この手より優しいもの 探しながら
「いいじゃねぇか、女一人運ぶだけで金が稼げんだから」
黒馬ケルベロスを連れた赤髪が言う。
確か女将さんは、ケルベロスは商人の連れている傭兵のものだと言っていた。ということは、こいつがその傭兵か。はたまた、ただの厩係か。できたら後者であってほしい。
「旅に女がいると華やぐし、もしかしたら口にゃ言えねえ方法で俺達の疲れも癒してくれるかもしれねぇじゃん?」
最悪だ。前者である。
「おい、それ逆に疲れるんじゃねえの」
「確かにそれも一理あるわな」
赤髪の下品な話題に、性悪商人を取り囲む男達がギャハハハと笑った。
絶望やら怒りやら羞恥心やらで感情に任せるまま一歩足を踏み出そうとしたが、それをポッケが咳で制止する。
「……ポッケ」
「……ナツは王都に行くんでしょう?」
ポッケを振り返って、歯を食いしばる。
そのまま、未だ笑い合っている商人達の取り巻きを睨んでから、下品な赤髪にも目を向ける。そいつはニヤニヤしながらこちらを見ていた。私を怒らせて遊んでいるのだ。
その表情を見て、逆に落ち着いた。とにかく私はこれ以上、彼らに何の感情も露呈させなければ良いのだ。喜ばせなければいい。強く唇を噛み締めて、気持ちが高ぶらないように目を閉じる。
「フン……まあいいだろう。
我らはイペルタム周辺を幅広く仕切っている商団ウェンタルだ。我らはそろそろ出発するが、そこの無愛想な女は旅の準備を終えているのかね?」
「はい。大丈夫だよね、ナツ?」
「……ああ」
「では、少し待っていたまえ。隊列が組めたら呼んでやるから、そしたら列の後ろに付け。少しでも我らに迷惑をかけたら許さないぞ」
ああ、もったいない交渉をしてしまった。と、嫌みたらしく最後に呟いてから、性悪商人はもう一方の荷車のほうへと向かっていった。
「……ぎゃっ」
その後ろ姿を睨んでいると、いつの間にかすぐ真横に赤髪がいた。思わず一メートルほどジャンプしてまった。額から梨汁が出ている気がする。
「ご挨拶だなぁ女」
そんな態度を気にして怒り出す様子もなく、赤髪はただねちっこくこちらの顔を覗き込んできた。仕方なく顔をしかめながら目を合わせると、途端に右の口角を引き上げてみせる。
「お礼を言ってもらってないんだけど」
言われて、確かにどのような理由であれ赤髪に交渉を手伝ってもらったのだと自覚した。
自己中心なプライドに引っ張られて変な心残りを残したくはない。癪に障るので頭は下げないが、私はきちんと目を合わせながらお礼を言った。
「どーもありがとー」
「睨みながら言われてもなー」
「ポッケ」
「無視かい」
次にポッケを振り返ると、なんと彼は背中の毛を逆立てながら赤髪を睨んでいた。
その目は性悪商人と交渉している時の余裕なものとは打って変わって、怒りに揺れている。
赤髪のことが嫌いなのだろうか……。同志である。
「ポッケ」
目を合わせるために、ポッケの前にしゃがんだ。
そうすることで、私よりもポッケのほうが背が高くなる。憤怒を含んだ瞳のままこちらを振り返ったポッケの顔が、途端に苦しげに悲しみをたたえるところがよく見えた。
「ナツ、ボク……」
「わかってる。……たくさん、たくさんありがとう。ポッケがいなかったら、今の私はいない」
ポッケはしばらく泣きそうに顔を歪めたが、それから困ったように苦笑した。
「それ、前も聞いた気がする」
「うん」
私はポッケに精一杯の笑顔を向けた。最後は笑ってお別れしたかった。
すぐ隣から砂の踏みしめられる音が聞こえたが、お前はさっさと隊列を組んでこんかい。
気を取り直して、ポッケの両手を握りながら私は再び口を開く。
「ポッケ、私が言えることじゃないけど……。どうか今も、これからも、誰かのことじゃなくてポッケ自身のこと、一番に大切にしていてほしい。
だってほら、一番目の約束は、ポッケが元気に生きていてくれないと守れないだろ」
一番目の約束とは「私が日本へ帰れることになったら、必ずポッケに教える」というものだ。もちろん、ポッケに対しての強がりや嫌味で言ったわけではない。これは釘刺し、生きろという脅しである。
きっとこれからも、色々な場面でポッケは自分の命を二の次にまわすだろう。トルグルに襲われた時が良い例だ。
だから、自分が取り付けた約束によってポッケ自身にも縛られてほしかった。私が死んではいけないように、ポッケも死んではいけないのだ。
ここは日本のように、安全が確立された場所ではない。野獣が跋扈する、死と隣合わせにある世界なのだ。
真剣な表情で伺う私に、ポッケは微笑みながら頷いてくれた。
「うん。……ナツ、どうか元気でいてね?約束だからね?」
それは、ホニャリとした笑顔。
「うん、ポッケも元気で。約束だ」
「うん」
白々しい挨拶だけでは足りず、結局最後に抱きしめ合った。モフモフの体を感じて思わず涙が出そうになったが、歯を食いしばって耐える。今日は笑顔でいるのだ。
「早く並びたまえ。準備ができたぞ」
最後だからこそ。
「ナツ、またね」
「うん」
私達は、笑顔で体を離した。
やわらかいぬくもりが消えていく。
今日から私は、ひとりぼっちだ。




