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閑話 忘れないでね また来てね

 

「ナツ、またね」

「うん」


 彼女が、最後に笑顔を見せてくれた時。

 ボクは、最後の機会を自ら手放した。



 ナツ、あのね? ボクは、ナツにあやまってもらいたいわけでも、頭を下げてお礼を言ってもらいたわけでもない。ボクは別に、彼らにナツを預けたことは、決して間違いじゃないと思ってるんだ。


「ナツ、ボク……」

「わかってる。……たくさん、たくさんありがとう。ポッケがいなかったら、今の私はいない」


 そうじゃないよ、ナツは分かってないんだよ。


「それ、前も聞いた気がする」


 ……でも、ナツが精一杯に無理して笑ったりなんかするから。


「うん」


 ボクは言えない。変なことを言って、ナツの笑顔を消してしまいたくなんてない。

 時間が経ちすぎたんだ、行動を起こすには。



 ……百五十歳のコボルトに、こっそり聞かされた話。

 ナツが水浴びに行ってから、おもむろに始められたジジイの昔話を思い出す。


 彼は遥か昔、ひとりの人間に恋をしたらしい。

 それは魔法使いの少女で、青い瞳が空のように輝く、とても美しい人だったんだって。


 少女は無機物媒体を探して一人で旅をしているというから、ジジイは自分も魔法使いであると嘘をついて、彼女の旅に無理やり同行した。

 でも、結局は勇気を出せずに告白できなかったらしいんだ。


 コボルトは人間と違って長寿だから、どこかしら、のんびりしすぎているのかもしれない。少女はいつの間にか大人になり、彼の目前で恋をして、彼の目前で、人間の男と永遠の愛を誓い合った。


 自分は意気地なしで、何も言えなかった。告白も出来なければ、おめでとうも言えなくて、逃げるようにコボルトの街に引きこもった。自分がみじめに思えて仕方がなかった。

 そう言って、ジジイはボクに笑顔を向ける。


『お前は、わしと同じかのぅ?わしと同じ、とても臆病で、自分の気持ちもはっきり言えぬ、意気地なしの、小さな小さなコボルトなのかのぅ』


 過去のジジイは、今のボクだった。



 それからボクは、人間とケモノであることを認めながら彼女に告白をした。

 そしたらナツ、「私も好きだ。迷惑をかけてごめんなさい」って言って泣くんだ。


 ボク、どうしたら良かったのかなぁ?「違うよ。ボクはオトコとして好きなんだよ」って、ちゃんと言えば良かったのかなぁ?

 でもね、ボクは意気地なしのコボルトだから。宝物をさわるみたいに、ナツの頭を撫でることしかできなかったんだ。


 王都行きは必ずナツのためになる。

 でも本当は、本当は行かせたくなかった。このままずっとそばにいてくれたら良いのに、って思ってたんだ。

 でも黙っていられなかった。彼女は必死に助けを求めていたから。

 ボクは本当に意気地なしなんだ。


 ナツと一緒に人間用のご飯を食べた。それはとても味が濃くて、コボルトと人間は住む世界が違うんだよ、と言われているみたいだった。



 そうだ。ボクね、ひとつ後悔していることがあるんだ。

 夕暮れ、ナツがトルグルと対峙した時、ナツが奇襲に反応できていたから、ナツは狩りが得意なのだと思ったの。

 でも、それは誤解だった。


 トルグルは単独行動を好むけど、つがいを見つけると少しの間だけ二匹で生活する。

 ボクは、怪我をしたトルグルの周囲にもう一匹が潜んでいないか警戒しながら、ナツと背中合わせに立ったんだ。


 それからしばらく時間が過ぎて、トルグルは一匹しかいないと確信できた。

 その間にも、どちらが先に一手を進めるか、睨み合いが続いていたね。


 のんびりしていたら、血の臭いで新たな野獣が来てしまう。

 ボクは、ボク達の隙を探して歩き回るトルグルに飛びかかるなんて、そんな危険な行為をナツには絶対させたくない、と、そう思ったんだ。


 ボクは、彼女に怪我をさせないために、吠えてトルグルを挑発した。


 トルグルと揉み合うことになっても、狩りに慣れているナツならトドメを刺してくれると思ったから。


「ごめんッ!!」


 結果、ナツはボクが望んでいた通り、トルグルにトドメを刺してくれた。

 でも、全身にトルグルの血を浴びたナツが、がくりと膝を落とした時、違和感を感じた。とても嫌な予感がしたんだ。


「……ごめんっ……」


 彼女はひどく震え始めて、過呼吸になり始めた。見開かれた彼女の両目は、何も写していなかった。

 ここでボクは、やっと重大な過ちを犯したことに気付く。彼女はもしかしたら、生き物を殺したことがなかったのではないか、と。


 なんてことだ。やってしまった、やってしまった、彼女の心を傷付けてしまった。

 このままではナツの心が消えてしまう気がして、今まで出したことがないほどの大声で彼女の名前を呼んだ時、やっと焦点が合ってくれた。

 早くトカゲの血濡れた空気から逃げさせたくて、急いでナツを小川まで引っ張ったよ。


 ボクは最低なんだ。勘違いをして、好きな人を傷付けた。

 ボクが守るとあれほど思っていたのに、ボクが傷付けた。

 ボクは、最低のコボルトだ……。


 その夜、全ての自信を喪失していたボクは、ナツに無理やり抱っこされて眠った。

 実はね、ボクもう、ナツの愛玩動物になっても良いなぁって、思ってしまったんだよ、その時。簡単な知識を与えることしかできないコボルトだけれど。だって、だってね、愛玩動物になったら、ずっとそばにいられるでしょう?


 だけど、ボクは冷静になってしまった。ボクには、大切な仕事があったんだ。

 ボクがコボルトの街からいなくなったら、街の人達は、外にいる知り合いとの文通がひどく困難になってしまう。

 前にも言ったでしょう?ボクは、何でもかんでも論理的に考えてしまうから、思い切った行動ができないって。


 自信を失くした今に限って、足がすくんでしまった。

 コボルトの街を、そう簡単には、見捨てられない。



 ああ、懐かしいなぁ。

 ついこの前の出来事なのに。


 初めてコボルトの街を歩いた日、子ども達にまとわりつかれたナツは、物凄く困った顔をしていたでしょ。でもそのあと、料理屋さんで初めてナツの笑顔が見られたとき、ボク、周りに花が咲いたのかって思ったんだよ。胸がきゅんとしたんだ。


 ポーニに懐かれた時だって、迷惑そうな態度をとりながら、ちょっとだけ嬉しそうに笑っていたね。


 旅に出る前日、おとなしくボクの話を聞くナツは、学校の先生の話を聞くコボルトの子どもみたいだった。ああ、愛しいなぁって思った。


 でもね、ナツ、その夜に「帰りたい」って、ひとりで泣いていたでしょ?ボク、知ってるよ。起きてたんだ。


 焚き火を見ながら手を繋いだ。屈託のないナツの笑顔が焚き火に照らされて、綺麗だった。思わず見惚れたんだ。


 厩に入ろうとしないポーニに、しゃがんで目線を合わせながら話しかけるナツの可愛いこと可愛いこと。


 女将さんに撫でられて、眉間に皺を寄せていたナツ。でもね、ナツは迷惑だと思って険しい顔をしていたんじゃなくて、怖い顔を作って必死に照れ隠しをしているんだってこと、ボクはちゃーんと分かってるよ。


 ナツの本心は見えにくいけれど、ボクには分かる。分かるんだ。

 だって、ボクは……。


「ボクね、ボク……。あのね、ナツのこと、大好きだよ」


 純粋なナツには、伝わらない思いばかり。

 胸が苦しくて、ナツが愛しくて、痛い。


(どうか、ほんのちょっとで良いから)


 そんな分からず屋のナツに、ボクは最後、少しだけわがままを言った。


「ボクがずっとそばにいたこと。忘れないでいていてくれる?」


 臆病者のボクのこと、忘れないでいてください、って。


「忘れるわけないだろ」


 どうか、あなたの心の一部をボクにください、って。

 そう言ったんだ。



 

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