針が落ちる瞬間の
注意・流血表現があります。
大草原を歩いていると、遠目に小さく森が見えてきた。
「ナツ、あれがウェイカルパの近くの森だよぉ!」
「やっとかー!長かったなあ」
「ンモゥ」
私は歩きながらポッケと微笑み合い、そのまま夕日に染まる空を見上げた。先ほどまで青色だったそれは、いつの間にか赤く染まっている。そろそろ日が沈もうとしているのだろう。今夜はきっと森の中での野宿になる。
ポッケの家を出てからずっと歩き続けて、そろそろ私の体力も悲鳴を上げ始めていた。
でも、まだだ。まだまだいけるはず。こんなものへっちゃらだ。そう自分に言い聞かせながら、ポッケを振り返ってフヘヘと気楽に笑ってみせた。
「あとちょっと、だな?」
「うん! 頑張ろうっ!」
「ンモーゥ」
ポッケは必ず笑顔を返してくれる。ポーニも元気良く頭を振り上げた。このコンビがそばにいてくれるなら、私は多少の無理も出来るだろう。そう思わせてくれる。
私達二人と一頭は、目前に迫る森に向かって、ただただ一心に歩き続ける。
それは、とても平和な旅路だった。
……問題は、そのウェイカルパ手前の森の中に入って、しばらく経った頃に起こる。
一番最初にそれを察知したのは、ポッケだった。
「何かいる」
私の右手側にいるポッケは、全身の毛を逆立てながら震えていた。何かの存在に怯えているのだ。それと同時にポッケを乗せているポーニも足を止めたので私も立ち止まり、それから周囲を見渡す。
この森は、ガルバンの森よりも背の高い雑草が多い。そのせいか、とても視界が悪かった。
何が起きているのかよく分からない。とりあえず、腰に履いているナイフを慎重に抜いて構えた。
「ポッケ、何がいるの」
「わからない。でも何かいるんだ。ボク達を見ている」
私がナイフを抜いた時の小さな音を聞いて多少は意識が戻ったのか、ポッケも自分用のナイフを肩掛けカバンから取り出した。
……森は静かだ。風も吹いていない。
緊張で体が硬直する。もちろん怪我は負いたくないが、しかしポッケにはそれ以上に怪我をさせたくない。
ポッケか私か。どちらかが、ごくりと唾を飲む。その音がよく響いた。
「ンモゥ?」
場の空気も読まず、ポーニが情けない鳴き声を上げた瞬間だった。
視界の左側が動いた気がして、私は咄嗟に振り返る。そのまま、勘だけで右手に持ったナイフを真横に薙いだ。
「……わッ!!」
空にかかる夕日の赤よりも濃い赤が、私の手元から勢いよく広がった。それを見た瞬間、全身から血の気が引いた。
ガラガラヘビのような音を奏でた何かが、私達のすぐ横の地面を転がる。その軌道を追うように、地面から土煙りが上がった。
……何かをナイフで傷つけてしまった、やら、殺すかもしれない、やら、優しいことを考えるような余裕は、正直なところ全くない。
向こうは私を目掛けて飛びかかってきたのだ。理由はひとつしかない。私を殺すためである。生きるか死ぬか、相手を心配する余裕など皆無だ。
とりあえずナイフには当たった、大丈夫だ。指先が震える。ナイフを握っている右手から大量の血が滴る。私の血ではない、相手の血だ。何を震えることがある。こちらが優勢なのだ、必ず助かる。
もうもうと私達を取り囲む土煙りが収まってから目の前に姿を現したのは、犬とトカゲを掛け合わせたかのような生物だった。
頭の形、肌質はトカゲに瓜二つだが、その骨格は犬そっくりである。耳はない。
青色のイノシシであるガルバンよりも小さいサイズをしているが、このトカゲと比べればまだガルバンのほうがモフモフで愛嬌があった。
その不気味なトカゲは、シュルルルと声を上げながら、私達の周りをゆっくりと一週する。左首から胸元にかけて、切り裂かれたような傷跡がある。そこからは鮮血が滴っていた。私のナイフが負わせた傷だ。
いつの隙にだろうか、ポッケはポーニの背から降りていて、ポーニを私とポッケで挟み込むようにして守りながら、私と同じようにトカゲと対峙していた。
「ぽ、ポッケ、大丈夫?」
「ナナツ、声震えてるよ。ボクボクボクはこれでも街の学校で戦闘訓練したんだ。ぜ、全然大丈夫だよ」
と言いながら、ポッケの声も大概である。全身マナーモードが二人だ。
しかし、トカゲは一向に襲いかかってこない。奇襲が失敗したので警戒しているのだろうか。
膠着状態のまま、時間だけが静かに過ぎる。このままでいたら私が右足を怪我した時のように、血が血を呼ぶ事態になるだろう。
(……っ行くしかない!)
痺れを切らした私が動こうとしたその時だった。ポッケが、やにわにキツネらしい甲高い声を上げる。そこから突如として時間が動き出した。
「シャァアアッ」
痺れを切らしていたのは私だけではなく、敵対しているトカゲも同じだったのだ。ポッケの声に発色されて、思わずといった風にポッケに襲いかかった。
「くぅ……っ!」
ヘビのような鋭い牙がポッケを貫こうとする。しかしポッケは、咄嗟に右側へと体を倒した。そしてそのまま、トカゲの背中に飛びかかる。
一人と一匹が叫び、絡み合いながら地面をのたくった。トカゲが首を後ろに曲げて、背中にいるポッケへと必死に噛みつこうとしている。このままではポッケが怪我を負ってしまう。反対に、私への注意は完全に逸れていた。
殺すなら、今しかない。
「どりゃぁああっ!」
私は暴れまわるトカゲの首だけを目掛けて、素早く左手を伸ばす。未だポッケにしか興味を示さないその喉を、全力で掴み上げた。
この時、初めて「私は何かを殺そうとしている」と気が付いた。だが、右手を止めるわけにはいない。誓ったはずだ、ポッケを守ると、自分自身に。
「ごめんッ!!!!」
私の掠れた叫び声は、ポッケの声よりも高く、広く、森に響いた。
この時、私は初めて、私の体と同じ赤色を持っている生き物を、その手で殺したのだ。
生きるために。




