幕間 「谷の先の洞窟」
谷でのひと悶着の後、霧の奥。
霧の魔女と戦闘をした大広間の先には洞窟。谷底から僅かに流れ出た水はまるで吸い寄せられるかのように洞窟の内部へと流れ込んでいる。しかし、どうしてだろう。谷で見た小川は水が濁り、赤黒い血のような水ではない。水色の澄んでいて奇麗な水。それはきっぱりと境界を引かれたように二つを分けている。まるで、この谷と
この洞窟はまるで別世界であるとでも言うかのように見える。それを不思議に思いながらも私達は下流に向かって歩き始める。一歩、足を踏み外せばあっという間に流されてしまいそう。そんなゴツゴツとした斜面を、谷と同じく時には魔女様の手を借りながら進んでいく。でも、仮に足を滑らせて落下したとしても下は浅いので取り返しはつくほどの深度。谷の時みたいにはならない。それはひとまず安心。
谷の先の洞窟。
ただ安心とは裏腹に懸念とすれば自然が生み出す脅威は未知だということ。未知に対して、私が抱くのは好奇心よりも恐怖。しかし、魔女は怖気づくことなく進んでいく。私もそれに続いていくしかない。
思えば霧の魔女が倒され、晴れ渡る谷では多くの遺体を見た。未知という甘い蜜に駆られ、そして敗れた者。死因は霧の魔女が大半、残りが落下による要因といったところ。遺体の状況もそれぞれで腐敗が進んでいるものもあれば、既に骨と化しているものまで幅広く。もっと言えば動物から人間。種族の数も豊富だろう。あれはさながら死の谷だ。そんな幾つもの死を乗り越えて私達は先へ進む。私も一歩間違えればああなっていたというのをしっかりと胸に刻み、再び身を引き締めながら。
いつだって先に進むのは勇気がいる。それはどんな場所を行くとしても変わらずあって。森の中でも、谷でも、新たな街でも。けれど、ここは。
洞窟内は思いのほか、明るかった。そのぼんやりとした明かりは私に安心を与え、そして私達を迎え入れる。ここは安全だと、あの死の谷を抜けたご褒美だとそんな風に見えるのは幻想だろうか。そして、気が緩むのは綻びからだろうか。
明るさの正体もすぐに判明した。どうやら、洞窟内のあちこちに生えている苔が淡く青白い光を放っているようだ。それらは一つ一つ、主張するかのように光源を放っていた。
光源というのはありがたい。谷を乗り越えた今、改めてそのありがたみを感じる。これなら視界に困る事はない。目の前を行く背中を見失う事も。
苔の明かりは私を刺すような月明かりとも、魔女様の生み出す灰の明かりとも違う。どこか温かみのある光。暖色と言った方が良い。
「ここは静かですね」
前を行く魔女様の背中に呟く。気づいたら自然と口から漏れ出ていた。安心から零れ出た。それに、魔女様も苔に目を奪われている様子。無理もない。洞窟内は谷と異なり神秘的な雰囲気が漂う。
「奇麗。プラネタリウムみたい」
今度は魔女様が誰にともなく呟いた。プラネタリウムというのは私にはよく分からないが、きっと魔女様がいた世界にはこの光景によく似たものがあったのだろう。
魔女様はたまによく分からない単語を口にする。別に嫌と言う訳ではない。ただ、少し気になってしまうのだ。魔女様がいた世界はどんなだったのだろうと。もちろん、話を聞くだけではこの前と同じ轍を踏むだけ。私の想像が及ばない部分は霧がかかったように見えないだけ。
ならばそれで良い。
例え、分からない言葉が出たとしても隣にいる私は「そういうもの」だと思って聞き流すだけ。
でも、それらの零れ出る言葉を聞いて実際に行ってみたいなんて思ってしまった。もちろん、口には出さない。ならば、この気持ちは静かに胸に閉まっておこう。
洞窟内には水が流れる。流れるというよりかは下に落ちているというのが正しい。谷から続く小川が流れ込み滝を作る。それに、洞窟内はそれなりに広い。二人並んでもまだゆとりがある。先程の死が蔓延する谷に比べたら、大分気が楽というかオアシスだ。
まぁ、その谷が乗り越えられないのだからしょうがない。
だから、ここは秘境なのかもしれない。
そして、そんな環境にも根付く存在がいる。
そう、沢山の足や触覚を持った節足動物達。百足やゲジゲジ、ダンゴムシと言った暗くてジメジメとした所を好む昆虫達だ。それらは見るとゾッとするというか、何か根源的な恐怖を覚えるというかとにかく私は苦手だった。それらの存在が悪い者達ではないとしても見た目が受け付けなかった。
しかし、魔女様は今、それらに囲まれている。歓迎されるかのように。そして、当の魔女様はと言えばそれらの手厚い歓迎をくすぐったそうに受け入れていた。彼らは久しぶりの訪問者に友好的だ。言葉は持ち合わせないが、「キシキシ」という昆虫特有の鳴き声や「カサカサ」という足音。あとは「バサバサ」という羽音すら聞こえてくる。私はその囲いから自分が平静でいれるくらいの距離をとって囲いの中心を眺めている。
魔女様はどうやらそれらの存在も平気というかむしろ好きなようだ。私は流石にその気持ちは分かりえなかった。だから、私はと言えば離れた外野で座りながら、その光景を絵に納めていた。旅の一ページとして。
「リリー、来ないの?」
中心で魔女様が楽しそうに。人の背ぐらいはある大きな百足と対面してその頭を撫でている。
「可愛いよ?」
この世界の昆虫は全てこのくらい大きいのか。それが疑問だったが、何せ終末世界だ。何が起こってもそれはちっともおかしくはないのだろう。ただ、虫が異常に発達した事柄ぐらいなど些細なものだ。むしろ、この世界では人間よりも彼らの方が主役ではないかと言える。森の中の蟻しかり。谷でのネズミしかり。
そして、私はそんな現実逃避と共に、
「いえ、遠慮しておきます」
と断りを入れる。見ているだけで十分だった。触るくらいならまだしも多くに囲まれれば卒倒してしまいそうだ。
人類が決して、到達する事が出来なかった死の蔓延る谷。そして、その奥に広がる洞窟。そこには今、二人の足跡が刻まれた。
私はそこでしばらくの時間、過ごすと同時に洞窟の住人と触れ合う魔女様の様子を描いていた。
やっぱりこうしていると落ち着く。久しぶりの心が落ち着く時間。しばしの平和。それを噛みしめて。
私の絵にはいつからか貴方の姿が記録されていく。それを見ると、心が温まっていく。紛れもない旅の記憶。
いや、思い出と言ったほうが良い、かも。ただ、忘れたくなくて。




