君たちがいて私がいた
センチメンタル夏子です。
パチン。
焚き火の中で枝が割れる音は、フローリングにビーズを落としたような音と似ている。
現代と今、状況は全く違うのに、音だけは似通っている。とても不思議なことだ。
……少しばかり感傷的になっているのは、焚き火を見ているからだと思う。ほら、ロウソクセラピーとか、ああいった効果で。
私は、ひとり納得しながら、自分の鞄の中からスーツの上着を取り出した。これと一緒に寝るのだ。もう、たちの悪い夢を見ないように、という保険である。
「あ、そういえばポッケ、魔符を使う時にエミュエルとかなんとかって言ってたよな。あれって一体どういう意味なんだ?」
スーツをしっかりと抱えて寝袋に潜った私は、じっと焚き火を見ているポッケに顔を向けて問う。
今夜はポッケが寝ずの番をしてくれると言った。明日は私だ。
「エミュエルっていうのはね、人の名前なんだぁ。この魔符を作った、魔術師の名前なんだよ」
ポッケは焚き火から立ち昇る煙を見上げて言った。
「ボク達は、彼……彼女かもしれないけど、とにかくエミュエルさんの名前を借りて、人工の無機物媒体である魔符から、魔術を発動させているの」
「持っている魔符によって其々借りる名前が違うのか?」
「うん、そうだね。……まあ、誰にしろボク達は、見知らぬ誰かの力を借りて、こうやって生きているってことには変わりないよ」
ポッケは「それってなんか、当たり前のことだけど、不思議な気持ちになるよね」と、私に笑いかけた。
私はポッケの笑顔に口角を上げ返しながら、そっと心の中で日本を思う。
現代では、スーパーに行けばジュースやお菓子、野菜や肉が簡単に手に入る。毎日必ず電車は動いているし、夜になれば電気が付く。私の今の状況とは、全く別次元の話だ。
しかし、それらはきっと、魔符と同じ。
「誰にも頼らずに生きようなんて、烏滸がましいのかな?」
「んー。えへへ、そうかもしれないね?」
ポッケは、優しく私の頭を撫でてくれた。
そういえば以前、彼はジジイの家で、「寝ている私はコボルトの子どものようだ」と言っていた。こうして撫でてくれるのも、私が子どもに見えるからなのだろうか。
(子どもみたいに……いいのかな、甘えてみても)
と言っても、既にポッケには甘えているというか、頼りっぱなしな訳だが。
私はなんとなく、私の頭の上にあるポッケの肉球を握ってみた。ポッケは一瞬だけ固まったが、ゆっくりと私の手を握り返してくれた。
(……甘えていても、迷惑じゃないのかな)
一人暮らしを始めてから毎月届く母の仕送りを、もういらないよ、と度々断った。
周囲は、私を頼り甲斐のある人だと言って認めてくれた。
私は一人でも生きていけると思った。大人になるとは、そういうことだと思っていた。
「……焚き火って怖いな」
「ん? どうしてそう思うの?」
「感傷的になってしまうから」
「それが怖いの?」
「うん」
誰かに頼ってもいいのか。
誰にも頼らずに生きるなんて不可能だ。
誰かに甘えてもいいのか。
誰にも甘えずに生きるなんて不可能だ。
私達は見知らぬ誰かの力を借りて、今こうやって生きている。これはきっと、体ひとつで異世界に来なければ気付けなかったことだ。
「ポッケ」
「なぁに?」
「ありがとう」
もう何度、頭の中で繰り返したか分からない感謝の言葉を、改めて口に出して言った。この言葉しか今は頭の中に浮かばなかった。
ポッケに頼らねばならなくなる度、罪悪感と羞恥心が私を責めた。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返した。
ただ、それ以上に感謝せねばならなかったのだ。私達は必ず誰かの力に頼って生きるしかない、迷惑をかけて生きるしかないのだから、それを認めて、まず一番に感謝せねばならなかった。
「ナツ?」
「ん。おやすみ」
私はポッケのように、ホニャリと笑ってみせてから、その目を閉じた。
私は、ポッケのいるこの世界が、嫌いではない。今も日本に帰りたいとは思っているが、決して、決して嫌いではないのだ。
ポッケの手を握って眠りについた、この夜。現代の夢を見ることはなかった。
「エミュエルの名を借りて解く。灯を鎮めたまえ。……オトム・イェシュア」
魔符の炎が消えていく。
今回は、昨日のように水滴が踊ることもなく、静かに静かに消えていった。火が消え切ったそこには、燃え尽きた枝と赤い魔符しか残っていなかった。
「そういえば昨日、魔符を発動する時にも言っていたけど。その、なんとかイシェアって何?」
「イシェアじゃなくて、イェシュアだよぉ。んー、なんというか、自然に対する祈りみたいなものかなぁ。
発動させる時はイム・イェシュア。停止させる時はオトム・イェシュアって唱えるんだぁ」
「へえ、イシア。あー、イェシア、イエシア……ううん、言いにくいなあ」
「ふふ! いつか言えるようになって、ナツも魔符を使えるようになったらいいね?」
自分の荷物を纏めながら、ホニャリとした笑顔で私を振り返るポッケ。そんな彼に、私も笑って頷いた。
その後、静かに保存食の干し肉を食べて、大自然にプレゼントする系お花畑を済ませてから、私達は再び歩き出した。
「ナツ、足はどう? 昨日の疲労は響いてない?」
ポッケが私の表情を伺うように聞いてくる。私は口角を上げて頷いた。
「まあ、ちょっと疲れてるけど、まだまだ大丈夫だ」
なぜなら私は、昨日ポッケと歩いた道程を、裸足で踏破した経験があるのだ。しかも、重たい羽毛布団を担いだ状態で、である。
今回は靴があるし、水も食料もある。実のところ、全くと言って良いほど平気だった。
「ポッケは?」
そう聞く私に、ポッケは苦笑しながら「ごめん」と言った。
「ボクは体力がないから、ちょっとヘロヘロだぁ。一応、三日分の食料を持ったけど、予定では明日の朝には到着するはずだし……あとちょっとなんだから、頑張らないとね」
と言っても、少しばかり両足が痛いのか、ポッケの足取りは重い。
ここら辺の草原にはガルバンのような凶暴な獣は存在しないらしいが、危険が潜んでいることには変わりなかった。いくら休憩を勧めようにも、長時間じっとしていられないのが実情だ。
「ポッケ、少しでも無理を感じたら私に言ってくれ。私がポッケを抱っこするから」
そういったことで恩返しを積み重ねられたら、こちらとしても胸が安まる。
しかしポッケは、なぜだか機嫌を悪くした。
「……ボク、これでもオトコだよ?」
眉間に皺を寄せて唸るポッケ。そんな顔をしても可愛いだけである。
「拗ねた?」
「んー! んもう!」
プイと顔を背けて拗ねるポッケ。これは可愛い。詐欺レベルだ。動画を撮っておきたいが生憎と最先端技術が身近にない。本当に悔やまれる。
「んもーう………!」
しかしポッケ、そんなに怒っていたら牛になるぞ。
「んも、ンモぉーう……!!」
「ああもう分かった、ごめん。ふざけすぎた。ポッケ、私が悪かった」
「な、ナツ、ボクじゃないよ!」
…………え?
「後ろ!」
ポッケに言われて、振り返る。
「ゴボウッ!!!!」
それと同時に私は腹部に衝撃を感じ、そのまま空中を舞いながら、物の見事に意識を手放すこととなった。
次回、緑の弾丸、現る。




