第三話 「森は暗く」
1
街を出た私達は今、森の中を歩いている。森といっても、辺りに生い茂る木々たちはあまり背が高くなく、地上からは空が見える浅い森。なので、夜空の中心に浮かぶ月(といっても動いているのを私は今まで見た事がない)を目印に歩いているので、迷う事はきっとないと思う。さらに言えば、森の中には街の中のように石畳で舗装はされていないが草木がかき分け、道のようになっていた。まるで、歩くのに困らないように。人々による開拓の跡が見える。
という事は、この森は街の人々が獣等を狩る、つまり、食料を確保するために使っていたのだろうか。
思えば、あの私を言いなりにしていた男も猟銃を所持していた。だから、あの男もこの森で食料を確保していたのかもしれない。それにしては、私に分け与える食事がお粗末だったような気がするが・・・。
まぁ、それは今、置いといて。もう終わった事なのだから。とにかく、私達は森を歩いている。私はというと前を歩く魔女の後ろを付かず離れずといった微妙な感覚を開けながら歩いていた。付いてきたといっても、流石にまだ恐怖はある。
だってしょうがない。いくら魔女が私に害を及ぼす存在ではないと頭で分かっていても、何せ相手は人知を超えた存在。そして、世界をこのように冷たく、孤独に、終末に導いた存在。人類の敵に等しい。そんな相手なのだ。だから、私は未だ心を開く事が出来なかった。
(そりゃ、一日や二日でこの恐怖心が取り払われたら苦労はないよね)
だから、この魔女と私の間にある距離もその表れ。
魔女もさして気にしていないかのように見える。今がいつでどのくらい歩いたのかも分からない。ただ、いつまでも終わりの見えない森の中を黙々と歩いて行く。この先に何があるのかも分からずに。
2
「そろそろ休憩しようか」
魔女が後ろを振り返らずにそう言った。確かに、随分と歩いたかのように思える。私も疲労を感じていた所だった。
世界は意外と安全なのだろうか。もしかしたらそこまで滅茶苦茶になんてされていないのではないか。私があの街で聞かされていただけで世界の何処か、この森の奥には普通に人類が何事もないかのように平和に暮らしているのではないか。
そんな希望を持てるかのような道だった。少なくともこの森はそう感じるほどには安全だった。少し、拍子抜けだといったらあれだけど、そう感じてしまう程には。
魔女は森の中の倒れていた木を椅子代わりにして腰を下ろす。そして、隣に座るよう合図を寄越していたが、私は向かいに座る。少し、間を開けて向かい合う形で座る。魔女も無視をした私を何ら気に留める事無く話しかけてくる。
「ねぇ、名前は?」
そう問いかけられる。問いかける魔女は何を考えているのか分からない。会話を楽しんでいるにしては声が無機質過ぎる。まるで血が通っていないかのような、機械と喋っているといった方が正確だろうか。これが魔女の特質なのかもしれない。
「名前は・・・ありません。それに、誰かに呼ばれた事もないので存じあげません」
「そう」
そう言っても、魔女は表情すら変えない。まるで人に興味がないのかもしれない。でも魔女には魔女の、人には人の違いがあって当たり前だ。
しかし、私はと言えばよく考えて見ても名前らしきものは思い当たらなかった。私と言う存在はただそこにいて、道具として使われていただけ。親と言う存在もいるにはいるのだろうが自分自身、誰かから産まれた記憶もなければ、誰かから愛された記憶もない。思い返してみれば悲しい存在だと言える。まぁ、それが当たり前だし、自分という存在に希望を持たず生きる意味も持たなければなんとも思わない。
奴隷には奴隷の。道具には道具の。身の丈にあった生活をしていれば。自然とそうなる。それが当たり前で日常ならば。貪る側と貪られる側。そして、私は貪られる側。それを受け入れてしまえば。
「・・・・・」
「・・・・・」
魔女と私の間に沈黙が走る。けれど、その沈黙はすぐに破られる事となる。他ならぬ魔女によって。
「じゃあ、リリーなんてどう?」
魔女は少し悩んだ素振りを見せた後、そう提案した。
りりぃ。リリー。
心の中で、告げられた言葉を反芻する。
どうやら、私が過去を思い返している間に魔女は私の名前を考えていたらしい。マイペースというか順応力が高いというか。
でも、リリー、リリーか。何度でも呼んでしまう。どんな意味なのかは分からないがどこか暖かい。私という存在が確立される。「リリー」として。
こんな気持ちは初めて。じんわりと心に広がる温かみ。その温かみをしっかりと噛みしめながら、
「それで大丈夫です」
とだけ口にした。
「じゃあ、貴方は今日からリリー。私はそう呼ぶ」
今から魔女は私の事を「リリー」と呼ぶ事が決定。
「嬉しそうだね」
嬉しい?
私は今、嬉しがっているのだろうか。分からない。
不思議そうな様子に魔女が笑う。
「リリー。早速だけど、ここはどこ?」
早くもそう名前を呼ばれた。名前と言うのは不思議な物で呼ばれればすぐに自分だと認識できる。それが例え、さっき名付けられたものだとしても。
いや、こんな場合ではなかった。魔女はこの世界についての情報を集めようとしている。ならば、同行した私は聞かれたことにちゃんと答えなければ。
でも、どこ、か。どこなのだろう。ここは。生まれてこの方、割と長い事生きて来たけれど、ここがどこなのか分からない。残念ながら納得できそうな答えを持ち合わせていなかった。私では完全に役不足。
しかし、目の前の魔女は答えを待っている。その赤い瞳でなかなか答えの出ない私を待っている。
「ごめんなさい。分かりません」
私は俯きながら答えた。魔女は「そう」とだけ言った。
名前もない。この場所についても分からない。私は一体、どのように、何のために生きているのだろう。改めてそれを認識する。今まで目を逸らしてきた事柄に。向き合わず、言いなりになって生きて来たから。
申し訳ない気持ちで一杯だ。何のために私は付いてきたのだろう。その方が楽だから?
ぼんやりと生きていけるから?
また私は誰かに頼ろうとしている。そこに主体性はなく自分などないかのように。
「リリー。良いよ。それで。焦らなくて良い。時間だってたっぷりとある。それに、正直で良いんだよ。リリーの今まで見て来たもの、感じたこと。どんなことでも良い。この世界について思ったことでも。例え、どんな恨みや憎しみだったとしても」
受け入れると魔女の表情が物語っている。顔を上げた。魔女はしっかりと私の事を見ていた。私の事を、リリーを。私はしっかりと存在している。
正直な気持ちか。ああ、貴方は優しすぎる。私は恐れてしまったのに。そんな私を受け入れて、しっかりと目を合わせてくれて。
この世界にこんな存在がいるなんて。私の事を人とも見てくれなかった者ばかりだったのに。
この方は違う、とそんな淡い希望を抱いてしまって。
ならば、私が出来る事は貴方の役に立つ事ではない。役に立つかどうかは考えず、私の事を話すだけだ。それに、役に立つかどうかは私ではなく相手が考える事だ。ならば、私の事を話そう。私がこの世界で生きて来て、知っていること、思ったことを、自分自身の言葉で包み隠さず話そう。
「この世界は、魔女によって滅茶苦茶になったと私は聞いています」
「魔女?」
「はい。貴方のように赤い目を持った人知を超えた力を持つ存在達によって。私はこの世界の事を「終末世界」と勝手に呼んでいます。魔女によって、僅かに残った人々が日々を諦め、足掻く事もせず身に受ける絶望を全て受け入れてただ終わりを待つように過ごすこの世界を」
答えられた。ちゃんと自分自身の言葉で。魔女は考え込むように聞いていた。そうして、しばらく経った後、
「私のような存在?」
「はい」
「魔女? 私が?」
魔女が問いただす。私は頷く。他に誰がいるというのだろう。もう一度、沈黙。魔女が考え込む様子。そして、今度の沈黙を破ったのは私だった。
「あの、今度は私が聞いても良いですか?」
「うん。」
魔女は無表情で短く言う。
「魔女・・様はどこから来たのですか」
何せいきなり現れたから。気づいたら私の目の前に立っていた。音もなく、地面に雪のような灰を残して。
「私は日本。東京という場所から来た。だから、ここがどこだか分からない。気づいたらここにいた。そして、見覚えもない。もしかしたらここは別世界かも。私とリリーの生きて来た世界は。あまりにも違いすぎる、から」
魔女は的確に答えていく。ただ、魔女様の答えは私にはあまりにも難解すぎる。だから、私は聞くことにした。
「魔女様がいた世界はどんな風だったのですか?」
「私がいた世界? 退屈。朝が来る。沢山の人。学校。教室。高いビル。屋上。広い世界。多くの国。人波。気持ち悪い。生きる意味もなく私はいつも自分自身を傷つけて抵抗していた」
魔女は静かに多くの言葉を口にした。心なしかその言葉の端々に何か世界への不満と言うか乾き見たいなものが垣間見えた。魔女もそれ以上は何も語る事無く。私も踏み込むのを躊躇。一つ一つの単語の意味は分からないが、とにかくこの世界とは随分と違うらしい。
二人は黙り込む。でも、この沈黙に気まずさはない。お互いがお互い、聞いた話、そして、自分の身の上を、想像で分析していく。世界を構築していく。
知らない物に夢を馳せるのは楽しい。例え、自分が知らなくとも、知らないなりに「こんな風だったら」と考え生み出すのはとても夢がある。空想の世界ならば特に。
魔女様の世界はどんなだろう。先程、口にした単語の一つ一つを自分の中で咀嚼し頭の中で一つに溶け合わせてみる。
まず、朝。朝は知っている。この世界から失われたもの。月が輝く夜と違って、太陽が空に広がる目に見えない大気のバリアを通し「陽」として差し込むもの。きっとポカポカと温かい。沢山の人。人は分かる。でも、「沢山と」というのはあまり具体的ではない。数字を明示してくれれば分かるけれど。しかし、人波ともいっていた。人が波を作る。その言葉からイメージするに十人やそこらではないだろう。
じゃあ、百人?
それだと多い? それとも少なすぎる?
どうだろう。
なかなか難しい。
ふと、目を落とす。私の足元には蟻達が一様に巣に向かい行列を作っていた。蟻達は巣にいる母のためにせっせとご飯を運んでいた。途切れる事無く、どこまでも続くかのように。
この世界にも動物や昆虫、植物は存在している。もちろん、彼らも私達と同じように種としての数は減ってしまっているかもしれないがそれでも日々を懸命に生きている。皆、一様に生きづらさを感じてはいるだろうがそれでも。
その蟻達の列を見ると、俄然、イメージが湧いてくる。きっと、魔女様の世界ではこれだけの人はいるのだろう。この森の茂みの向こう、どこまでも続きそうな程、数えていられない程には人がいるのだろう。そんな世界で、そんな人々がいればどうだろう。その中には、私のような人もいるのかな。きっとその中には良い人、悪い人、自分にとって気が合う人、合わない人、様々いるのだろう。
でも、彼らは蟻達と違い一つの目的に向かっている訳ではない。それぞれがそれぞれ自由で色々な方を向いて生きている。そう考えると果てしない。
自分が一人、ポツンと立っている。辺りは白く、何もない空間。そんな錯覚を突如として覚える。そして、そこには人の形をした黒い影が通り過ぎていく。背丈は異なる。子供から大人まで。皆、私を中心として色んな方向へ歩いて行く。
そんな世界はどうだろう。魔女様が言うように退屈だろうか。でも、どこか寂しいような気はした。勝手に空想して、そして、勝手に感想を述べて何様だとでも言えそうだけれど。
私はそれを眺めている。一人、二人、三人と。そうしている内に眠くなる。足りない頭を使いきったからか私の意識が徐々に暗闇に落ちていく。
違う世界に夢を馳せて疲れてしまったのかもしれない。眠りに落ちる直前、「おやすみ」と魔女様の声がした。
不思議だ。既に私はリリーと共に旅に出る事を既に受け入れている。おおよそリリーとであったのが昨日だというのに。それどころか気遣いまで。
幸の薄そうな少女が焚火の下で安心したように眠っている。私の隣で安心したように眠る、か。それもさっきのリリーの話だと世界を滅茶苦茶にした魔女だというのにも関わらず。
意外と胆力があるのか。
見れば、その小さな体には沢山の傷。あまり良い扱いを受けて来たとは思えない。恐らく、その心には大きな闇だって抱えているかもしれない。そんな少女と共に、あの私が。ずっと、孤独であった私が。しかし、旅は道ずれとも言う。これも一興であろうか。
そのすやすやと眠る心地良さそうな顔に触れようとして、止めた。この手に触れると何が起こるか自分でも分からない。それに肝心のリリー自体に許可等を貰っていない。だから、止めたのだ。
3
奴隷の少女(先程、リリーと名付けた)が眠った後、魔女は一人で森の中を歩いていた。でも、一つ違うのはおそらく街の人々が迷わないための正規の道ではない事。道なき道を、茂みを掻き分け歩いていた。別にリリーを捨て置いたわけではない。ただ、人と魔女は違う。人の身では活動の限界もあるし、食欲、睡眠欲などの欲求もある。というか、旅の中ではその時間も確保しなければならない。それらを考慮して魔女は行動していた。
どこかに食べられそうなものはあるかな?
周囲を散策しつつ、歩みを進めていく。そして、歩いて行く内に、いくつかの木の実やキノコ、野草などを採取した。しかし、その場に広げて見てもこれがはたして口にしても大丈夫なのかは分からない。ましてや、魔女の私ならまだしも食べるのは人間の少女だ。そう思うと、心の中には「もやっ」とした不安が現れる。慎重にならざるを得ない。
もちろん、加熱はするのだが。キノコなどは危ないかもしれない。
少し、食べてみようか。
いくら人間と構造が違う魔女とて、味見してみるのとみないのでは流石に違うのではなかろうか。
そう思い、一口齧って見た。特に異常はない。お腹を壊したり、笑いが止まらなくなったりすることはなかった。
まぁ、大丈夫だろうか。
そうして、自分を励ましながらもう少し先に進んでみる。
この先には何があるだろう。
そんな好奇心に突き動かされながら。
4
しかし、魔女か。いや、正確にはこの世界に来るに当たって魔女になったというのが正解だが。元は人間だったはず。多分。なんだかそれすらも確証が持てなくなってきた。一先ず、少し普通とは異なった人間、とでも言おうか。となると、この世界に来るに当たり適した体が魔女という存在だったのだろう。そう思ってさえしまえばそんなに違和感はない。
いわゆる異世界召喚という奴だろうか。しかし、仮にそれだったとして私を呼んだ目的は何だろう。海岸で目覚めてからここまで歩いてきたが、依然としてそれは判明しない。
もしかしたら、そんなものはないのかもしれない。私がこの世界に来た意味なんてモノは。でも、「この先に進め」と何か言われているような気はする。
はっきりとはしないが、頭の中で何者かに呼ばれているような気がする。別に従う必要はないのだが、他に行く当てもない。だから、今は進んでいる。それに、気になるのだからしょうがない。
でも、そんな事よりももっと大きな気がかりが一つ。それは、旅の目的でも私が人間から魔女になったことでもない。後者は別に何の違和感もない。元々、周りとは違うというか普通の一般的な女子高生とは違ったし。だって普通の高校生ならば、自傷行為に手を染めたり、孤独を愛していたりはしないだろう。もっと、友達が多かったりそうでなくても一人でもいたり親とも会話をしたり恋をしたりなんてそんな事柄に励むのではないか。
普通というものが何かを知っていて、私はあの世界でそうとしか生きられなかったのだ。それに、後悔等が一切ないのがより拍車をかけてたちが悪い。
私はと言えば、元の世界、東京でも生きてはいたがここではない何処かを常に望み、授業だって退屈に受けていたし友達だって一人も存在した事が無い。それどころか必要ないと思っていた。この先の将来にだって別に希望を見出すことも見いだせる事もなかった。自分が何のために生まれて、いつ死ぬのだろうか。なんてそんなことを常に考えていた気がする。
そう、この世界と、リリーが言っていたこの終末世界と似ている。私はずっとあの世界で灰を被ったような生活をしていたのだ。だから、むしろ魔女になってこの世界に来て困るどころかむしろ居心地が良い。
だって魔女の体は人間と違って寒さや暑さを感じる事も無ければ痛みもない。事実、この世界に来る前に必死に傷つけていた手首の傷跡は跡形もなく無くなっている。この世界に来た時にはあった。しかし、いつの間にか無くなっていた。まるで魔法のように。そして、人間と違う事がもう一つ。
この体ではいくら歩いてもお腹を空く事がない。活動限界がなく、疲労を感じる事も。煩わしい事は何も。
それではない気がかり。それはリリーだ。別にリリーがおかしいというわけではない。そうではなくて私がリリーを連れているという事だ。あの私が。ずっと孤独を望んでいた私が。人肌が恋しいという感情など縁がないと思っていた。ならば、なぜ?
なぜなのか考えても答えは分からなかった。だから、今はただ身を任せている。これも何かの縁だと、そう思うようにして考える事を放棄していた。
人の身でこの旅に、私が行く道に付いてくるのは難しい。きっといつか音を上げてしまう日がくるかもしれない。運が悪ければ、道半ばで亡くなってしまうかもしれない。それは簡単に予期する事が出来る。でも、そうなった時、私は置いていく事が出来るだろうか。今だってこうしてリリーのために食材を調達しているわけだし。いわば、無駄な時間。足手まといだ。なのに。時間を費やしている。
そして、もう一方の私は「切り捨ておけ」なんて私の頭の片隅では言っている。その方がリリーのためにもなる。けれどそれと同時に手放したくないという気持ちが芽生えている。なぜ、こんな気持ちを抱いている?
一緒に絵を書いたからか。それとも世界に絶望しているという点で自分に似ていると感じたからか。
分からない。自分の気持ちが分からない。
互いに相反する気持ち。それらに挟まれて私は迷っている。
(いや、もう考えるのも面倒だ)
ついには放棄。なるようになるさと結論を先に延ばした。
人が亡くなったらどうなるか。それは簡単。ただの肉になる。あの道端の獣と同じで人の形をした肉に。獣と違って食べもしないから無というか意味のない塊に。
けれど、それと同時にリリーといると心に温かみが広がるのは何故だろう。この気持ちは何だろう。
しかし、それと同時に今はリリーを生かすために行動している。
今は分からない。だから、それを知るために私は旅をしているのかもしれない。そして、今はまだ。
この気持ちが何なのか分かる日がきっと来るだろうと思っている。
5
茂みを抜けた。月明りの下、そこには小屋があった。
やっぱりあった。人が出入りしているという事は、なんとなくこういった物も用意してあると思っていた。どうやらその勘は的中したようだ。
人のある所に暮らしあり。これは世の摂理。私は少し得意げになる。事が思い通りに進んでいる。まるで世界が自分を中心に回っているような感覚。恐らく、現実世界で誰しもが一度は抱いた事がある。そう得意げになった所で小屋の戸を開ける。長らく使われていないのかドアが軋む音がした。そのまま暗い部屋の中を進んでいく。
人が暮らしている気配もない。ここは恐らく、森に狩りに来た際の休憩所として利用されていたのかもしれない。いや、恐らくそうだ。確信する。
奥に進む内に目的の物を発見。鍋等の調理器具。これを探していた。今思えば、街から持ってくれば良かったのかもしれない。うっかりしていたというのもあるが、何よりこれは自分一人の旅だと高を括っていたので必要ないと思っていた。
でも、今は一人じゃない。だから、これは必要。
「だから、持っていくね」
そう誰もいないが断りを入れた。窓から光が差し込む部屋に私の呟きが響く。鍋を掴む。両手持ちの鍋。それにお玉。
そこに先程から拾い集めた食材達を入れる。抱えて小屋を出る。
元の道を歩いて行く。迷う事はない。意識を研ぎ澄ませれば薄っすらと見える灰が行く道を示してくれるから。本当に些細だから本当に意識を研ぎ澄まさなければ見えないけれど。
なぜか、この世界に来てから私が歩く道には灰が積もっていた。なぜかは分からない。でもそれらは私が歩いた至る所に。目を凝らさないと分からない。私の魔女としての能力的なものかもしれない。それとも魔法か。
街に降らせたのもコレだ。しかし、降らせたからどうという事はない。ただ、雪のように降り積もるだけ。まぁ、触っても冷たかったりしないから雪よりか害はない。本当になんのためにあるのかは分からない。気にしなくて良いかもしれない。
こうして、道に迷わないという点では便利だけど。もしかしたら、この力は記録なのかもしれない。私が歩いた道の記録。
なんだかヘンゼルとグレーテルみたいだ。
お菓子ではないけれど。小屋へ行って灰を辿って帰る。
そっくりだと一人で笑った。
ん?
でも、今の私は魔女だ。どちらかと言えば、悪い事をして痛い目に会う方だろう。
それは嫌だなぁ。やっぱり魔女は良くないかも。
さっきとは打って変わって逆。人でも魔女でも抱く思いはその時どきよって変わるのだ。さぁ、こんな馬鹿馬鹿しい事を考えていないで急いでリリーの下へ向かおう。
リリーはまだ眠っているはず。
まだ私が歩き始めてそんなに時間は経っていないと思う。これで戻って料理をしている間にリリーが丁度眠りから覚めるくらいだろう。多分、丁度良いくらいだ。
私の体内時計がそう言っている。正確な時刻が分からないこの世界では曖昧な体内時計を信用するしかない。
とその時、茂みから狼が飛び出してくる。私は咄嗟に荷物を抱えていない左手でそれを受ける。牙が私の左手に食い込む。噛まれた箇所から血が溢れ出る。狼の牙は鋭く、皮膚だけでなく骨が嫌な音を立てる。しかし、私は焦らない。狼は依然として噛みついている。そのまま、冷静に荷物を降ろす。狼は更に牙を突き立てる。私は噛まれた左手に構うことなく、右手に剣を生み出す。
パキパキという音が空気を震わす。そう。生み出すのだ。想像力を魔力へ伝達。そして、視覚化。右手に生み出すは灰の剣。私だけのオリジナル。その剣で私は自分の左手を落とす。体が自由になった事で狼と一歩、距離を取る。
魔力が満ちる。ほんの一瞬。瞬きをした間に左手は元通り。狼すらも驚愕の表情を浮かべた。
そのまま私は前に駆ける。剣を振りぬく。
「ごめんね」
君に罪はないけれど。私と出会ってしまったから。
狼の首が地面に落ちる。私は返り血を、剣に、その身に浴び赤くその身を染めたまま佇んだ。しばらく経てば、血で汚れた服は、肌は、髪は元通りとなる。私の意思とは関係なく、すぐに自動的に真っ白に戻った。漂白されるみたいに。
6
魔力とは不思議だ。何もかもが私の思い通りとなる。そもそもとして、魔力など私が元々いた現実(東京)にはない。にも、関わらず、こうも自由に使える。
なれば、私に付きまとう灰も魔力による産物なのだろうか。手に触れてもパラパラと風にのって何処かへと飛んで行ってしまうこの灰も。これだけは思い通りとはいかない。
灰と私。そこに馴染みはあっただろうか。よく分からないが先程、振るった剣も見れば灰が集まり鋭く固まった物のように思える。あの街で男を消した時もそう。触れた途端、灰となり消滅した。
どうやら私が奮う力はどれも灰に由来するらしい。この世界に来るに当たって誰かが持たせてくれた力だろうか。
だとしたら、この灰が意味するとしたら「終わり」だ。灰は終わりの象徴のイメージがある。私にとってはそうだ。人間だった時の私。冬月夜空にとってもそう。
もしかしたら私をこの世界に呼んだ誰かはこの「終末世界を終わらせてほしい」と思ったから呼んだのかもしれない。勝手に推察してみる。
それならば納得はいく。終わりをもたらすのに私以上の適任はいないだろう。だって、例え世界がどうなろうが、自分がどうなろうが愛着などないのだから。
刃渡りは地面から私の腰元くらい。それなりに長い。けれど、ただの少女である私ですら持てるくらいには軽い。例えるならプラスチックのコップくらいの重さしか手には感じない。誰が持っても簡単に振るう事ができる。
観察したり、月の光に透かして見るが光は反射したりはしない。鏡のように私の姿を映す事もない。ただ本当に灰が凝固しただけに見える。しかし、形状は確かに剣。切れ味も飛び出してきた狼を通り過ぎるだけでスパッと切れてしまうぐらいには鋭い。
それにしまうのも簡単。まるで鞘に納めるかのように腰元に寄せれば再び灰となり、風に散る。跡形もなく消える。この力は便利。何か道具を呼び出しても、収納スペースが要らないどころか直ぐに欲しい時に生み出してはすぐに消せる。まさに自由自在。さっきは剣だったが恐らくどんな武器にもなり得るだろう。
正し、私のたかが知れている想像力で創造できる物に限定されるが。
まぁ、曖昧と言えば曖昧だ。コレといった線引きがされていない、けれど力に幅が利く。まだまだ試してみる余地はありそうだ。
そこで「あ」と気づく。
それならば調理器具など自分で生み出せば良かったと。わざわざ取りになど行かずに。
(でも、まあ良いか)
良い暇つぶしにはなった。そうして一人笑う。
狼の肉は美味しいか。食べた事はない。けれど、無駄な殺生はしたくない。そして、運んでいく。
「さぁ、帰ろうか」
そう呟く。森は静か。
7
パチパチと焚火の音がする。目が覚めると、魔女様が鍋をかき混ぜていた。火がある事にも驚いたが、それよりも料理をしている。調理器具や料理の材料はどこから集めてきたのだろう。
魔女様は眠っていないのだろうか。それとも、魔女と人ではやはり体の構造が違うのだろうか。見た目としてはあまり人と大差はないようだが。いや、今はそれよりも、
「ごめんなさい。魔女様。その、眠ってしまって」
謝るのが先。
「なんで謝るの?」
「えっと、旅に遅れを生んでしまっているので」
「別に気にしなくて良い。だって人間は眠らないと活動できないでしょう」
魔女様は私の事を真っすぐに見据えてそう言い放つ。言い放つ魔女様は至極、真面目に。まるで「これは二人の旅である」と言ってくれているようで。付いてきてからずっと足手まといだと思っていた私を正すように。
「それより、ご飯を食べて」
それどころか、鍋からよそった温かいスープを押し付けてくる。茶碗からは湯気が出ていて食欲をそそる。
果たして、これが食べられるのだろうか。
人間ではなく魔女が作ったスープだからこそ生まれる疑問。でも、目の前の魔女様の様子を見ると、そんな疑問も直ぐに吹き飛ぶ。早く食べてほしくて、どこかそわそわとしている。
そんな様子を見て「食べられない」と言える愚か者がいるだろうか。いや、いないと私は思う。そんな魔女様が私の為に作ってくれたスープ。中には、お肉や野草、キノコなんかが入っている。
身も心も温かい。私のような者の為に作ってくれたその事実だけでも。
こんな食事を頂けるのはいつぶりだろう。いや、記憶を振り返ってもそんな瞬間はない。だから、生まれて初めてだ。いつもは劣悪な環境で男から残飯のような食事を与えられてきただけだから。
スープには煮込まれて柔らかそうなお肉。溶けた具材。
もし、これを食べて亡くなったとしてもなんら後悔はない。そう言い切れる程には満たされた気持ち。茶碗に口を付けた。一口、口に含む。
とても暖かい。身に染みて、「ほぅ」っと、幸せの吐息を吐く。
「とても、美味しいです」
これは正直な気持ち。私のありのまま。そう伝えると、魔女は奇麗に笑った。
「そう。良かった」
「あの、魔女様は食べないのですか」
「私は食べなくても何も問題ないから」
知っていた。確かに、魔女には食事も睡眠も必要ないのだろう。けれど、私は食べてほしかった。一緒に食べて、同じ思いを、時間を共有したかった。私はその思いを素直にぶつける。
「一緒に食べてほしいです」
私のような者が烏滸がましいだろうか。そう思うと同時に、顔が熱い。まるで、熱でも起こしたかのように。
「その、この量は流石に私一人では食べられないですし・・・魔女様がせっかく作ってくださったので二人で食べたいです」
言ってしまった。なんだかこうして誰かにおねだりをするのは、我儘を言うのは初めてで恥ずかしい。最後の方は、思わず声が小さくなってしまった。
「そ。じゃあ、私も食べようか」
「は、はい。ぜひ、」
なんだかこちらがかしこまってしまう。普通、逆なのに。
「じゃあ、隣に来て」
魔女は隣に座るように促す。私は突然の事で戸惑う。何故なら、先程は拒絶をしたから。でも、今は怖くない。
そうだ。何を恐れる必要があったのだろう。私は自然と隣に腰を下ろす。魔女も食器を準備し始める。二人の食器のカチャカチャと言う音がする。それだけが響いて。
「誰かと食べるご飯ってこんなに美味しいのですね」
今までの食事はただ、生きるための作業だった。それ以上でも以下でもない。それに、楽しくもない。
冷めた残飯や生ごみのような物を犬のように這いつくばって、口に入れる。そんな思い出しかない。けれど、私は知ってしまった。いや、他ならぬ魔女様に教えられた。だから、気づいたら口から零れ出ていた。
「そうだね」
魔女様も静かに返事をした。けれど、その表情からは相変わらず、何を考えているのか分からなかった。
もしかしたら、私との食事に対してなど何も思っていないかもしれない。けれど、魔女様も同じ気持ちを抱いていたら良いなと薄っすら期待を持つ。そして、それと同時に、私ごときがそんな気持ちを抱くのは分部相応だと心のどこかで思いながらパチパチと音の鳴る焚火を囲む。
二人は肩を寄せ合った。
寄せ合う肌は温かく二人の距離は、心は近まり絆を深めていく。




