無事を祈って 灯をかざす
「おや!ポッケさんじゃないですか!!ウワァ!!それに、コボルトの街に人間がいるだなんて!!」
……コボルトの街は、未だ眠りから覚めていない。昼間の爽やかな賑わいとは打って変わって、まるで住んでいる者などいないかのように静まっていた。……先程までは。
「こんな時間にラブラブしちゃうんですかっ!?」
「ちょッ、ち、違うよぅ!!」
そんななか、大きなリュックサックを背負ったコボルトが、街中に響き渡るような大声で話しかけてきたのだ。
いやはや、なんというかこいつ、キツネというより……毛の生えたオオサンショウウオ。どことなく昔の日本人を思わせる顔つきである。日本人に失礼か。
「飛脚さん、からかわないでよぉ!」
「いや、すみませんねっ!! ハッハッハッハッハハッハッハッハッハ」
飛脚、というと、走って荷物を運ぶ、あの飛脚しか思い当たらないが……それが名前なのだろうか。
「今から旅に行かれるんですかっ!」
「うん、東の人間の村までちょっとねぇ」
「ほほー! それまた突然どうして!!」
「王都まで、彼女を連れて行くんだぁ」
「ほぇー!? まあ道中気をつけてくんさいねっ!!」
「またねぇ」
オオサンショウウオのような顔の飛脚さんは敬礼のポーズを取ったかと思うと、次の瞬間には物凄いスピードで走り出していた。あまりの速さにポッケの体毛と私の髪が靡く。
顔はオオサンショウウオだが体はチーターらしい。
「……あの飛脚さんって一体?」
「この街と人間の村を、唯一ひとりで行き来してくれているコボルトだよぉ。彼のおかげでボクは手紙を書く仕事が出来ていると言っても過言じゃないんだぁ」
なんと。結構凄いコボルトだった。朝からうるせぇなオオサンショウウオとか少しばかり思ってごめんなさい。
「こほん! じゃあ、改めて。行こっか、ナツ?」
「うん」
私はポッケと笑い合って、素直に頷いた。元気なオオサンショウウオのおかげだろうか、少しだけ心に余裕が出来たような気がする。
そうだ、私も元気よく行こうじゃないか。くよくよするなんて私らしくない。
目指すは王都。出発進行だ!
さわさわ、と草木が揺らめく。
私達は、鬱蒼とした森の中を歩いていた。あの、トラウマの森だ。初っ端から私の元気をぶち壊してくれる。
「この森はガルバンの生息地だからねぇ……今は早朝だから、ガルバンも寝ているとは思うけど……気を抜かずに行こうねぇ」
(ガルバンって、確かあの、青色イノシシのことだったな……)
私を襲ったあの、いや、思い出すな。
しかしまぁ、真剣な顔で周囲を見渡すポッケ、イケメンである。ただ、彼の全身は物凄く震えていらっしゃった。お前はマナーモードか。
そういえば、ポッケは以前、コボルトのなかでも自分は特に体力がない、と言っていた。きっと戦うことも苦手なのだろう。
もちろん、私も私で、今まで人間以外の何かと喧嘩をしたり、武器を取り合って生死を掛けたバトルなんぞしたりしたことはない。
それでも、ポッケよりは体格の大きい私のほうが基礎体力もあるだろうし、物理的な衝撃にも強いはずだ。
もし何か起きたら、ポッケは私が守る。
まだガルバンは怖いが、ポッケに怪我なんてさせてやるものか。必ず私が盾になってやる。
ひとりぼっちで歩いた巨大な森が、今は孤独ではないと思うだけで、少しだけ小さく見えた。今回は、守らねばならないものがあるのだ。
および腰のポッケを横目に捉えながら、私はベルトに付けたナイフを右手で触り、深呼吸をして気合いを入れた。
森に長居は良くないということで、私達は歩きながら保存食の干し肉を食べた。カーナウ、と言う動物の干し肉らしいが、なかなかうまい。
「昔、王都で食べた時に美味しいなぁって思って買っておいたんだぁ。ナツの口に合って良かったぁ」
「ん? よく見たら、ポッケの干し肉は色が違うな。私のは赤いのに、そっちは青黒い」
「これはねぇ、ガルバンの肉」
うん、聞かなかったことにしよう。
結局、森の中でガルバンに襲われることはなかった。無事に森から抜け出せた時は、思わず二人で大きく安堵の息をついた。
次に待ち構えているのは、広大な草原だ。私が一番最初に飛ばされてきた場所である。
脳裏に、過去に出会ったムカデがチラついたが、大丈夫だ。今回は夢だと油断して寝転がったりはしない。
それにきちんと靴を履いている。靴を履いているから、多少は怖くない。大丈夫大丈夫……。
「ナツ? なんで爪先立ちで歩くなんて器用なことしてるの?」
「心の鍛錬をしてるんだ」
「……?」
長い長い草原が続く。
少し辺りを見回しただけで、すぐさま方向感覚が分からなくなるほど広い草原だ。
「ポッケ。ポッケはどうやって方角を確認してるんだ?」
道がない中を村に向かって歩くなど、どのような芸当だろうか。何か目印にしているのであれば、今後のためにも是非、見習っておきたい。いつかのように何も分からず彷徨うような事態は避けたいのだ。
「んー、本能かなぁ」
見習いたくとも見習えねぇ手段だった。
「コボルトは皆、なんとなーく方角が分かるから、道なんかいらないんだよぉ。もしかして、人間は分からないの?」
「わ、わからない」
「ふぅん。……それって、大変そうだね?」
「…………」
なんというか、コボルトの街に他の種族が存在しない理由が分かった気がする。そこまで続く道がないのだから、来られるわけがないのだ。
「コボルトの街って、実は秘境だったんだな」
「まあ、秘境というか、辺境というか。外からあまり人が訪れないのは確かだねぇ」
訪れないというより、訪れられないのではないか。種族間の差異をそっと伝えるべきか迷う私であった。
夕暮れ時、草原は未だ長く続いている。結果、今夜は草原で野宿することになった。
本当に草原で寝てしまうのだろうか。実のところ私は物凄く遠慮したい。
「ナツ、そうは言ったって、明日も当分、草原を歩くことになるよぉ」
……いや、もう、深く考えるな。ムカデなんかいない。平常心平常心。
ポッケと私は、晩ご飯代わりの干し肉を噛み締めながら、道中で集めていた木の枝で小山を作った。
ちなみに、小枝のまわりには土が盛られており、これを行うことによって周囲に火が燃え移ってしまう危険性が低くなるらしい。
「えへへ、草原が火の海になるなんて、シャレになんないもんねぇ」
笑いながら言うことではないぞ、ポッケ殿。
「雨の影響で少しだけ枝が湿っているけど、大丈夫かな」
「大丈夫だよぉ、魔符があるからね」
「火起こしの魔符か……」
「楽しみ?」
「うん、まぁ」
「ふふ。じゃ、早速お見せしましょう!」
と、言って、ポッケは私の鞄の中から一枚の赤い紙を探し出し、小枝の山の中心に貼り付けた。これが、魔符だろうか。
符だと言うから、長方形なのだろうと勝手にイメージしていたが、その紙は四角かった。一見するとミニサイズの折り紙のようだ。
紙の中央には金色で、複雑な円形の模様が書かれている。
「じゃあ、今から呪文を唱えるよぉ。唱えた瞬間にバァッと燃え上がることはないけど、突然燃え出すからね? 気をつけてね?」
「うん、分かった」
やはり呪文を言うのか。私は固唾を飲んで見守る。これが、私の人生で初めて目にする魔術になるのだ。まあ、ポッと火がつくだけだろうが。
辺りは既に薄暗い。目の前にいるポッケの姿が、黒く染まり始めている。ポッケはひとつ深呼吸をして、赤い紙に両手の肉球を向けた。
「エミュエルの名を借りて解く。灯を与えたまえ」
一拍置いて、呟かれる呪文。
「クム・イェシュア」
……それからすぐ、魔符に変化が起こった。
途端に発光し始めたその紙の中央からは、炎ではなく、小さな小さな水滴が溢れた。
魔符から生まれた透明の水滴達は、まるでトランポリンの上に置かれたように、何度も飛び跳ねて数を増やしていく。
そして、一際大きく中央で飛び跳ねたかと思うと。
「っうわ!」
目を焼くような鋭い光を発しながら、その姿を一瞬にして火炎に変えた。
「………………オォウ……」
想像以上にマジック。まさに魔法だった。
「フッヘ……すごいな、地味に」
驚いたからか感動したからか、私の右の口角が無意識に上がった。
炎は、まるで何事もなかったかのように、小枝を糧にして強く燃え始めている。焚き火に赤く照らされたポッケは、私に向かってホニャリと微笑んだ。
「びっくりした?」
私は未だ炎から目を離せずに、こくりとだけ頷く。……しかしこれ、魔符は燃えてしまわないのか。
「ちなみに、火を消す時は火消しの呪文を呟いたら良いんだけど、それはまた、明日の朝のお楽しみだよ?」
ポッケは得意げに、えっへんと胸を張った。なんとも可愛いキツネである。




