第十三話 「私の居場所」
1
曇り空から光が差し込む。淀んだ様などんよりとした雲を掻き分けて青い、青い空がこれまたどこまでも続きそうな海の藍に向き合う。キラキラと水面に光が映る。それらの光景はなんというか神秘的だ。それ以外に見合う言葉が見つからない。
でも、もうすぐ世界が終わる。
とてもそんな風には見えなくて。私は何ら変わらず、いつもの通り。いや、どこか心地良かった。満たされていた。
「ねえ、魔女様。日の光というのは、こんなに温かいモノなのですね」
波が私の足元に届くか届かないかくらいの所で寄せては返す。
魔女様もまた静かにそれを眺めていた。
その瞳に映る景色には何を思っているだろう。
さぁ、それは分からない。でも、私は今、とにかく話したい。
いつか見た月を彷彿とさせる感動。私は確かにそれを覚えているから。
「暗闇の魔女様はこの空を見ているでしょうか」
「さあね。それは分からない」
例え、たわいないこと、どうでも良い事。どんな事でも良い。
私達は二人、手を繋いでこの空を眺める。繋いでいた手を絡めてやがて。
遠くで波が大きな岩に打ち付けるのが見える。さらに遠くには魚だって飛び跳ねる。
本当に世界は終わるのかな。だったら、私達はこんなにのんびりしていて良いのかな。
でも、いいか。今だけは許してくれても。だって、私達は旅の果てに辿り着いたのだから。
「ねぇ、魔女様」
「なぁに?」
「私、この旅に付いてきて良かったです。見たくもない光景も、苦しい事もあったけど。いや、そっちの方が多かったけど。でも、今はそれすらも良い思い出だと胸を張って言う事が出来ます。私の人生の宝物だと、そう思います」
だって、こんなにも・・・・・。
「そう。それは良かった」
魔女様は答えてくれる。二人して顔を見合わせて笑い合う。
そう、こんなにも心が温かいのだから―――。
2
「ねぇ、リリー。私はこの世界に来る前は何をしていたと思う?」
この世界に来る前。つまりは元の世界でという事か。
一つ一つ噛み砕いて理解していく。ゆっくり、慌てずで良い事も。
「ごめんなさい。分かりません」
そして、正直で良い事も他ならぬ魔女様から教わった。
魔女様はまるで悪戯が成功したかのように笑いながら。
「ふふ、私はね。何もしてなかったよ。それこそ灰のように何もかも燃え尽きていたよ」
「そうなのですか? とてもそのようには見えませんが・・・」
だって、魔女様はいつでも凛としていて、とても頼もしくて。なにより、かっこよくて、それでいて優しい温もりで私の心を溶かして、心を宿してくれて。
上げたらそれこそキリがない。
「私がする事と言えばね。自分の手首を切って、流れる血をみては生を確かめることくらい。普段は生きた心地がしない。けれど、その時だけは満たされるの」
ほんのひと時、本当に惨めでしょうと。
「何より私は臆病だった。今でこそ、こうして笑って話せるけれど、当時は少しも笑えなかった。夜は確かに好きだった。けれど、どうしようもなくて寒くて、暗くて、孤独な夜はただ泣く事しかできなかった。静かな夜は良い。だけど、寒いのはダメなの・・・。泣いて震えて枕を涙で溢れんばかりに濡らして。ただひたすら、悲しいの。心が小さく、貧しくなるの。貧しくなったら、何も出来ない。凍えるように部屋の隅で震えてしまう」
魔女の独白。その様子は私に向けて言っているというより、自分自身に対して言っているように聞こえた。
確かに、いつか寒いのは嫌いだと言っていた。それをいつか思い出す。
私はただ耳を澄まして頷く。
それにしても臆病、か。はなはだ意外だ。あのカッコいい魔女様が、布団に包まって泣いている姿はまるで想像がつかない。
「でもね。それよりももっと嫌いなのは、朝。朝になると何より、もっと嫌な事が待っていたから。それこそ私が元居た世界。そう。元の世界はとても煩かった。毎日、聞きたくもない音を、人の声を、聴いて。それこそ、耳を塞ぎたいくらいに。だからね。そんな臆病な私はいつしかここではないどこかを願ったの。リリーが沢山の事を夢見たように、私もずっと夢を見ていたの。ここではないどこかをずっと。私の名前すらも捨てていけるどこか、を」
「そうしていつの間にかここに流れ着いた。この終末世界に。緩やかに終わりを迎えるだけの私にぴったりな世界に。魔女になったのは予想外だったけれど今思えば、私という人間に合っている存在だと思う」
語り終え、初めて明かされる魔女様の事情。そんな背景があったのか。旅に出てからそれなりに長い間過ごしてきたが、初めて知った。魔女様はここまでの旅路で決して心の内は明かさなかった。
弱い所は決して、見せなかった。
だから、私は問いた。
「なぜ、今、そんな事を話すのですか?」
それも、私に。
「さぁ、話したくなったからかな」
魔女様はいつも通り、いや、目を閉じて。見れば、その手が小刻みに震えていた。繋いでいた手からもそれが伝わる。どうやら先程の語りは本当だったらしい。
「ねぇ、魔女様」
そう前置きをしてから。
「今も、朝は、この朝日は怖いですか? 嫌いですか?」
それを確かめたかった。
「ううん。今は・・・」
少し、悩んで。
「今は、そうだね。怖くないとまで言わないけどあの世界にいた時ほどではない、かな」
「そうですか。良かったです」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・」
「でも、魔女様。意外と可愛い所があるのですね。寒いのや煩いのが嫌いなんて」
私は素直にそう思ってしまう。まるで、幼い子供みたいだ、なんて。
「もう! 馬鹿にしないでよ。リリー!」
ああ、とても心地よい。こうした時間が過ごせるのならば、世界の果てに着けて良かった。世界が終わりを目の前にしていて良かった。
そう思ってしまう私は狂っているだろうか。
でも、それでも。
「別に良いよね」
と。
「うん? 何か言った? リリー?」
「いえ、何も言っていませんよ」
ええ、何も。
そうして、二人。寄り添って。肩を寄せた影が陽の光によって作られて。
3
いつだって、歩み寄るのは怖い。その人の奇麗な所と汚い所、その両方が見えてしまうから。歩み寄った分だけ後者の方が強く、色濃くなってしまうから。
誰だって汚くて醜い部分から目を背けるものだ。
だって、奇麗な部分だけ見ていれば、傷つく事も無いのだから。奇麗なものだけ愛でていれば夢を見る事が出来るのだから。私はいつもそうやって夢を見て来たのだから。無論、私が今まで出会ってきた人間はどれも無条件で汚い部分しか見る事ができなかったが。歩み寄らずともそれに事欠かなかった。
でも、魔女様は。私の記憶に駆け巡る魔女様はいつもガラス細工のように奇麗で、輝いて。
そんな魔女様の弱い部分を。私と何ら変わらない部分がある事を知った。
これは魔女様が私に歩み寄ってくれたから。「話したくなった」なんて言ったけれど、それはとても勇気がいる事だ。だって、私がそうだから。
でも、それも、もう辞める。
せっかく、魔女様が歩み寄ってくれた。私に勇気を灯してくれた。だから、私もそれに精一杯応える。それに、立ち止まってばかりじゃいられない。進まないと、それをこの旅で知った。 そして、勇気を出して進んだ先にはきっと良い結末が待っている事も、また。
「ねぇ、魔女様。もっと聞きたいです。元の世界での魔女様の姿を」
「そう?」
「ええ。」
「つまらないのに」
つまらなくても別に良い。
だって、「生きる」ってつまらない事の方が多いだろう。面白い事なんてほぼないだろう。
やがて、魔女様が口を開く。堰を切ったようにとめどなく。
「私はさ、多分、恵まれていたと思う。親もいて、温かい家もあって。けれど、私はそれでもどこか満たされなかった。馴染めなかった。周りが話していても私は輪に入れないのは当然で、いつしか家族ともよそよそしくなって。同じ家で、同じ血縁でもまるで他人のようだった。お互いがお互い、名前を、呼称を呼ぶのすらためらうくらいに。そんな存在を家族だなんて呼べる? 私は呼べなかった」
魔女様の弱さが溢れていく。けれど、これはきっと私に心を許してくれた証拠だ。私は今、ようやく魔女様と対等に立っている。それを心から感じて。
「友達もね。出来なかった。いや、作ろうともしなかった。だって、傷つくのが怖いから。なら最初から作ろうとしなければ自分が傷つくとも傷つける事もないから。そうして、私は一歩を踏み出さずにいた。そんな私が選んだのは孤独。でも、孤独でいる事は寒い夜のよう」
一度、息を吐いて。
「でも、何も変えられない。現状は何も変わらない。だって、踏み出す勇気がなかったから。そんな簡単な事が出来なかった」
私はそれに答えて。思いをぶつけて。
「簡単じゃないです。だって、私もずっとあの街で立ち止まっていましたから」
何だか分かる。私と魔女様は意外と気質というか、そういう面では似ているのだ。外見や持ち合わせている力や才能。そういったものは天と地との差があるけれど。根本と言うか根本は。
思えば、ここまで付いて来られたのだって奇跡なのだ。でも、それが出来たのはこの世界で貴方と出会えたから。
だから、それも運命なのかもしれない。似た者同士な私達は惹かれ合ったのかもしれないとも。会うべくしてこの世界で出会い、共にしているのかもしれないなんてそんなロマンチックな事も考えた。私はロマンチストだから。
「そう。生きていくのって難しいね。傷ついたり、傷つけあったり」
「ええ、ほんとに」
同調。今や、こうして世界の片隅で傷を舐め合う。
「そうして寒いのは嫌い。大きい音は、うるさい音も嫌い。人が多いのも。何も出来ない自分自身も。何もかも嫌い。嫌い、嫌い、嫌いって子供みたいに。そうして嫌いなものが溢れていった。そうして、気づいたら耐えられなくなって何もしなくなった。手首にある傷を、自分自身を隠して。けれど、満たされなかった。何も希望がなかった」
そうか。魔女様も一人だったのか。私が抱いていた親近感はそれだったのか。
「だから、初めてなの。この世界に来て、リリーと出会ってここまで触れ合えて話せているのは。自分でも不思議。こんなに過去を、自分の気持ちを打ち明けているのは。打ち明けるのって、こんなに勇気がいるんだね」
今までずっと一人で良いと思っていたから知らなかった。
「それに、こんなに怖いと思うんだね。それすらも初めて知った。でも、それを乗り越えた今は心がすごく温かい。満たされているってこういう事なんだね。私はこの一歩が踏み出せなかった。ずっと、ずっと。だから初めて知った。この世界に来ることがなければ知れなかった。随分、遠回りをした。けれど、私は今、幸せ。リリーと出会えてそして自分の成長を感じて」
「私も、です。私も同じ気持ちです。全てを諦めた世界で。この孤独な世界で貴方という存在に出合えて。でなければただ朽ちていくだけでしたから。それこそこの灰のように」
そういってリリーは蕾が咲いたように笑う。
ああ、歩み寄って良かった。
「ああ、この灰が見えていたの?」
「はい。街を出た時から、ずっと」
今、打ち明ける。私がずっと貴方の灰を追いかけていたことを。
「そう。言ってくれれば良かったのに。でも、なんなんだろうね。これ?」
「分かりません。でも、なんだかふわふわしていて可愛いです」
「その感想も私と同じ。ほんとに私達は似ている」
魔女様が笑って、私もそれに続いて笑って。
「世界は本当に終わるんですかね」
「うん。多分」
「ねぇ、魔女様。私も最後に一つ良いですか」
終わり行く世界でただ。
「暗闇の魔女様は貴方の力を終わりの力だと言いました。でも、私はそれを信じません。確かにこの灰は植物を、人を、魔女すらも消滅させてしまいます。まるで最初から存在しなかったかのように消してしまいます。そこに間違いはありません。消えた者がどこに行くのかも分からない以上、終わりだというのは最もかもしれません」
そこに間違いはない。
魔女様は静かに聞いている。
そう、確かにこれは誰をも拒絶し、自らを孤独にする力だ。かくいう私もこの力に最初は恐れを抱いた。触れるのを躊躇ってしまった。
「でも、今はこの灰を見ると、貴方を見ると安心する。だって、この灰は、この手は私をいつも助けてくれた。そして、導いてくれた」
ひんやりとした冷たい手。けれど温かい。その手を示して掲げて。
「魔女様は言いました。誰も何も自分の名前すらも知らない世界へ行きたいと。そして、その通り私は旅を終えた今すらも貴方の名前を知らない。ずっと一緒にいたのに。でもそれでも私は信じます。貴方が名付けたリリーは。他ならぬ貴方を。だって世界はこんなにも希望に、貴方の灰に満ちているのだから」
死の谷は晴れて、炎の街の人々の心を楽にして、雪原の雪を溶かして。
こんなにも大きな事を成し遂げて勇気がない?
それこそ有り得ない。
貴方はとても凄い事をしたのだと私は胸を張って、声を大にして言いたい。
他ならぬ貴方と対等である私から。
今だからこそ言える。ずっと絶望しかなくて諦めていたのに。今は、この心に宿る温かさの秘密は。
それは、多分。
希望なのだ。
この僅か残された時間で私はなによりも伝えたいことを伝えた。
灰の魔女様が目を見開く。二人、見つめ合う。永遠とも言える時間。でも、私はもうそれには付き合えない。だって、もう。
全てが終わるのだから。
ああ、世界が終わるってどうゆう事なのだろう。どんな風になるのだろう。それこそ果てのない暗闇に包まれてしまうのかな。それこそ、永遠に。でも、それでも良いかな。
だって、貴方とこのまま手を繋ぎながら終われるのだから。
それも良いかな、なんて。
でも、それは叶わない。
だって、魔女様が手を離したから。
「ごめん。リリー。私はまだやる事がある」
そう言って立ち上がる魔女様。
「だから、けして止めないでね」
4
永遠などどこにもない。出会いがあれば別れがある。それは初めから知っていた事。夜が明ければ朝日が来るように。それが世の摂理だ。だから、私もリリーの気持ちには応えられなかった。終わりを恐れてしまったから。
(ああ、でも今なら)
そう決意をした。
暗闇の魔女に渡された杖を振りかざす。手に馴染む。不思議と今なら何でも出来そうな気がする。
世界の命運は私の手に、なんてそんな大仰な事は言うつもりもないけれど。今なら例え、世界をどんな風にでも変えられそうな気がする。
しかし何を望む、か。
そう、言われても。
元の場所で女子高生だった存在が抱える問題としてはあまりにも大きすぎる。いくら普通ではなかったとしても。いや、今は魔女。灰の魔女。けれど、例えそうだったとしても、突然、そんな事を言われても困り果てるのが世の常。
だって、魔女だって、元は人だ。人だからこそ弱い心がある。だから、このまま何もしないでもきっと良いのだろう。きっと、大半の人間がそうだ。ただ、終わりを受け入れていくのだろう。しかし、後ろを振り返れば不安そうに瞳を揺らすリリーの姿が見える。一体、何をするのだろうと頻りにこちらを気にしている様子。しかし、私に「けして止めるな」と言われてしまったから。律儀にそれを守っている。
リリーは既に終わる事を受け入れている。
(けれど、私は)
私はそれではいられない。
(ああ、私はいつもその瞳に助けられてきた)
リリーは気づかなかっただろうけれど。前を進むのってとても勇気がいるのだ。でも、それを為しえたのは多分。
それでも、進めたのはきっと。
「リリーが私に居場所をくれたから」
いつか抱いた気がかりへの疑問。それに対する答えを。
そう。
「私に安心できる居場所を。生きる意味をくれたから」
自然と口から溢れていた。
なんだ。簡単なことだったじゃないか。先に進むのを恐れる私をここまで連れてきてくれたのは紛れもなく。
(じゃあ、その恩を今、この身を持って返そうか)
二人で為しえた旅。だからこそ。
(かけがえのない人に沢山の夢をまだ見せていないじゃないか)
それでこれで終わってしまうなんて。なんて残酷な世界。
でも、そうだな。するべき事は決まった。だから、最後にとびっきりの魔法を見せてあげよう。
私は目を閉じた。もう何も迷う必要はない。
私が歩いて来た軌跡。それらに魔力を灯す。この力はずっと「終わり」のための力だと思っていた。でも、灰とは。いや、終わりがあるならばきっと、
始まりもある筈だ。だから、私は抗うよ。それに今、思い出したのだ。私の胸の内に宿る使命を。
「灰に宿るは豊穣」
頭に自然と浮かんだ口上。それを口にして、紡いでいく。そして、終わりであった力を、魔力を反転させる。
今まで、私が歩んだ軌跡。そして、これから起こるのはきっと、奇跡。
「そして、祝福」
こめかみに力を込める。
「灰は朽ち、やがて生命が宿る」
全てを元通り。いつか行った私の体の再生したように。その大規模版。それも世界を巻き込む程の。未だかって、誰も成しえない。いや、元通りと言わず、それ以上に。
体に流れる血が勢いを増す。血流が加速。これが意味するところ、文字通り限界を超えて全身全霊を賭けて。
「驚いた。君がそんなに必死になるなんて」
杖から流れ込んでくる暗闇の魔女の茶々が聞こえて来たような気がする。でも、今は構っていられない。死者は黙っていてくれ。
「そして、我に」
口の端から血が垂れる。耳、そして鼻からも続けて血が垂れる。いや吹き出す。しかし、それでもこの足に力を込めて大地に立つ。
「帰らん」
もう声を出しているかも分からない。口を動かして掠れた声を出しただけ。最後は口からも血が溢れてしまう。
この世界を巡りながら、今日まで沢山の灰を撒いた。灰は種となる。灰は本来、終わりを意味する。けれど、終わりがあればきっと始まりもある。だから、私は始まりを望む。最後に陽だまりのような世界を望む。あれだけ嫌っていたのに。
ねぇ、リリー、見ている?
私の最後の姿を。生きた意味を。とびきりの輝きを。体が熱い。その身を焦がし魂がチリチリと燃えていくのを感じる。力の全てを杖に込めて空に放つ。そんなイメージで。
これが終われば私は消滅する。そんな確信がある。消滅とは即ち、この世界からいなくなるというのを意味する。
私は文字通り、この世界から灰となって消滅する。
もう立っていられない。その場でパタリと倒れる。
でも、完成したはず。
これが私の相応しい末路。むしろ、最後にひと花咲かせたのだ。
だから、悔いはない。
ああ、遠くでリリーの泣き叫ぶ声が聞こえる。抱きかかえられて沢山、呼びかけられる。でもそれもやがて遠くなっていく。意識が薄れていく。
それをどこか他人事のように眺めながら、
(ああ、誰かにこんなに泣いてもらえるなんて、惜しんでもらえるなんて)
別れと言うのはいつだってあっけない。リリーも私がいなくなった世界で明日から何気ない日常を何ら変わる事無く過ごしていく。いや、その方が良い。だって、朝が来たらそうするしかないのだから。夜に受けた辛さも抱えたわだかまりも全て受け入れて、振り切って蓋をして。そして、日常が始まる。それが世の理。私もずっとそうやって生きてきた。
人生ってそういうもの。だから、リリー。生まれ変わっても幸せになってね。私の事を忘れるくらいに。
笑って見せた。精一杯のさよならを込めて。そして、ありがとうの意味を込めて。
「ねぇ、リリー。私の名前。夜空っていうの。ふふ、知らなかったでしょう」
最後になってようやく伝えた。もう、掠れて聞こえないかもしれないけれど。
馬鹿みたい。リリーに名付けて、私は名乗らないなんて。
不公平だ。でも、私はいつもそうだ。現実世界で人と関わらなかったのもそれのせい。
ずっと恐れていた。近づきすぎると傷ついてしまうかもしれないと。やがて見限って消えてしまうかもしれないと。どこまでも不器用で臆病。本質は変えられなかったけれど一歩進めた。そんな気がする。もう命の灯も消えかけている最後になってやっと。
(ああ、遅いなぁ)
でも、私の名前、届いていると良いな。旅立つに当たっての贈り物。些細で興味がないかもだけど。だって、ずっと「魔女様」では少し寂しいから。声など出ておらず、もう届いていないかもしれない。それでも、そう願ってしまうのは、夢を見てしまうのは。
(ああ、今の私は幸福だ)
きっと、満たされている。
だって、夢を見られているのだから。消えることない幸福の夢を。
そうでなければ、こんなに朝日が。朝が好きになれないはず。輝いて見えない。私はそれにそっと手を伸ばす。
やがて視界が、そして意識が消えていく。暗闇に包まれていく。
じゃあね。この世界。終末世界。
目を閉じて受け入れていく。世界ではなく私の終わりを。
思ってもみなかった。孤独を望んだ私が最後に望んだもの、それが、皆がいる世界だなんて。
ああ、吐きそうだ。それに我ながら、なんて皮肉。
5
やがて、魔女様の体が私の触れた部分から灰になる。崩れ落ちていく。それをゆっくりと眺めながら。
それでも明日が来る。かけがえのない明日が。そうやって人生は紡がれていく。
けれど、どうしてだろう。涙が溢れてしまうのは。どう抗っても、目に浮かぶ雫は留まる所を知らない。私は泣いた。涙が枯れるまで、声が枯れるまで。背中を丸めて何度も何度も嗚咽を繰り返して。
陸の孤島に慟哭が響く。そして、涙に滲んだ灰の上。
でも、朝日が昇ると同時にやがて泣き止んで。涙が乾いて。
どこまでも続きそうな海の向こう。地平線はそれすらも「乗り越えろ」と告げるように無常でそしてのんびりと語り掛ける。沈む夕日。それを見ていると、段々と私の意識も薄れていく。
薄れ行く意識。そして、最後に見えた(残った)物。
それは花だった。それは私の名を冠する。魔女様のように凛として強く立つ。ここまで言えば分かるだろうか。
そして、それが魔女様の最後。
私は最後にそっとその花に口付けた。
「愛している」と意味を宿して。
夜空が終わると朝が来る。終わりを迎えるはずだった世界が再び始まりを告げる。
時計の秒針が、カチリと動く。十二時を告げる鐘が鳴る。灰の魔女に「さよなら」を告げて。私達の旅は終わりを迎えた。
6
朝日が昇った世界。それは随分と眩しくて。
その朝日を受けて、目を細める。気づいたら私は見た事もない程、豪華な服に身を包んで誰か知らない高貴な人に手を惹かれていた。さっきまで灰の魔女の最後に涙を流していたはずなのに、瞬きをする一瞬でこの世界に立っていた。
周りを見回してもよく知らない街。そして貴方がいない街。
手を引く誰かはきっと私の生みの親だ。きっとそういう筋書き。
街は豊かで、きっと私がいた終末世界とは違う。あの愚かな街とも異なる。ここは何処か。ここは別の世界だ。名前も知らない別世界。
今日も私はここで、この世界で生きている。
きっとこの街で生きる私はあの頃とは違い、犯される事もなければ絵を書く道具だって自由に買い与えて貰えるのだろう。何不自由なく、私がいつか夢見た生活を送れるのだろう。だって魔女様がそういう世界を与えてくれたから。もっと言えば魔女様が残した灰が終わりの後に始まりを刻んでくれたから。きっとどんな世界にする事も出来たのに。
でも、ここに貴方はいない。そして、ここにいる皆もまた貴方を知らないか覚えていない。でも、私だけは知っている。他ならぬ貴方の事を。
空に手を伸ばす。朝の太陽が、そして失われたはずの温かな日差しが眩しい。それを見て思う。
ああ、貴方の事を知る前の私ならばこの光にもっと感動を覚えるのにと。
今の私が満足しているか。否、私はもう一度会いたい。それしか望めない。私の望みは何一つとして変わっていない。あの時から。
だって、貴方の後ろが私にとって幸せだから。でも、例え、もう一度、貴方に会えたとしても、貴方はもう私の事なんて知らないかもしれない。
でも、
それでも私は貴方に会いに行く。
いつか、きっと。
この世界の私は裕福。髪の毛がくすむこともないし、汚らしい小屋で眠る事もない。常に清潔だ。
だからそれを逆手に手始めに、この豊かな世界の歴史や文献を読み漁る。貴方の手掛かりを求めて。けれど、無駄足。貴方の灰は、面影はどこにもなく。
7
この世界で暮らし始めて数年。生活にも大分、慣れて来た。そのタイミングで、この世界について分かった事が一つ。
それは、この世界には時々、灰が降る。
はっきりとした周期が決まっている訳ではない。年に一回。数回の時も。
最初は誰しもが、その目を疑った。
だってそうだろう。雪でもなく灰なのだもの。冷たくもないし、終わり行く季節を告げるものではないのだから。
そして、それを見る度、私は安心を覚えた。貴方が確かに居た事を感じられるから。
でも、私以外にはなかなか。頭のお堅い人たちはその灰を見て、「なぜ灰が降るのか」なんて、野暮な事を科学的に証明しようとしていた。
本当に、愚か。
けれど、致し方ないのかもしれない。人は好奇心が強い生き物だから。それに、灰なんて降る必要もなければ、当たり前から逸脱する事象だったから。しかし、それは次第に人々に受け入れられるようになっていった。
そして、今ではこの灰が降った次の日に、この街では祭りが開かれるようになった。その祭りには、人々が日々の労を癒すと同時に、この地の祝福と豊穣を願って開催される。
私は今年も、それを部屋の窓を開け街行く人を眺めている。
そして、誰が言ったか。「灰被りの魔女のお陰」だと。




