功である。
「う、嘘つくんじゃねえよ」
「こちとら、あなたに嘘をつく筋合いはないんだよ」
私はほくそ笑みながらレヴィに言い返した。これで会話は止まるだろう。私は前方に向き直って、その足を早める。
「……はーん。さてはナツ、お前、何か裏があるんじゃねえの? お偉いさんでも殺しに行くとか?」
しかしレヴィは諦めない。そういったしつこいところも、浮気をするくせに毎回別れを渋る元彼にそっくりで、それが余計に不快感を募らせる。
「はぁ……」
歩きすぎたからか、胸が苦しい。もはや返事をするのも億劫だ。ここは無駄な口を開かず、今後のためにきちんと体力を温存すべきである。
ただ、真横でレヴィが見つめてくるのだ。心の底から鬱陶しい。
そんな状態でも必死に耐えて数分ほど無視を続けられていたのだが、それでも全く顔を逸らす気配のないレヴィに、ついに我慢の限界がきてしまった。
「……何?」
真っ正面からレヴィを睨む。
レヴィは、嬉しそうに口角を上げる。
「強がっちゃってさぁ。可愛いなぁ、と思って」
そのまま、なでるように右頬を触られた。




