だーれにーも なーいしょーでー
それからしばらく二人で思い出話をしてほんわか笑い合っていると、不意に部屋のドアが叩かれた。
『あたしだよ。入っても良いかい?』
女将さんだ。
私は立ち上がって、錠を外してからドアを開ける。すでに一階の騒がしさは静まっているようだ。廊下はとても静かだった。
女将さんは両手で大きなお盆を持っていた。その上には土製のコップに入った水と、直径が親指ほどの白い小さな球形のパンが複数乗っている。
「お邪魔してもいいかね?」
「はい」
私とポッケは並んでベッドに座りながら、女将さんには椅子に座るよう勧めた。
お礼を言いながら卓上にお盆を置いて椅子に座った女将さんは、ちらりと泣きはれた私の目元を見ると、それから申し訳なさそうに目を伏せて言った。
「さっきはすまないね。……言い訳になるけど、彼ら商人はあたしみたいな片田舎の宿屋主にとっちゃ、絶対に敵にまわしちゃいけない相手なんだ。彼らが結託していなくなったら、店が繁盛しなくなって潰れちまう。守ってやれなくて、ごめんよ」
頭を下げる彼女に、私は慌ててその顔を上げるように頼んだ。その理由は、充分に頷けるものであったからだ。
「いや、こちらこそお店にご迷惑をかけてしまって。それにカーナウ、あまり味わって食べられなくてごめんなさい」
女将さんの行動を模範するかのように頭を下げる私を見ていた女将さんは、苦笑を漏らしてから頷いてくれた。
「それで、本題なんだけどね。これ、お詫びに。良かったら二人で食べておくれ」
女将さんは再びお盆を手に持ち、小さな丸いパンを小皿に分けてポッケと私に渡してくれた。
「わあ!パペトだぁ!」
「パペト?」
「お菓子だよ。ほんのり甘くて美味しいんだぁ」
どこからどう見ても普通のパンだが、これがお菓子なのだろうか。菓子パンみたいなものかもしれない。私は女将さんに勧められるまま、それを一口かじってみた。
ふんわりとした食感が、優しく唇に伝わる。それを噛み切ってみると中には生クリームのようなものが入っていて、しかし濃厚というわけではなく、少し酸味を含んださっぱりとした甘さを感じた。イチゴに似た果物を混ぜているのかもしれない。
久々の甘味だ。私は思わず笑顔になった。
「おいしい。ありがとう、女将さん」
「いんや、こんなことしかできなくて」
あやまる女将さんに、私とポッケは笑顔のまま、横に頭を振った。
それからしばらく、女将さんとポッケが互いの近況を教えあっている間に、私は黙々とおいしいパペトを食べ続けた。本当に美味しい。くせになりそうだ。
「あっ!そういえば聞き忘れていたけど、女将さん、トルグルの話を聞かせてくれない?」
すると唐突にポッケが話を変えて、女将さんに向かって身を乗り出す。それは私にも分かる内容だったので、私も女将さんに顔を向けた。
「ああ、トルグルが腹を空かせているって話かい?」
「うん。なぜ夕方にトルグルが出たりなんかするの?」
「ああ……まあ、ポッケちゃんは頭が良いから、察しはついてるんだろうけどね」
女将さんは重いため息をついた。その眉間には深い皺が刻まれている。
「森は今、食料不足なんだよ。近頃、森の中に野獣か盗賊か、よくわからん何かが住みついちまってさ、草食の野獣達が次々と狩られて数を減らしているのさ」
草食の野獣がいなくなれば、餌を失った肉食の野獣達は新しい餌を求めて行動を活発にする。当然の話だ。
「村の家畜や人間がトルグルに襲われるのも、時間の問題かもしれないね」
女将さんは噛みしめるようにそう呟いた。
ポッケは落ち込む彼女の肩をさすりながら、気遣わしげに首を傾げる。
「その解決策は?」
「一応、王都に要請は出しているよ。ただ、動いてくれるのは早くても半年後だね。それまでは私達の力だけで守って行かなきゃならない」
いやすまないね、暗い話を聞かせちまった。そう言って深刻な空気を笑い飛ばす女将さんに、私達は何と声をかけたら良いか分からなかった。
何とかできないかとどれほど案を考えてみても、結局、私は無力だ。
翌日の朝。
私達は早めに起きて、宿屋で売られている干し肉と水を六日分、何かあった時のための真新しい布を数枚購入した。
王都まで向かうのにポッケがくれた金額は、銅貨十枚に銀貨十枚、金貨十五枚。約十六万イースだ。大金である。
「そのかわり、三つの約束、守ってね?」
そう言って笑うポッケに、私は元気よく頷いた。必ず守ってみせる。
とりあえずお買い物の練習をしよう、とポッケが言うので、私はそこから千五百イース、銀一枚と銅五枚を宿屋に支払った。
初めてのおつかいをする幼稚園児と同じ扱いである。まあ、異世界には来たばかりなのだから似たようなものなのだが。
「ナツちゃんだったかい?あんたに、これ。やるよ」
その支払いをすませた私に、女将さんが大きな風呂敷を渡してきた。
「これは?」
「あんた、見た限りその一着しか服を持ってないんだろ?流石に素っ裸で寝てたら風邪ひくよ」
「なっ、なんで知ってんですか!?」
「な、ナツ素っ裸で寝てたの!?」
なぜ知ってるかは宿屋の秘密だよ。
女将さんは鼻の穴を広げながらウインクをかましてくれた。怖い、怖いぞ、この宿屋にはプライバシーも何もあったもんじゃないらしい。
「だからさ、これ。昔、あたしの娘が着てた服なんだけどね。もらっとくれよ。わたしにゃ入らないし、お下がりを着てくれる人もいなくて困ってんのさ」
「い、いや、でも」
というのも実は先ほど、彼女には袋詰めされたパペトをたんまりといただいたばかりなのだ。流石にそこまで甘えるわけには、と両手を上げて断ろうとしたが、女将さんはその両手に無理やり風呂敷を押しつけた。
「いいかい、ナツちゃん。人の好意はありがたく受け取っておきな。好意ってのはね、渡すほうも自己満足でやってんだ。邪魔なら途中で捨ててもいい、ただ、笑顔で受け取ってほしいんだよ。……ほら、分かったらさっさと、はい」
女将さんは真顔だった。彼女の優しさが身に沁みる。
その優しさにどう返答すれば良いのか分からず、私はしばらく言葉に詰まってしまったが、それから深く頭を下げ、やっとの思いで口を開いた。
「……ありがとうございます。ありがたく、使わせていただきます」
口に出来たのは、そんな当たり前の言葉だけだ。
そんなことしか言えない私に、恰幅の良い、懐も広い彼女は、「よくできました」とでも言うかのように笑顔を向けてくれた。
「ああ、いってらっしゃい。またおいで」




