↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オプトアウター ~初めて「許可する」と言った日、俺の右腕は人を殺した~  作者: 猫間じん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/28

空調

 朝、芹沢は寮の階段の下で端末を耳に当てていた。錠が工具箱を提げて下りていくと、背中を向けたまま片手を上げて、待て、と止める。


「……見守りです。移すまでのあいだ。隣が空いている」


 相手の声は聞こえない。芹沢はしばらく黙って聞き、分かりました、報告は上げます、と言って端末を下ろした。


「今日から、団地に詰める」


 振り向いて、錠と、その後ろの階段にいる二人に言った。


「あの部屋の隣を、室が押さえた。寝るのはそこだ。母子の部屋の中に一人、廊下に一人、交代で付く。着替えを持て」


「詰めるって」錠は工具箱を持ち直した。「軍が来るってことですか」


 芹沢は少し間を置いた。訊かれると思っていた顔だった。


「同意がないうちは、あの取り決めでは守れん。来るとは限らんが、来たときに誰もいないよりはいい」


「来るかもしれないんだ」


「分からん。向こうがあの人を知っているのかどうかも、俺は知らん」芹沢は端末を胸のポケットに入れた。「もう一つある。あの二人を同じ部屋に置いておくと決めたのは、俺だ。置くからには、目を離さん」


 踊り場で言われたことを、錠は覚えている。保護を受けなければ、守れない。あのときは自分の話だった。


「それ、あの人に言うんすか。軍が来るかもって」


「言わん」


「なんで」


「言えば、脅して『はい』を取ることになる」芹沢の声は変わらなかった。「来るかどうかも分からんものを見せて、だからうちに来い、と言うのは、俺はやらん」


「でも、知らないで決めんのと、知ってて決めんのは、違うじゃないですか」


「俺の口から言えば、同じことになる」


「同じじゃないでしょ。知らせんのと、脅すのは」


「連れて行く側の人間が、怖い話をして、だから来いと言う。あの人には、それが脅しに聞こえる」


「聞こえるかどうかは、あの人が決めることで——」


「言わん」


 それで終わりだった。芹沢は車の鍵を出して、先に歩いていく。錠は言い返す言葉を探して、見つからないまま工具箱の取っ手を握り直した。脅すのと知らせるのは同じなのか。同じではない気がするのに、どこが違うのかを、口で言えるほどには分かっていなかった。


「乗る」


 後ろで、低い声がした。雨宮が、端末と小さな鞄を持って階段を下りてくる。錠が見ていると、目だけこっちに向けた。


「何」


「いや。来るんだなって」


「記録、要るから」


 前にも聞いた答えだった。両角がそのあとから、綴りと枕を抱えて下りてきた。


「右が、団地の布団は固いって言ってる。左は、寝ないから関係ないって」


 団地の三階で、芹沢は母親に、戸口で話した。


「移すまでのあいだ、隣の部屋にいます。それと、中に一人、交代で座らせてください。台所の椅子で構いません」


「……移るとは、まだ」


「分かっています。返事を待つあいだ、です」


 母親は芹沢の後ろの三人を見た。錠で目が止まって、少しだけ頭を下げる。おとといのことを、礼とも詫びともつかない角度で済ませたのだと思う。錠も同じくらい下げた。


「どうぞ。狭いですけど」


 最初の当番は錠だった。台所の椅子に座って、工具箱を足のあいだに置く。雨宮は外廊下の、戸から三歩ほど離れた手すりにもたれ、両角は隣の部屋へ荷物を入れに行った。芹沢は廊下の、階段のほうを向いて立っている。


 男の子は、知っている顔が家の中に座っているのがうれしいらしく、五分おきに台所へ来た。


「おにいちゃん、それ、なに入ってるの」


「道具」


「みせて」


「見せるだけな。触んなよ、刃物もあるから」


 蓋を開けると、男の子は手を背中に回したまま、顔だけ突っこんでのぞいた。ドライバーの列と、端に一本だけ形の違う目打ち。その横の、つぶれかけた鉋屑の輪を指さして、これは、と訊く。


「もらったやつ」


「ごみ?」


「ごみじゃねえよ」


 男の子は納得していない顔で、今度は奥を指さした。


「あっちのへや、むっとするよ。かぜのでるやつ、こわれてるの。ずっと」


「ずっと?」


「前に住んでいた方が、置いていかれたもので」母親が流しから言った。「前は動いていたんです。直す人を呼ぶと、家に上がってもらうことになるので、それで」


 それで、の先は言わなかった。手袋の両手が、布巾を絞っている。


「見ていいですか」と錠は言った。「直せるかは、開けてみないと分かんないですけど」


 奥の部屋は、たしかに空気がこもっていた。壁の高い所に、黄ばんだ空調の室内機が付いている。運転の灯りは点くのに、風が出ない。錠は食卓の椅子を借りて上に立ち、左手で前の覆いの爪を外した。右手で覆いを支えると、肘から先が細かく震えて、覆いの端が壁に当たって音を立てる。


 下で、母親の手が上がりかけて、止まった。


 止めたまま、どこへやればいいのか分からなくなった手だった。錠の腕に触れるわけにはいかない。それは錠にも分かった。


「あ、大丈夫っす。……いや、嘘。持っててもらえます? そっちの端。俺の手じゃないほう」


 母親は椅子の反対側へ回って、覆いの端を両手で受けた。手袋ごしに、覆いの重さが半分、向こうへ移る。錠の右手の震えが止まった。


「おかあさん、もってる」と男の子が言った。


「持ってるね」


「ぼくも」


「お前はねじ係。この皿に入れるから、数えてて。なくすなよ」


 覆いを下ろしてもらって、中を見る。原因は二つあった。水を外へ出す管の口に、埃と何かの固まりが詰まっていて、受け皿に水が溜まり、それで機械が自分から止まっている。もう一つは端子台で、線が一本、ねじが緩んで抜けかけていた。誰かが一度開けて、締めきらずに閉めたらしい。


「前の人、自分でいじったな」


「分かるんですか」


「ねじの頭、なめてるんで。合わないドライバーで回した跡っす」


 管の詰まりは、目打ちの先で少しずつ掻き出した。左手に合わせて削ってもらった柄は、こういう細かい仕事でいちばん言うことを聞く。受け皿の水が、ごぼ、と鳴って引いていく。線を差し直し、ねじを締め、男の子に皿を出させる。


「いくつ」


「よっつ。……いつつ」


「四つだろ」


「いつつあるもん」


 皿の上には、たしかに五つあった。錠は一つずつつまんで見て、頭の形の違う一本を男の子の前に置いた。


「これは、うちのじゃない。最初から皿に乗ってたやつ」


「じゃあ、どこの?」


「知らねえよ。お前んちのどっかだろ」


 母親が、小さく笑った。この部屋で笑うのを、錠は初めて聞いた。


 覆いを戻して、運転の釦を押す。


 音が変わった。


 低い唸りのあとで羽根が回りだし、吹き出し口の板がゆっくり開いて、風が錠の顔に当たった。男の子が椅子の下で跳ねて、両手を風のほうへ伸ばす。


「でた! おかあさん、でた!」


「出たね」


 母親は覆いを支えていた手袋の手のひらを見て、それから錠に頭を下げた。


「ありがとうございます。本当に」


「線一本と、ごみなんで。……あ、ごみって、詰まってたほうの」


 夜の当番も、錠に回ってきた。芹沢は廊下に立ち、両角と雨宮は隣の部屋にいる。男の子は早く寝た。奥の部屋の戸の隙間から、空調の低い音が続いている。


 母親が台所に出てきたのは、それからしばらくしてからだった。湯を沸かして、茶を二つ淹れ、一つを食卓の錠の側へ、手の届かない所まで押して寄こす。自分は向かいに座った。


「一つ、訊いてもいいですか」


「はい」


「あの人の言うこと。本当でしょうか」


 真柴のことだった。錠は湯呑みを見た。


「分かんないです」


 それだけでは足りない気がして、続けた。


「うちの親父が、受けてて。あの人のやつじゃなくて、病院の治療のほうですけど。受けてから、怒らなくなった。楽になった、って本人は言ってます」


「……それは、いいこと、ですか」


「分かんないです」


 同じ答えを二度言った。母親は責めなかった。湯呑みを手袋の両手で包んで、湯気を見ている。


「怒らなくなったら、困りますか。お父さまが」


「困っては、ないです。連絡もくれるし、怒鳴られることもないし」錠は首の後ろをこすった。「ただ、返事が、書けないんすよ。俺のほうが。なんでかは、うまく言えないです」


 母親は頷いた。聞いた、という頷き方だった。


 言っていないことが、もう一つある。


 同意がないあいだは守れなくて、来るかもしれない。朝、芹沢は、言えば脅しになるから言わん、と言った。そうなのかもしれない。でも、この人はいま、二つの話を並べて決めようとしていて、その片方の皿に何が乗っているのかを、半分しか知らされていない。


 錠は口を開けた。


「あの」


「はい」


 母親が顔を上げた。待っている顔だった。離れる話と、戻せない話のあいだで、よく眠れていない顔でもあった。ここへもう一つ、怖い話を足すのか。足すのが正しいのか。足さないのは、隊長と同じことをしているだけじゃないのか。


「……空調。風が強かったら、弱めてください。リモコンの電池、たぶん古いんで、効かなかったら言ってもらえれば」


「はい。ありがとうございます」


 母親は茶を飲み終えて、湯呑みを流しに置き、おやすみなさい、と言って奥へ戻った。戸が閉まる。


 錠は椅子に座ったまま、冷めた茶を飲んだ。言わなかった。言えなかったのか、言わないと決めたのか、自分でも区別がつかない。明日、もう一度隊長に言おう、と思った。知ってて決めんのと知らないで決めんのは違うと、今度はもう少しましな言い方で。


 奥の部屋から、空調の音が続いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。