↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オプトアウター ~初めて「許可する」と言った日、俺の右腕は人を殺した~  作者: 猫間じん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/28

もういっかい

 二日目の夜、錠は居間の隅で横になっていた。当番は両角で、台所の灯りの下で端末に何か打っている。芹沢は卓に肘をついて目を閉じ、雨宮は約束どおり玄関の側の壁にもたれていたはずだった。


「よいちゃん」


 寝る部屋から小さい声がして、玄関のほうで、ため息が一つ聞こえた。畳を踏む足音が錠の頭の先を通り、寝る部屋の入口で止まる。中へは入らない。入口の手前に腰を下ろす気配がした。


「寝なさい」


「ねむくない。よいちゃんは、おしごとなに。ヨルのおしごと?」


「ヨルは仕事じゃない」


「じゃあ、なに」


「……映画館。暗い中で、お客さんを席まで連れていく仕事」


「まっくら?」


「真っ暗。足もとだけ、小さい灯りで照らすの。段があるから。転ばないように、先に一段下りて、待つ」


 雨宮の声は、錠が知っているどの声よりも低くて、やわらかかった。言っている本人が、途中でそれに気づいたらしい。少し黙った。


「それで?」


「それでって」


「どんなとこ。おっきい?」


「小さい。四十席。真ん中に通路が一本あって、入口にもぎりの台があって、二階に映写室。すずらん座っていうの。古い映画しか掛けない。フィルムで掛けるから、始まる前に上で機械が回る音がして、それが聞こえたら、もうすぐ暗くなる合図。暗くなって、三秒、何も映らない。その三秒がいちばん——」


 声が切れた。


「……何」


「もういっかい。暗くなるとこから」


「一回でいいでしょ」


「もういっかい」


 雨宮はもう一度話した。二度目のほうが速かった。錠は目を閉じたまま聞いていた。聞くつもりはなかった、と言えば嘘になる。寮の壁越しに毎晩流れてくる音の、出どころの話だった。あいつにも、働いていた場所がある。


「ゆいも行きたい」


「いまは掛けてない」


「なんで」


「映写機が止まったの。二台あって、一台は前に壊れてて、残ったほうも。フィルムを送る所。館主が——大庭さんっていう人が、ずっと直せないでいる」


 送り、と錠の頭が勝手に拾った。歯車か、爪か。欠けたのか、減ったのか。二台あるなら、取れる物があるかもしれない。指が畳の上で動いて、ない歯を数えようとする。


 畳が鳴って、雨宮の声が止まった。こっちを見ている、と背中で分かる。錠は息を寝ている人間の長さにして、動かなかった。訊きたいことは三つあって、どれも、聞いていたと白状しなければ訊けない。


「……続きは、また」


「やだ。あとちょっと」


「結」母親の声がした。「手、お布団に入れて。光ってる」


「入れてる。……ねえ、よいちゃん。光ってるの、きらい?」


 小さい声だった。雨宮は、すぐには答えなかった。


「まぶしくはない」


「それ、きらいじゃないってこと?」


「寝なさい」


「お祭りの日ね、花火あがるの。ゆい、音だけ知ってる。どーんって、窓がふるえるの」


「そう」


「よいちゃんは、見たことある?」


「人が多いとこは、苦手」


「ふうん。ゆいは見たい」


 それきり、話は途切れた。しばらくして、子どもの寝息が聞こえてくる。雨宮が立つ前に、母親の声がもう一度した。


「……すみません。ありがとうございます」


「別に」


 足音が錠の頭の先を戻っていく。途中で、一度だけ止まった。錠は、寝ている人間の息を続けた。



 三日目は、朝から階段がうるさかった。


 上り下りする足音が、二階の踊り場で遅くなる。話し声が戸の前で小さくなり、通り過ぎてからまた大きくなる。芹沢に言われて、錠は車に置いた荷物を取りに下りた。踊り場に、知らない顔が三人立っていた。端末を胸の高さに持って、辻の戸のほうへ向けている。錠が出てくると、三人とも画面から目を上げ、また下ろした。


 一階の通り抜けの壁に掲示板があって、ごみの日の紙の隣に、祭りの貼り紙が留めてあった。お宮の祭り、と大きい字。夜空に花火の絵。日付の数字を、誰かが赤い丸で囲んでいる。もうじきだった。


 戻ると、戸の前に女が一人増えていた。下の階の人だ、と女が自分で言った。後ろの階段の途中に、子どもが一人、手すりをつかんで立っている。


 戸は鎖の幅だけ開いていて、内側に母親の顔が半分見えた。


「辻さん、ごめんね。ちょっとだけ。確かめたいだけなの」女は端末を戸の隙間のほうへ持ち上げていた。「うちにも、小さいのがいるの。うつるって聞いたら、ねえ。うちの子にうつったら、どうなるか分からないじゃない」


「うちは、何もありません」


「何もないなら、なんで窓をふさいでるの」


 母親は答えなかった。答えないことが、女の後ろの三人には答えに見えたらしく、端末がいっせいに少し上がった。


「いま、撮りましたか」


 低い声だった。母親は女の目をまっすぐ見ていて、怒鳴るよりもずっと届くその声に、錠の首の後ろまで冷える。


 女は母親を見て、それから自分の手の中の端末を見た。階段の途中の子どもが、おかあさん、と呼んだ。


「……撮ってない」女は端末を下ろした。「撮ってないよ。ごめん」


 女は子どもの手を引いて下りていった。後ろの三人は動かなかった。錠は、どいてくれ、と言って三人のあいだを通り、鎖の外れた戸から中へ入った。背中で戸が閉まり、鍵が二つ回る。


 居間では子どもが押し入れに入って、戸を閉めていた。雨宮がその前の畳に座って、戸に向かって何も言わずにいる。


 母親の端末が鳴ったのは、昼を過ぎてからだった。


「はい。……はい、辻です。お疲れさまです」


 台所の隅で、背中をこっちへ向けて話している。声は、朝よりも一段明るかった。


「いえ。うちの子は、何も。……ええ。そういう話が出ているのは、知っています。違います。……来週でしたら、私、早番でも遅番でも」


 相手の声が長く続いた。母親は、はい、と三回言った。


「……しばらく、ですか。分かりました。いえ、とんでもないです。ご迷惑をおかけして」


 切ってから、母親は端末を卓に伏せて、こっちを向いて笑った。


「お茶、出しますね。座っていてください」


「辻さん」と芹沢が言った。


「座っていて、ください」


 薬缶に水を入れる手が、蛇口を二度ひねり直した。押し入れの戸が細く開いて、中から声がする。


「おかあさん。ごめいわくって、なに」


「何でもないの。結、戸を閉めて。昼間でも」


 戸は閉まった。


 錠は居間の窓の前に立った。布の端の画鋲が、また一つ浮いている。指で押しても、同じ穴では利かない。錠は画鋲を抜いて、指一本ぶん横の、まだ木の締まっている所に刺し直した。隙間はそれで消えたが、布の向こうの、向かいの棟の窓にいくつ端末が出ているのかは、ここからは見えない。


 壁ぎわで、雨宮がこっちを見ていた。目が合うと、雨宮のほうが先にそらした。ゆうべ足音が止まったのと、同じ長さだった。


 フィルムを送る所。二台。


 錠は抜いた画鋲の、曲がった針を、親指の腹でまっすぐに戻した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。