何も云わないで 気休めなど
私の表情はウェイカルパの村に着いた頃よりも窶れていた。ポーニも然りである。
理由は私が全力疾走したせいだ。ポーニ様、この度は本当に申し訳ございませんでした。
「ンモォ……」
疲労しているポーニから下馬して、私達を気遣うようにゆっくりと歩いていたポッケは、遠い目をしている私に顔を向けながら、目前の看板を指差して言った。
「ナツ、あれが宿屋だよぉ。宿屋の看板に書いている文字が読めなくても、宿屋っていう文字の形を覚えておくと、これからも役に立つんじゃないかなぁ?」
どうやら宿屋に到着したらしい。
宿屋の形に関しては、周辺の民家とは特に違わない。が、一回り大きく建築されている。
ベッドの絵だろうか、宿屋の入り口にはそれらしい看板が掲げられていた。ベッドの絵の下にミミズがのたくったような線が書かれている。これが文字なのだろう。
看板を見上げる私の横にポーニを預けたポッケは、宿屋の扉を開けようとした。しかし、身長が私の腰までしかないポッケには、人間の扉は大きすぎるように見える。私は慌ててポッケの代わりに扉を開けた。
「はいはい、いらっしゃい」
宿屋の中にいたのは、恰幅の良い緑髪の女性だった。
「おや、ポッケちゃんじゃないかい!久しぶりだねぇ」
「女将さん、久しぶり!今夜、二部屋ほど借りたいんだけど、空き室あるかなぁ?」
どうやら彼女が女将さんらしい。緑色の髪をかき上げた彼女は、えくぼを作って頷いた。
「丁度二部屋しか空いてないよ!今日は商人達が泊まってて騒がしいんだ、運が良かったね。大人ふたりで部屋ふたつなら、一万八千イースかかるよ」
「わかった」
「ポッケ、私はポッケと同じ部屋でいいよ」
「それはちょっと勘弁してくださいっ!」
敬語で断られました。
「あ、女将さん、あのね、ボク今回はポーニを連れているんだけど、どこに預けたらいいのかなぁ?」
「ああ、ならうちの宿屋の裏にある厩で預かってやるさ。千イース追加になるけど構わないかい?」
「うん、いいよ。ありがとう!」
ポッケは肩掛け鞄から皮で出来た袋を取り出すと、そこから金貨を一枚、銀貨を九枚、宿屋の女将に差し出した。
……お金の数え方に関しては、旅に出る日の前日、ポッケから説明を受けている。何回も復唱させられた。もう、嫌と言うほどだ。
「お金は旅の基本だよぉ!」とはポッケの言である。
この世界の通貨には、銅貨、銀貨、金貨、白貨。その四つしか存在しないらしい。
また、日本で言うところの「円」は、「イース」という単位に変わる。
四つの通貨、それぞれの価値を日本の価値と比べてみると、まず、銅貨が百円程度……コボルトの街で野菜がひとつ買える程度だ。そして、銀貨が千円、金貨が一万円、白貨は十万円相当になるらしい。
出店や料理店などで主にやりとりされるのが銅貨や銀貨で、宿屋や武器屋などには銀貨や金貨が多用される。
白貨に関しては、民間では滅多にお目に掛かれるものではないらしい。主に魔符などの高級商品や、他大陸との交易で使われるそうだ。
「そういえば女将さん。昨日の夕方、森でトルグルを見かけたんだけど。それって近頃よくあることなの?」
ポッケは女将さんにポーニを預けながら何気なく口を開く。すると女将さんは驚いたように目を見開き、それから沈痛な面持ちでため息を吐いた。
「ついにトルグルも腹を空かせるようになっちまったかい……」
「何かあるんだね?」
「ああ、まあね。それに関しては夕食の後にでも話してやるさ。ほら、さっさと厩に行くよ」
宿屋の入り口から出て左手に回る。井戸のような水汲み場の横を通った先に、大きな厩があった。
「う、うわぁ……」
その大きな厩には、これまた大きな黒馬が繋がれていた。競馬の馬とは比べものにならない、がっしりとした体躯である。
黒い鬣と長い尾は美しくカールしていて、瞳の色は真っ赤だ。馬、というか、形や顔は馬なのだが、どことなく「地獄の門番」という言葉が似合いそうな雰囲気を感じた。「地獄の門番」というと、あれだ。真っ黒な体毛をした三つ首の犬だ。
「確かケルベロスだったか……」
「ん、あれはケルベロスだよ?ナツ、知ってるの?」
わぁ、お馬さんはケルベロスという名称の生き物でした。なんかちょっと間違ってる。なんかちょっと間違ってるぞ!
「……ちなみにポッケ、この世界に三つ首の野獣は?」
「ん?ポチのこと?」
「ネーミングセンス!!!!」
なんだかドッと疲れた。早く部屋に入って頭を抱えたい。
ケルベロスという種類の馬は、近付いてくる私達のことを真っ直ぐに見つめてくる。物凄い威圧感だ。まさか女将さんの愛馬だろうか。
「あの、女将さん。質問なんですが、この立派な馬……ケルベロス、女将さんが飼われているんですか?」
「いんや、まさか!こんなやつを飼って育てようなんて死んでも思わないよ、あたしは!
こいつはね、宿屋に泊まっている商人達のもんだよ。商人が雇っている傭兵が連れてきたんだ。けどね、餌はバカスカとよく食うし、なんだか怖い顔をしているしで、あたしは正直あまり好きにはなれないのさ」
女将さんの言葉が聞こえているのかいないのか、ケルベロスはブルンと口を震わせてから厩の奥の方へ行ってしまった。
ポーニはケルベロスの馬小屋の二つ隣りに入れられるらしい。しかし一体どうしたことか、女将さんがお尻を押しても、無理やり首を引っ張っても、ポーニは頑として動かなくなってしまった。
「ポッケちゃん、こいつ厩が嫌いなのかい?どうにかしておくれよ」
「んー?わからない。突然どうしたのかなぁ?」
ケルベロスが怖いのかもしれない、と、ケルベロスの入った馬小屋から一番遠い場所にある馬小屋に入れようとしても、必ず入り口で足を止める。その間、ポーニは一言も鳴かなかった。
「どうしたもんかねえ」
「ポーニ、ポーニは男の子でしょ?強い子でしょ?ちょっとの我慢だよ、頑張ろう?」
女将さんとポッケが困った顔をしてポーニを見つめるなか、私はしゃがんでポーニの顔を覗き見た。
「ポーニ、なんで小屋に入らないんだ?」
「……モゥ」
ポーニは静かに俯いている。
ポーニに対して、私の翻訳機能は何の役にも立たない。ポーニの頭がどれほど良いのかは知らないが、今までの反応を鑑みても私達の言葉は通じているようにみえた。通じていると信じて、とにかく話しかけて理由を探るしかない。
「ケルベロスが怖い?」
「フンォ……」
「厩で寝るのが嫌?」
「フンォ……」
「私達と離れるのが嫌?」
「ウンモォ!!」
どうやらそれらしい。まったく、一方通行の会話は大変である。至急自動翻訳機能のバージョンアップを求む。
私はポッケと女将さんを振り返って、先ほど聞き出したポーニの気持ちを彼らに代弁した。ポッケは頭を掻きながら、俯いているポーニに話しかける。
「ボク、ポーニを見捨てる気はないよ?」
しかし、ポッケだけでは納得できないようだ。ポーニは私の顔を見上げ、右手に頬ずりをしてきた。
私は曖昧に、安心させるように口角を上げてみせる。なにせ、ポーニとは数日のうちに別れることになるのだ。置いていかないよ、などと嘘をつきたくはない。
私が投げかけたのは曖昧な笑みであったが、それでもポーニは納得してくれた。こちらの顔を振り返りながらも、しずしずと馬小屋に入る。
これは罪悪感が半端ない。
しかし、私には身一つしかなく、ポーニを育てられるお金を一銭たりとも持っていないのだ。そのうえ、ポーニの育て方も知らない。
それに、過酷な旅をせねばならないこちらより、ポッケやクルッポのもとで過ごすほうが百倍幸せだ。
「……ごめんね、ポーニ」
私は小声であやまることしかできなかった。
宿屋の一階は、朝と夜のみ料理店へと変わるらしい。私達は二階へと案内された。
宿屋の部屋は、とても簡素だった。
出入口のすぐ横にクローゼットのような物入れと、部屋の奥には綺麗に整えられたベッドがふたつ。ベッドのとなりに、こじんまりとした机と椅子が置かれている。
ポッケは早々に、ポッケに与えられた部屋のなかへと閉じ籠ってしまった。それほど体力の限界だったのだと思う。
「また夕飯時に呼びに来くるよ」と言ってくれたので、次に会うのは夕方頃だろう。
それまで私も休憩だ。久しぶりのベッドである。




