第四話 「崖沿いを伝って」
1
二人が歩く先、森の切れ間には深い渓谷が現れた。そして、私達は今、その狭間で立ち尽くしている。向こう側にはさっきと同じ森が広がっている。さらにその向こうには山。しかし、行けそうにない。向こう岸にかかる橋もないので行く手段はない。最早諦めるしかない。となると、どうするか。
「魔女様、どうしましょう?」
行く道がなく路頭に迷う。私はたまらず魔女様の判断を仰ぐ。こうした方がきっと確実だ。浅はかな考えの私より思慮深い魔女様の方が頼りになる。それに、私は魔女様の判断に従うだけ。
肝心の魔女様は崖の淵であごに手を添えて考えていた。迷っている様子。私達はしばらくそこで立ち止まる。谷沿いは風が強いからか、魔女様の白い絹のようなワンピースの裾が風で揺れていた。
「うーん。あちらに行けない事もなさそうだけど・・・。」
一人でぶつぶつと呟く魔女様。その呟きに耳を凝らしながら。
行けない事もない? どうにか行ける手段があるのだろうか。いや、魔女様ならばきっと私には想像もつかない手段があるのだろう。
その呟きから推測するに、魔女様一人ならば思い通りの道が進めるのだろう。しかし、私がいるから。きっとお荷物である私でも可能な道を考えてくれている。だから、これだけ迷わせてしまっている。私の存在意義を考えるときりがない。申し訳ないという気持ちで一杯になる。同行してからもう何度も旅の足を止めてしまっている。その歯がゆさやもどかしさから私はそっと唇を噛みしめた。
「もう少し、先に進んでみようか」
そうこうしている内に、魔女様が思考を終えた。指さす先は崖沿い。下した決断は崖沿いに沿って歩く事。
「こうすれば、恐らく道は開ける」
そう迂回のルートを提案してくれる。確かに、二人で行ける道はそれくらいだ。しかし、私はなおも自己嫌悪に陥り俯いたままでいた。
地図があれば、役に立たない私も役に立てるのに。しかし、そんなものはこの世界には存在しない。何故なら、この世界の殆どは私にとって未知。いや、元々は人間の暮らしがあった。けれど、今それらは面影だけを残して魔女の未知が広がっている。魔女が災厄を起こしてから私達はそれぞれの街を出歩けるという事もなくなったから。それに他の国や街を気にする余裕もない。そして、私達は立ち向かう。世界と言う大きな存在に。
「さぁ、リリー。行こう」
ちっぽけな自分を顧みた所で魔女様に声を掛けられる。
でも、そうだな。小さな自分を考えてもしょうがない。何も生むことはない。ならば、今は魔女様が示した道を進むだけ。それが私に出来る唯一の事。付いていくと決めた以上、それしかない。魔女様が求めてくれる限り、私は共にするだけだ。私の迷いも晴れた。
迷いが晴れると行く道も自然と現れる。そんな不思議な偶然もあるもので、しばらく歩くとそこに続く小路に出た。
「でも、この谷を下ろうか。ちょうどここから続く崖沿いを降りていけば降りられそう」
そうして魔女様の前には道があった。崖沿いのゴツゴツとした岩肌が剥き出しの小道。
「底に降りてからの事は着いてから考えよう」
少なくとも今はここしか行く道はない。
ふと下を覗いてみても谷の底は暗く、ここからでは見下ろす事は出来ない。見渡す事が出来ないのは不安だ。ヒュウヒュウと風が吹く。髪が靡く。そして、湧き立つ不安は消える事無く。
森は始まりに過ぎず。この先はまごう事無き、魔女の巣窟。今は生存していないけれど、かっ、ての、住処。そこに今から足を踏み入れる。そこは未知。それも人知を超えた。そこではきっと、何がいても何が起きても何ら不思議ではないのだろう。そう私の身にどんな事が起きたとしても。妙な胸騒ぎ私のか細い体に伝播する。立つ足に震え。
どうしたのだろう。未だ踏み入れる前だと言うのに既に怖気づいている。こんな事、今までなかった。震えで動かない足は全く、情けない。「魔女様の旅に付いていく」というあの覚悟は偽物だったのか。今になって揺れているのだろうか。引き返すかと。踏み出すのはとても勇気がいる。
それかもう一度、あの街に帰る?
嫌だ。それは絶対に嫌だ。もう二度とあの街には帰らない。あの街で何もかも諦めてただ朽ちていきたくはない。揺らぐ決意を今一度、固めて。
ここを降りたら、もう帰って来ることは恐らくできない。その予感はきっと正しい。
今出ている月明りだってどこまで照らしてくれるかは分からない。流石に底まで照らすというのは難しいのではなかろうか。きっと底に近づいてくるにつれて暗くなってくるはず。それを考えるとどうしても気が重くなる。しかし、そんな私とは裏腹に、前を行く魔女様はスタスタと歩いて行く。何も恐れなどないかのように。
凄いなぁ。私もそれくらい思い切りが良くて、一輪の花のように凛とした強さを持ち合わせていれば良いのに。魔女様が、そして私が何のために旅をしているのかは分からない。でも、意味なんてその内、見つかれば良いのだ。少なくとも、あの街で皆のようにただ朽ちていくよりかは良い。だから、今は進むしかない。今はこの明かりだけを頼りに。あなたの背を追って。
2
崖沿いを這う道はなかなかに過酷。幸い、月明りはまだ差し込んでいるので明かりに困る事はない。ここを過ぎたら分からないけれど。今は大丈夫。過酷さを極めている要因としてまず、森の中と違い地面が土ではないので砂利や小石が裸足に刺さるというのが一つ。加えて、道幅は狭く障害物も多い。人一人がなんとか通れるといったぐらいの幅しかない。場合によっては横歩きでもしないと通れないほどに狭い箇所も存在する。足を踏み外せば最後。谷底に真っ逆さまだ。だから、私も魔女様も縦一列で進む。当然、前が魔女様。後ろが私といった並び。
私はといえば、視線を常に足元に向けていないと、つまずいて転んでしまいそうで
気が気ではなかった。常に細心の注意を払う。一歩、一歩慎重に進んでいく。前を行く魔女様も私に合わせてくれている。
それなりに歩いた自負はあるが谷底は相変わらず、見通しが付かない。暗闇に包まれている。谷底には何が待ち受けているのか。谷に入る前のあの胸騒ぎは何だったのか。
それに答えられる答えは持ち合わせていない。足元に集中しながら灰を辿る。幸い、前を見なくても道は分かる。魔女様が灰を残してくれる事で。これがあれば私は迷うことなく進むことが出来る。森の中と同じ。辿る事に集中するだけで良い。例え、暗闇の中で右も左も分からなくても、この灰が行く道を示してくれる。魔女様が生み出す灰は淡い光を放つ。私の事を導くように痕跡を残してくれる。それを辿るのがこの旅の暗黙のルールというか、いつの間にか私に癖づいてしまっていた。
「大丈夫?」
時折、魔女様が私の身を案じてくれる。その度に私はぎょっとする。唇が触れ合いそうな程、近い距離で深紅の瞳がゆらりゆらりと揺れている。一切の瞬きを挟むことなく、私の事を真っすぐに刺すように覗く。その目が何を思っているのか、私には見通す事が出来ない。だから、たじろぐだけ。
「良ければ繋ぐ?」
おずおずとした様子で手を差し伸べられた。しかし、私はなんだか気恥ずかしくて、
「だ、だいじょうぶです」
と一度は断った。しかし、断ったと同時、崖の窪みにつっかかって転んでしまう。顔面からド派手に。ゴツゴツとした地面に鼻を思い切り打ち付ける。動揺から漏れ出た不注意で無様な姿を晒してしまった。断った手前にそんな姿を見せるのは恥ずかしくて思わず俯く。魔女様がどんな顔をしているのか見たくない。膝を擦りむき、血が滲む。じんじんと痛む。私は本当にどんくさい。
「ふふ。やっぱり繋ごうか」
でも、そんな私を責める事無く見守っている。
「はい・・・。」
そんな魔女様を見たら俯いたまま、頷いてしまった。自分でも驚くほどに自然と。私はまたその優しさに甘えてしまう。そして、魔女様のエスコートの下、崖を降りていく。一先ず、中腹まではあと僅か。
私はその手に、そのぬくもりに導かれるように付いていく。この終末世界は魔女によって作られた。他ならぬ、私の目の前に存在する彼女達のような存在がこの世界を招いた。
けれど、不思議。私は今、その手に導かれている。行く道を示されている。
思えば、この手は男を砂のように消した手。けれど、私は今、その手に触れても何も起こっていない。
何か条件があるのか。それとも、何もかも魔女の気持ちや裁量次第なのかもしれない。
人の世も人間も、それこそ何もかも。
それに、始めは怖かった。この手に触れるのすらも。しかし、今の私は安心すら覚えている。頼りになる背中、導く手。魔女の手は雪のように白く、また、氷のように冷たい。けれど、そんな手に私は心のどこかでぬくもりを感じていた。
ああ、この手に触れていればきっと大丈夫。
もう恐怖は感じない。閉ざされた道は開けていく。
3
「着いたね」
魔女様の声を合図に目的地に辿り着く。長かった道も終わりを迎える。なんだか未だに夢見心地。ふわふわとする。
繋いでいた手も離される。当然だ。もう目的地にも着いたし、不安定な足場もない。けれど、手が離れる直前、私はどうしても「あっ・・・・」と言う声と共に寂しさを覚えてしまった。温もりが離れていって。
不思議。あれだけ恐怖して一度は手を取るのも拒んだのに。今はそれを求めている。そんな自分自身の心境の変化が奇妙。道具として使われていた時はこんな気持ち、微塵も抱かなかったのに。
そんな私の短い呟きが聞こえてしまったのか、魔女様は、
「繋ぐ?」
なんてもう一度、手を差し出してくる。不信もなく純粋に。氷のように血の気がない。けれど細く美しい手。
私は咄嗟に触れそうになる。けれど、触れる直前になんとか「もう大丈夫です」と焦りながら返事をした。
手を繋ぎたいなんて、なんだか甘えたい子供のようで恥ずかしい。そんな意地が勝って。
しかし、恥ずかしがる私をよそに、魔女は「ふふ」と笑みを零す。何か微笑ましい者を見るかのような柔らかい表情。
(こんな表情も出来るのか)
いつも凛とした姿しか見ていなかったから少し驚いた。
魔女様がどんな人物で、どんな素性を持っているのかは分からない。でもそれは別に今知る必要はない。そう。魔女様が自発的に話してくれるまでは私も聞いたりはしない。
谷の中腹まで来ても、意外と明るい。なんだ杞憂だったのかもしれない。
深い谷。見上げると私達が降りて来た小路が見える。谷の底からでも夜空が見えた。雲一つなく澄み渡る空。私達がいた街とそして地上はもう随分と離れているはずなのに中心には月が浮かぶ。月明りが私達を照らす。魔女の軌跡も月の光を反射してキラキラと映しては消えていた。
さっきまで、自己嫌悪に陥っていたのがまるで嘘のよう。それほどまでに清々しい。
この世界はやっぱりおかしい。魔女によってもたらされた世界。それを改めて目の当たりにする。しばらくの間、ボッー―と空を見上げていた。すると、唐突に魔女様が、
「踊る?」
と問う。
踊る? 何故?
唐突すぎて付いていけない。魔女なりのジョークだろうか。その言葉の真意を探るかのように私は魔女の方を見る。 魔女は到って真剣な顔。どうやら冗談ではないらしい。魔女様の行動は読めない。魔女様はやっぱり普通ではない。普通なら、こんな風に唐突に絵を描く、踊りを踊ろうとはしない。困難や未知を控えている時にはなおさら。でも、そんな子供のように自由な魔女様の様子に私は安心する。
ああ、この方ならばきっと道は違える事はないだろうと今後の旅の行く末が見えた。
ならば大人しく、誘いに乗るしかないのだろうか。
でも、私は踊れない。今までの人生で踊った事も無ければ、自信もない。それに、足元に目を落とせば、私も貴方もお互い裸足。心もとない。この硬い地べたでは擦り切れてしまうかもしれない。このゴツゴツとした岩肌が剝き出しの地面では。
けれど、魔女はそんな事はお構いなしと言うように、「大丈夫」だと言う。
目の前の魔女が手を差し出す。私を連れ出すかのように。私はその手に導かれるかのようにそっと自分の手を重ねた。
だってそうだろう。私が自分で選んで、付いてきたのだから。
魔女がステップを踏み始める。私もなんとかそれに合わせて付いていく。右に左に、貴方の後ろから。付いていく中でふとここが崖の中腹である事を思い出す。一歩間違えれば落下するという事も可能性としてはある。非常に低いかもしれないが。改めて、崖の途中で軽やかにステップを踏んで踊るという異常性を認識する。目の前の貴方はどうとも思っていないだろうが。でも、きっと落ちる心配はない。魔女様が導いてくれるから。
ああ、そうだ。貴方はいつも私の先を行く。そして、私は何とか付いていく。
この旅がいつまで続くのかは分からない。けれど、私は最後まできっとそうなのだろう。貴方の背を、灰を追いかけて。そして記録して。
二人は谷の中腹(広場)で踊る。月明りをその身に浴びながら。行く旅に祝福の意味を込めて。踊りながら、途中で魔女様が「リリーは今までどう過ごしてきたの?」と聞いて来た。
私は魔女様の動きに必死に付いていきながら質問の答えを探す。しかし、なかなか答えが見つからない。
思えば、私は今までどうやって過ごしてきたのだろう。明日への希望も生きる意味も見出さずに。でも、そんな日々を思い返すと私はいつでも絵を描いて来たような気がする。
絵は自由だ。心の奥に留めた自分の気持ち、不満、そして夢。それらを全て表現できる。私にとっての魔法みたいなモノ。でも、なぜずっとそれに勤しんでいたのかははっきりとは浮かばない。けれど、私の口は自分でも驚くほどに自然と言葉を紡ぐ。
「今まで、私はどこか夢を見て過ごしてきたのかもしれません」
そう答える。そして、続ける。
「笑っちゃいますよね。こんな夢も希望もない世界で一人、夢を持つなんて」
なんて自嘲気味に。本当に笑い種だ。でも、そうしないと生きていけなかったのも事実。しかし、結局、待っていたのは男に奴隷のように扱われる生活で、毎日、したくもないような事をさせられて。夢を見ても直ぐに砕けるのが現実。その現実をまた見たくなくて更に夢を見る。その繰り返し。
とんだ愚か者。学もなければ、お金もない。あるのは薄汚れた自分の身だけ。でも、魔女様は笑う事はなかった。至極、真面目に、真剣な顔で、
「別に笑わない。だってリリーの描く絵にはいつも希望があったから。リリーの絵を見た時。希望のない私ですら煌めいて見えたから」
当たり前かのようにそう言った。
私はその言葉を聞いて泣きそうになった。だって、生きる事は辛い事だから。そして、辛い事がある度に私は絵を書いた。その絵にも意味があったのだとそう思えると胸に込み上げてくるものがある。
「リリーはどんな夢を見ていたの」
重ねて魔女様は踏み込んでくる。私ももう全てを語ろうと思った。魔女様になら別に良いと思ったから。
「そうですね。割とありきたりだと思います。例えば、良いお洋服を着たり、豪華な食事を食べたりとか。寒い夜は温かい布団に包まれたりなんて」
そんなありきたりで子供じみた願い。環境が異なればすぐに叶えられてしまいそうなくらいにはささやか。それでも私はそんな風に吹かれれば直ぐに倒れてしまいそうな小さな願いをいつも夢に見ていた。もちろん、そんな願いならば簡単に叶えられてしまう人も世の中にはいるというのも知っていた。
でも、魔女様は、
「ふふ。素敵だね」
とそう薄く笑う。そして、
「でも、そうだね。そんな素敵な夢がいつか叶うと良いね」
魔女は月に向かってそう言った。
素敵な夢。そうか。
(でも、夢は叶えるものなのかな。見るものではないのかな)
だって叶う事は無いのだから。この世界で生きてきて、私に向かう現実がいつもそうだったから。
そんな思いは谷の中で静かに消える。魔女の意味ありげな視線が私は印象に残った。その目が何を意味するのか、今はまだ。




