傷つけられたら牙をむけ
疲労も極限なので、今すぐベッドにダイブしたかったが、二日間の野宿のせいで体中が気持ち悪い。
このまま寝転んだらベッドが汚れてしまうだろう。それは避けたかったし、欲を言えば冷水ではなくお湯を浴びて、綺麗さっぱり体を洗ってから寝転びたかった。
部屋の説明をしてくれる女将さんの口が止まったところで、私は恐る恐る頼み込む。
「すみません、あの、お湯をいただくのって有料ですか」
「ん?……ああ、体を洗いたいのかい?」
そう言って、女将さんは私の足先から頭まで、余すことなく見まわした。道中、水浴びはしたものの、自分の体が汚いことは重々承知している。少しばかり居心地が悪い。
「確かに汚い」だの「不潔だ」だのと言われるかもしれないと身構えたが、しかし女将さんはえくぼを作りながら頭を横に振っただけだった。
「別に金はいらないよ。あたしが持ってきてやるから、ちょっとだけ待っといで」
それから、なぜか私の頬を軽く叩く。
「あんた、そんななりでも、やっぱり女の子なんだねえ!」
そんななりってどういう意味ですかね!と突っ込みを入れようとしたが、そういえば私は今、男性用の服を着ているのだった。
未だに笑顔でペチペチと頬を叩いてくる女将さんに、私は苦笑することしかできなかった。
しばらくしてからお湯を持ってきてくれた女将さんへ素直にお礼を言ってから、私は体中を余すことなく綺麗に拭う。
これまた汚れが出てくる出てくる。やはりお湯は最高だ。私は体を洗いながら涙を流した。本当に最高だ。
ついでに服も洗ってしまいたかったが、宝物となってしまったオンボロスーツを除いて、いま着られる服はこの一着しかない。これを洗ってしまったら私は外を歩くことができなくなる。なので洗濯は泣く泣く断念した。
しかし、服も汚れているということは……素っ裸でベッドにダイブするしかないではないか。
「ふへへ……ベッドやぁ……ベッドやでぇ……」
私は悪夢予防にスーツの上着を抱えながらも、ベッドの上で思う存分リラックスした。
なんというか、素っ裸なので開放感が物凄かった。
ニヤニヤしているうちに、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。目を覚ました時には既に夕暮れだった。
そろそろ晩ご飯だろう。私は二度寝したい衝動に駆られながらも、ポッケを待たせないために重たい体をゆっくりと起こした。
「いてて……」
筋肉痛がひどい。二日も歩き続けたのだから当たり前である。足だけではなくお尻まで筋肉痛になっているので、服を着るのも一苦労だった。
ふらつきながらやっとのこと服を着終わった頃、丁度よいタイミングで私の部屋のドアが叩かれた。
「はい?」
『ナツ~、一階にご飯を食べに行こう〜?』
ポッケだ。
私は赤い紐で髪を結びながら「はぁい」と返事をして、脱ぎ捨てていたブーツを履いてから部屋のドアを開けた。
宿屋の一階は、驚くほど賑わっていた。と言っても、一階で飲み食いしている人数は二十人程度なのだが。
朝方、あんなにも静まり返っていた村が、夜になると一転、これほどに騒がしくなっている光景は、なんだかとても不思議で、変な心地にさせられた。
「あそこの席が空いてるね?」
私はポッケに手を引かれながら、奥のほうにある四人席用の丸テーブルに向かって歩いた。
私達が奥のテーブルへと進む間、私とポッケに周囲の目線が集中していることをひしひしと感じた。どことなく騒がしさも小さくなった気がする。
横目で店内を見渡してみたが、女将さん以外に女性はいないようだ。ポッケ以外のコボルトもいない。
また、殆どの人が村の人達のような簡素な服装をしておらず、どことなく裕福そうなので、この集団が噂の商人達なのかもしれない。
「おや、降りてきたかい」
椅子に座ったものの目線に気圧されて縮こまる私に、女将さんが笑顔で話しかけに来てくれた。少しばかり肩の緊張が抜ける。
「ポッケちゃん達は何を食べるんだい?」
「ボクはサワスを蒸しただけのものがいいなぁ。ナツは何が食べたい?」
「……オススメで」
何が食べたいも何も、悲しきかな、何が食べられるのかが分からない。あえて言うなら寿司が食べたい。
「オススメねえ……うちのオススメはカーナウの香葉焼きくらいかねえ。それでも良いかい?」
カーナウは確か、保存食の干し肉のもとになった生き物だ。
「それでお願いします」
あの干し肉は美味しいと感じていたので、私ははにかみながら頭を下げた。
「ははは、本当に行儀が良いねえ。礼儀正しいあんた達には特別に丹精込めて美味い料理を作ってやるよ」
私達と会話するあいだ始終笑顔だった女将さんは、そうやって頷いたかと思うと、最後に思い切り私の頭を撫でて厨房へと消えて行った。
なぜだ、撫でるならポッケだろ、なぜ撫でた。前髪がぐちゃぐちゃになってしまったじゃないか。
眉間に皺を寄せながら手櫛で前髪を整える私に、ポッケはホニャリと笑う。
「女将さんに好かれたね?」
……好かれたのか?
私達の料理が運ばれてきて、ポッケと二人で「美味しそうだね」と笑い合ってから、いざ料理を食べようとしたタイミングだった。
「ははぁ、こりゃあ傑作だぞ。コボルトでも人間の飯を食うなんてなあ」
明らかに蔑みを含んだ口調が、広い店内に響く。
全ての騒がしさが、一瞬にして消えた。
「ここは宿屋だぞー、ケモノくん。厩と間違えてはいないかね?」
ポッケは一瞬だけ動きを止めたが、それから相手を怒るでもなく、無言でサワスを食べ始める。
優しいポッケは冷静だが、実のところ私はブチ切れていた。
昼間、男女に放った嫉妬ビームの比ではない。持てる限りの殺気を目に込めながら、私は声のしたほうに目を向ける。
そこには丸い帽子を被り、長いマントをつけた小太りの男がいた。なかなかの富豪者なのだろうか、服は私の物よりも質が良さそうだ。大量の指輪やイヤリングも身に付けている。……あんな風に身に付けられたら、アクセサリー達も涙を流すだろう。
こちらを見ながら笑う顔が性格の悪さを如実に表してくれているようだ。性悪とプライドの塊が服を着て歩いているんじゃなかろうかと疑いたくなるが、あれも商人の一人なのだろうか。
その男の周りにいる厳つい男達も、小太りの男と似たような笑みを浮かべていた。もし商人だとしても、あんな奴らには絶対にお世話になりたくない。
「ナツ」
ポッケが私を呼び止める。怒るな、ということなのだろう。
今、貶められているのはポッケだ。彼が静かにしていろと言うのであれば、私は従うしかない。深呼吸をして、目の前の料理に集中する。冷めないうちに食べてしまおう。
「おいあんた、明日出発しちまうのに、あたしの店で面倒事を残していかれちゃ困るよ」
「いやあ、だってなあ。野獣のくせに女を侍るなんてなあ」
見兼ねた女将さんが口を挟むが、男は止まらない。
店内は未だに静まっている。
(さっさと二階に上がろう)
私とポッケはただ無心に手を動かした。
「なんとまあ、良いご身分だと思わないか、お前たち。ただのケモノが、人間様の椅子に座って、優雅にサワスを食べているのだぞ」
商人の言葉に、彼を取り巻く周りの人達が小さく笑声をあげた。
「女の前だからって、気取ってでもいるのかねえ?」
目の前にあるカーナウの乗った皿と、私が持っているフォークに似た食器が擦れ合い、酷く耳障りな音を立てる。
「え?コボルトくん。ケモノはケモノらしく、外でウゾムでも漁っていたらどうかね?」
ちくしょう。黙れ。
お前らに、ポッケの何が分かる。
ポッケは、ポッケは、何も持たない私を助けてくれたんだ。何も返せない私に、王都までのお金も、世界の知識も、優しさも何もかも、全て与えてくれたんだ。
簡単に人を傷つけるようなお前らに、ポッケの何が分かる。何が分かるんだ。
一時まばたきを忘れていたらしい。乾燥した眼球を守るためか、無意識に涙の膜が生まれる。
怒っているのか悲しんでいるのか、悔しいのか虚しいのか、自分の感情が分からなくなった。ただ、こいつのせいで泣いたように見られるのは絶対にごめんだ。
怒るな。落ち着け。
ポッケに迷惑をかけるな私。
「なんとか言えよ、この薄汚れたコボルト」
ごめんなさい限界ですわ。
カタン。という音が響いた。
私が、食器と一緒に両手を机上へ落とした音だ。
静かに立ち上がる。
怒涛のように渦巻く怒りを抑えて、私は男を振り返る。
私の動きに怯えたのか、商人の顔は青白く、すでにもう笑ってはいなかった。
「…………」
「…………」
かっこよく立ち上がったは良いものの。
「…………」
「…………」
正直なところ何も考えていなかった。
「…………」
「…………」
私は、とにかく相手のよく動く口を止めたかっただけだ。そしてとにかく何か悪口を言い返してやりたかった。
まず、立ち上がっただけで前者の問題が解決してしまった。次に後者だが、頭の中で悪口を言うことは得意なくせに、いざ口に出そうとするとその勇気が出なかった。
これを人は「後先の考えない臆病者」という。人格の失敗例として是非とも参考にしていただきたい。
(ど、どうする……)
これ、もう一度静かに座ったらどうにかならないだろうか。
「料理があまりにも美味しかったので感動のあまりスクワットしてしまいました」とでも言うか。いや、「スクワット」は自動翻訳されてくれるのか。
そんなことを半ば本気で考えていた時。
「あ? 何この空気?」
宿屋の玄関から現れたのは、赤髪の男。
「あ」
「あ」
それは朝方の、フルオープン男だった。
フルオープン男ってなんかちょっと違う意味のあれに聞こえますが気にしてはいけません。




