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第22話 詫びの女は、証明できない

「柊さん。その、三人です」


 久瀬の声が、いつもと違った。

 鶴は草を刈る手を止めた。八月の草はよく伸びる。刈っても三日で戻る。

「足場が落ちました。今朝です。日本橋の南で、建てかけの三階建てが」

「亡くなったのは」

「三人です。全員、人足です。一人は、まだ十七だと」

 鶴は鎌を置いた。置く場所を直した。刃が上を向かないように。

「その土地は」

「二月前に、社を潰した跡です。整理令の対象で、一番目の」

 久瀬が綴りを開いた。開いた手が止まる。

「払い下げを受けたのは、八朔数馬さんです」


 現場に着くと、数馬が立っていた。

 麻の背広が土で汚れている。帽子を持っていない。落としたのか、置いてきたのか、髪が乱れたままだった。

 足場は落ちていた。丸太が折れて、板が散っている。血は洗い流されていた。

「義姉さん」

 数馬が鶴を見た。

「僕、届出も全部通したよ。合法だよ」

「はい。合法でございます」

「役所が潰したんだ。僕が潰したんじゃない。潰した跡地を、競りで買っただけだ」

「はい」

「じゃあ、なんで」

 数馬の声が高くなった。高くなって、途中で切れた。

 鶴は跡地を歩いた。

 社があった場所は、地面の締まり方で分かる。基礎を打った跡が四角く残っていて、その中だけ土の色が違う。

「石は、どちらへ」

「石?」

「社の石でございます。狛犬か、手水鉢か、礎石か」

 数馬が現場監督を呼んだ。監督は帳面をめくって、答えた。

「産業廃材で出しました。砕いて、南の道の下敷きに」

「砕いた」

「規則ですので。祭祀物は、そのまま埋めると後で揉めますから、砕いて混ぜろと」

 鶴は動かなかった。

 砕かれて、混ぜられて、道の下にある。どこの道の、どのあたりかは分からない。

 返す形が、組めない。

「義姉さん、どうすればいいの」

 数馬が近づいてきた。

「僕が謝ればいいの? 謝るよ。何回でも謝る。人前でもいい。だから」

「どなたに、でございますか」

 数馬が止まった。

「潰したのは役所でございます。砕いたのは請けの方でございます。混ぜろとお決めになったのは、規則をお書きになった方でございます。買われたのは、あなた様でございます」

 鶴は跡地の四角い土の色を見た。

「無かったことにした方が、四つに分かれております。分かれますと、誰の口から言えばよいのかが決まりません」

「じゃあ、全員でやれば」

「全員が、自分のせいだと思っておられません」

 数馬が黙った。

 黙って、折れた丸太の上に腰を下ろした。麻の背広の尻が土だらけになるが、直さなかった。

「十七だってさ」

「はい」

「昨日、そこで飯食ってた。僕、見たんだ。握り飯持ってて、梅が入ってて、酸っぱいって笑ってた」

 数馬は自分の手を見た。

「僕が買った土地だ」

「はい」

「僕が買わなきゃ、別の誰かが買っただけだよね」

「はい」

「……それで済むと思ってたんだ、今朝まで」

 鶴は数馬の隣に立った。座らなかった。座ると、この人が楽になる。

「数馬様」

「うん」

「石を砕けとお決めになったのは、どなたでございますか」

 数馬が顔を上げた。

「規則だよ。開化局の」

「規則をお書きになった方が、おいでです」

 夏の日が、折れた丸太を照らしていた。焼けた木の匂いがする。ここは燃えていないのに、なぜか焦げた匂いがした。


 開化局の参事官室は、涼しかった。

 窓が高い。日が入らない造りになっている。綾瀬は上着を着たまま、机の向こうに座っていた。

「三人ですね」

「はい」

「私の綴りにも入りました。十七、二十四、三十一。全員、名前も入っています」

 綾瀬は綴りを閉じた。

「柊さん。あなたは、整理令を止めろと言いに来た」

「はい」

「止めた場合に、何人助かりますか」

 鶴は答えなかった。

「四百八十件のうち、二月で十一件を整理しました。事故が起きたのは二件です。九件では何も起きていない」

 綾瀬は地図を出した。赤い印が増えている。

「私も数えています。あなたが関わった案件で、あなたが詫びを立てたあと、同じ場所で事故が再発した例はありません。それは事実です」

「はい」

「ですが、社を潰した町と潰していない町で、事故の増え方に差がない。これも事実です」

 綾瀬は指で地図を撫でた。

「二つとも事実で、噛み合いません。噛み合わないときは、私は数の多いほうを取ります。四百八十件を整理すれば、火災と倒壊の危険がある建物が四百八十減る。去年、朽ちた祠が倒れて死んだ子どもが二人います」

 鶴は膝の上で手を重ねた。

「参事官様」

「はい」

「石を砕いて、道に混ぜよとお決めになったのは、どなたでございますか」

 綾瀬の指が止まった。

「私です」

「なぜでございますか」

「そのまま埋めれば、後年に掘り返す者が出る。掘り返せば、また揉める。混ぜれば、二度と揉めません」

 鶴は顔を上げた。

「二度と、返せなくなります」

「返す、というのが何を指すのか、私には分かりません」

 綾瀬は静かに言った。

「分からないものを、私は行政の根拠にできません。柊さん。因果と相関は違います。社を潰した町で事故が増えた。それだけでは、何も証明されない」

 鶴は言葉を探した。

 探したが、無かった。

 この人の言っていることは、正しい。数はこの人が持っている。鶴が持っているのは、二十年ぶんの帳面と、解けた件数だけだ。解けたことは証明できない。解けたかどうかを判定できるのは、受け取る側だけで、その受け取る側は、この部屋にいない。

「柊さん」

 綾瀬が言った。

「私は、あなたを否定しているのではない。証明を求めているだけです」

「はい」

「あなたが正しければ、私は止めます」

 鶴は頭を下げた。下げて、立ち上がった。

 立ち上がるとき、机の上が目に入った。

 革表紙の綴りが並んでいる。背に年号が入っていた。開化元年から、開化十一年まで。

 一冊、抜けている。

「参事官様」

「はい」

「開化九年の綴りは、どちらに」

 綾瀬が、初めて一拍黙った。

 顔は動かない。声も変わらない。ただ、返事が一拍遅れた。

「製本に出しています」

 鶴はその一拍を数えた。


 外は炎天だった。

 久瀬が門の脇の木陰で待っていた。上着を脱いで、腕にかけている。

「どうでした」

「負けました」

「そんな」

「正しいことを、おっしゃっていました」

 鶴は日向へ出た。石畳が焼けている。草履越しに、熱だけは伝わってきた。

「柊さん、それで引き下がるんですか」

 鶴は少し考えた。

「あの方も、何かを数えておいでではありません」

「え」

「二十年、人の帳面を見てまいりました。書いていない年がある帳面は、書けなかった年でございます」

 蝉が鳴いていた。


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